SSS

片想い二重奏

2019.05.01

「もーロマーノ飲み過ぎやで。俺には飲んだらあかんって固いこと言うてたのにぐでぐでやんか!」
「うるっへぇスペインのこのやろうめちくしょう! あー頭いってぇ……くそっもうらめだ…………オイっ! 今夜はのむぞー!」
「もう十分飲んだやろ! あかんで……あかんって、それはワインや! そんな一気飲みするもんちゃうって……あーもー! 水にしとき!」
 失恋したと言うロマーノに付き合わされて既に五時間。ほとんど食事も摂らずにワインばかりを口にしていた彼はすっかり出来上がっていた。反してアルコールは乾杯でしか口につけていないスペインは素面だ。彼は一ヶ月ほど前、酩酊して路上で寝ているところをロマーノに見つかって以来、『ほどほどの飲酒』を厳命されている。
 その節は失態をやらかしたという自覚があるし、実のところ今までにも何百何千回と繰り返してきた過ちだ。周囲からも再三注意されている酒癖の悪さは自覚がある。だらこそ『ほどほどの飲酒』という基本方針に異論はないが、だからと言って好きな子の恋の話を素面で聞いてやることに賛成をした覚えはない。それをするにはアルコールの勢いが必要だった。正気で延々聞かされるロマーノの良い人の話にはもううんざりだ。
 そりゃあロマーノからしてみればスペインなんか眼中にないのだろう。何せ小さい子どもの頃から面倒を見てきた親分だ。保護者のような存在である。間違っても恋愛感情を向ける対象ではないし、ましてや下心を向けられているなど思いもよらないに違いない。
 だが、それは彼の話であってスペインは違う。ロマーノにどんなにあり得なくて万に一つも思い寄らないようなものだとしても、現実にスペインは彼のことが好きだった。

 ああ、そうだ。そうだとも。恋をしている。あんなに可愛がってきた子相手に本気で恋愛感情を抱いている。そもそもロマーノにお前の親分だと言っていたのはスペインだ。そのくせ恋をしているなんてどうかしていることぐらいわかっている。疚しい、慕ってくれている子に何て酷い裏切りなのだろう。そうだろうとも、恋をしたスペインが全て悪い。
 だがちょっと待ってほしい。スペインは今までロマーノに感情を押し付けたことなどなかった。彼はこの感情に絶対気づきもしていない。徹底して隠し、彼との関係に支障をきたすことのないよう振る舞ってきた。であれば、だ。内心の自由は許されるのではないだろうか。
 確かにスペインはロマーノに恋をしている。何でもないような顔でベタベタ触れる一方で内心は自分でもどうかと思うほど舞い上がり、心臓はドキドキと脈を早めて高揚している。だけどそれだけである。それ以上は何もない。
 恋心を自覚してからは恋愛感情に限らず、ほんの些細な日常的なものであってもロマーノにスペインの希望を押し付けないよう気を払ってきた。それは功を奏してロマーノに良いものとして伝わっている。と、スペインは思っている。だからこそこうやって失恋の話を何時間もするほど心許され、目の前でぐでぐでに酔っ払ってみせるのだろうし。

「そういやあ、おまえ、スペイン……フェイスブックやっているか?」
 ロマーノがいきなり切り出してきた。
「あー……登録はしてあるで。イギリスがアメリカのために登録しろってうるさかったからなあ」
「何だその状況?」
 スペインにもよくわかっていないので説明を求められても困るが、とにかくイギリスがアメリカのために各SNSへ登録するように迫ってきたのだ。フランス、プロイセンもさせられていたが、フランスは見栄えの良い写真のアップ、プロイセンはよくわからないネタを文章で発信することにハマっている。
「ほとんど触ってへんけど……」
 まるでウォータースライダーかのような勢いで流れ込んでくる情報量についていけず、登録したきり放置している。どうせそのうち別のものに移り変わっていくのだ。
「らったら、恋人候補のことしらねーんだろ」
「恋人候補ぉ?」
 それがSNSとどう繋がるのかと首を傾げた。
「だぁら出会い機能があるんだよ。それで、恋人候補ってボタンがあって・・・」
 ロマーノの話はつまりこう言うことだ。
 気になる相手をリストに登録しておくと相手からもリストに登録されている場合、両者に通知される機能で、片思いの場合は絶対に知られることがないのだと言う。また第三者に公開もされず、ひみつのまま『両想いの時だけ』マッチングされる。そういう機能だ。
「はあ……何か、ハイテクやなあ」
 便利なような、回りくどいような。スペインからすればやたらまどろっこしい印象だった。まあでも告白すれば玉砕する可能性はあるが、これならば至って穏便に両想いかどうかを調べられる。誰も傷つくことなく気まずくもならないあたり現代的なのかもしれない。
「……ロマーノはそれ使っているん?」
 失恋したばかりと言うからには、今そのリストにはロマーノの想い人が登録されているのだろうか。……別に期待などは端からしていないし、誰が相手でも口出しする気はない。そもそも知ったところで嫌な気持ちになるだけだ。それでも気にはなる。一体どんな相手なのだろう……。

「ひとりだけ入れてるやつがいる」

 それは少し意外な返事だった。
「そいつだけ。ずっと、ほかにはだれも入れてない……」
「そうなんや」
「ん……そう、でも俺のかたおもいだから」
 だから失恋ばかりしているとロマーノがさみしげに呟いた。

 それが今から二時間前のことだ。
 ロマーノは客室のベッドに寝かしつけている。酷く酔っているせいか感情の波が激しくて、眠る直前までわんわんと声を上げながら泣いていた。絡み酒からの泣き上戸はスペインの立場では一番堪えるものだ。
(でも……そうか、ロマーノがなあ…………)
 彼はどんな気持ちで好きな人をSNSの恋人候補リストに登録したのだろう。もしかして、と期待したのか。それとも片想いとわかっていて健気な気持ちがあったのか。いじらしく、自分だけが知っている機能。
 それに興味を持ったのは、スペインも少し疲れていたからなのかもしれない。
 散々、ロマーノの話を聞かされて打ちのめされて、形のない恋心を何か見えるようにしておきたかったのかもしれない。
 それは彼への気持ちは内心の自由だと主張していたスペインの信条からかけ離れたものだ。だいたいウェブサービスなんて誰かが運営しているものだ。そこにロマーノが好きだと登録するなんてどうかしている。形に残してしまったら、それはもう非難されるべきものになるだろう。
 そうとわかっていて、けれど理性は何の役にも立たなかった。
(今夜だけ。一回ロマーノを登録して……朝には解除するから)
 この袋小路のような夜にほんの少しの救いを求めてしまった。登録した後の静寂を目の当たりにすればちゃんと正気に戻れる。ほら見たことか。期待などかけらもないのだと自分を打ちのめすことができればそれで良かったのだ。

ピロン

 だから深夜にあれこれ検索してようやく『恋人候補リスト』への登録を終えた瞬間、自分の端末とテーブルに置きっぱなしのロマーノの携帯電話から同時に通知音が鳴っても、スペインには何が起きたか理解できず、ほとんど寝ないまま夜を明かして二日酔いに苦しむロマーノを直視できないことになるのだった。

Fly Me to the Moon

2017.03.02

 元々スキンシップは多い性質だった。加えて大切な子どもが卑屈になるような暇など決して与えまいと、この数百年間、感情はなるべく率直に伝えてきたつもりだ。可愛いと感じたら大げさなまでに表現して、好きも大切も彼の心へと真っすぐに届くように。
 まさかそれが仇となる日が来るとは思わなかった。

「ロマーノ、好きやねん」
「おう、それがどうしたんだ?」

 首を傾げるロマーノは意地悪さも照れも見せずに真顔で返してきた。俺の一世一代の告白を、ただただ不思議そうに聞いている。本気で言われた言葉の意味をわかっていないらしい。

「どうしたって……えーと?」
「いや、お前珍しく真面目な顔で話があるって呼び出してきただろ。さっきから顔色が悪くなったり赤くなったりで、やっと口を開いたら……その、ほらさっきのやつ」
「ロマが好きやねん」
「それだ。何事かと思ったじゃねぇか」
「はあ」
「話ってのはよっぽど言いにくいことなのか?」
「言いにくいっていうか……」
「まあ俺の機嫌なんか取らなくても、お前とは長い付き合いだからな。今さらたいていのことじゃ驚かねぇぞ」

 ありがとうございます。
 じゃなくて。

「だから、ロマーノが好きやねん」

 三回目ともなれば気負いなく口にできた。そういうところも駄目なのかもしれない。さっきの、口にしたら嫌われるかもしれないけど言わないでいたら死んでしまうかもしれないぐらいの緊張感と切実さがなければ、こういう気持ちは伝わらない。あったところで伝わらなかったのだから。

「そうか。それで?」
「……それで、とは」
「だからどうしたんだって聞いてんだよ、俺の話聞いてんのかカッツォ」

 取ってつけたような悪態を聞き流して、爪の先ほども伝わっていない俺の感情を反芻する。ロマーノの質問はかなりの難題だった。1+1がなぜ2になるのかの証明を求められているような気分だ。

「例えばな、俺が太陽のかけらを手に入れられたら、この心を照らしてお前に見せたいんよ。そうしたらロマーノの世界も俺と同じように、キラキラと輝いているみたいに見えると思う。俺の言うてる好きは、そういう感じの好きやねん。……俺にロマーノの世界を変えさせてほしい」

 昔から自分の内側を探るのは苦手だった。それでもいつになく一生懸命になって、心の中にあるロマーノへの気持ちと向き合い、丁寧に丁寧に言葉にしていく。口にしながら自分でも、ああ、そういう感じの好きやったんやあ、と驚いた。ロマーノに告白すると決めた時の必死さとは裏腹に、妙に穏やかな感情だ。そういう優しい気持ちになれるから、俺はロマーノのことを愛しているのかもしれない。
 真っすぐにロマーノを見つめると、ロマーノは視線をずらして俯いた。唇の端が僅かに持ち上がって、はにかんだような表情を見せる。

「な、何言ってんだよ……恥ずかしい奴だな」
「うん、俺も今気づいたところもあるねん。言葉にして初めてわかることもあるねんな」
「……そうかよ」

 ロマーノが乱暴に首の後を掻く。照れた仕草が凶悪なまでに可愛くて、俺はすっかり舞い上がってしまった。

「ん、でも……その、……あ、りがとよ……俺も、お前のことは嫌いじゃねぇぞ」
「ロマ……」
「でもお前が俺の世界を変えたんだから今さらだぞ、ちくしょ。昔っからてめぇは親分ヅラばっかしてきやがって」

 ああ、雲行きが。

「でも、お前のそういうおせっかいなところも悪くねぇって言うか……また養われてやっても良いと思っているぞ」

 ふふん、と腕を組んで居丈高に笑うロマーノの無邪気な言葉は、今までにも再三繰り返されてきた言葉だ。毎回、鈍感なふりをして聞かなかったことにしている言葉。それは何も養いたくないという意味ではなくて。もちろんそんな余裕があったら、俺だって一も二もなく迎え入れているのだけれど。
 ああ、それでも! 状況が違ったなら今すぐにでも家においでと言ったかもしれない。それが俺に永久就職したいっていう意味ならば!

「アメリカの奴、稼いでいるわりにケチくさいんだよ。掃除しろとかメシを作れとか、普通の仕事ばっかさせやがって。やっぱスペインが一番だな。馬鹿弟も全然頼りにならねぇしよ」
「うんうん、親分はカルボナーラよりもロマの作ったアラビアータのほうが好きやなあ、こう……小悪魔的な感じで。刺激的やし、むっちゃ可愛え味がするわ」
「可愛い……? ふ、ふん! そこまで言うなら今晩作ってやらなくもねぇぞ! 感謝しろよ! ちくしょーめ!」

 一体今のどこに照れる要素があったのかは謎だが、ロマーノが流されてくれたので良しとしよう。
 しかし、そんなことより、こうも言葉を尽くして伝えても伝わらないなんて。そっちのほうが一大事だ。日頃から鈍感だ鈍感だと言われてきたが、もしかして俺の鈍さがロマーノにも感染ってしまったのだろうか。だとすれば責任重大だ。ただでさえイタリアにシエスタを覚えさせたと白い目で見られるのに、この上、鈍感とまできたらドイツに何を言われるかわかったものじゃない。
 いや、でも言い訳をさせてもらうならば、ロマーノの場合は元々そういうところがあった。聡いようで妙に察しが悪い時があるのだ。

「……んー、一体どうすればわかってくれるんやろ」

 歌を歌えば良いのだと、昔誰かが言っていた。その話が本当ならば、俺はすでにロマーノには歌を捧げている。ギターを搔き鳴らしてロマーノのために歌い上げれば、いつも頭突きをお見舞される応援歌だ。
 うーんうーん、しばらく唸って考える。
 直球もダメ、情感たっぷり詩的に表現してもダメ。だとしたら。

「…………なあ、ロマーノ。俺の手を握ってほしいんやけど」
「手? ……何でだよ。何か企んでいるのかよ」
「ロマーノのことが好きやねん」
「さっき聞いた」
「そう、せやから手を握って」

 訝しげな顔をしたロマーノが盛大に眉をひそめる。それを下から覗き込むように見つめていたら、俺がひかないことを悟ったのか、渋々といった風に手を差し出してきた。
 手の甲を向けて突き出された右手を取って引き寄せる。さほど抵抗もなくロマーノの身体が俺の腕の中に収まった。

「何だよ急に」
「うん、あんなロマーノが好きやねん」
「……今日はいやにしつこいな」

 右手でロマーノの背中を支えて、左手でロマーノの右手を掴む。足を一歩踏み出して彼の両足の間に踏み込めば、密着した身体からふわりと香水の匂いが漂った。

「そんでな、キスしてほしいねん」

 ロマーノの目が見開かれる。
 このまま月まで連れて行って、一緒に星の間を遊んでいたいような。そういう、今のロマーノには思い浮かびもしないようなことなんだ。俺の好きっていうのは、そういうあり得ないような類の好きなんだ。
 どうか伝わってくれ。

「つまりな愛しているってことやねん」

やっかいばらい

2017.02.06

「はあああ……今日も何とか耐えたけど、ほんま毎日いい加減にしてほしいわ。……一体いつ俺は殺されるんやろか」
「何だい、スペイン。勇ましいこと言っちゃって」

 ノックはもちろん気配すらなかったが、唐突に声をかけられても驚くことはしなかった。精神がすり減っていて、ひたすらに想い続けてきた彼のこと以外に心を動かす余裕が、今は全く欠片も残っていないのだ。
 ソファに座り無造作に開いた膝に肘を突いて頭を抱えた姿勢のまま、視線だけ上げて扉の方を見やる。予想通りフランスが右肩を壁に寄りかからせて立っていた。その端正な顔立ちを下世話な笑みで歪めて、腕を組んでいる。そうしていると女性受けの良さそうな整った顔が一気に軽薄なものになるのだが、もったいないなどとは言ってやらない。スペインにとってはそれこそがフランスの本質だったし、それにフランスだってスペインにそんなことを気にかけられたくはないだろう。

「生きるか殺されるかだなんて物騒じゃん。どうせロマーノのことでしょ」
「フランス……」
「お前らってまだ付き合ってないんだっけ?」

 答えなんてわかりきっているのにわざわざ聞いてくるから嫌になる。それを確認することで打ちのめされるスペインを見て楽しんでいるのだ。本当に趣味の悪い隣人である。
 スペインがこんなに想っていても、まるで気持ちに気づいてくれない子分とどちらが残酷だろう。

「当たり前やろ。ロマーノが俺のこと好きになるわけないやん」

 殊更きっぱり口にしたのは、人から言われるよりは自分でもよくわかっていると認めたほうが傷が浅く済むからだ。この期に及んでプライドを守ろうとする自分の浅はかが少し笑えた。

「ないかどうかは知らないけど、」
「ないんや」

 余計な期待を持たないよう続く言葉を遮って否定する。

「あいつは昔っからほんまに無防備なんや。そらそうやんな。こぉんな小ちゃい頃から面倒見とった親分相手に、今さら何の警戒がいるねん。リビングでくつろいでたら肩に寄りかかってきたり、俺の前ではひとりで歩けへんぐらい酔っ払ったり……挙句さあ寝ようと思ったら裸でベッドに入ってくるんやで。そんなん、気持ちのある男相手にすることちゃうやろ」

 後半は自分に言い聞かせていた。

「親分やと思っているからこその距離なんや」
「へーよくそんな状態で聖人気取っていられるね。据え膳ってやつ? でもそんな我慢しているからロマーノだってお前のことを親分と思うしかないんでしょうに」
「……俺やって男や。しゃあないやろ」

 彼の信頼を裏切っているのだと暗に責められたような気がしてため息を吐く。
 あの子から親分としか思われていないことはよくよくわかっているのに、未だ未練がましく想いを断ち切れなくて日々理性をすり減らしている愚かさと、そのくせ恋心が美しいだけでは済まされない邪悪さには頭を抱える。それでも、みっともなく叶わぬ恋を嘆くわけにもいかない。だから開き直るしかなかった。

「懺悔なんかしても足りへんのはわかっているけど……」

 言外に、お前も男ならわかるだろう、と含ませたつもりだが、意外にもフランスは優しげな眼差しを向けてきた。

「……何やねん」
「いやあ、お前の不器用さが一周回って可愛く見えてきて。俺もノロケを聞かされすぎて焼きが回ったんだな。このまま胸焼けで気が狂う前に決着をつけてほしいところだ」

 何て? 誰が可愛く見えたって? 気色悪いことを言うなと顎をしゃくるが、続けられた言葉はさらに難解なものだ。誰が何のノロケを言ったって?!
 怪訝に眉をひそめる。しかしフランスはスペインのことをからかうつもりはないようで、妙に穏やかな表情をしていた。それはそれで同情されているみたいで非常に居心地が悪い。

「大事すぎて手を出せないってか。そこまで拗らせちゃうと大変だよねぇ、いろいろ」
「出されへんわけとちゃうよ」
「そーぉ? でもまあわからなくもないんだよ。お前ってば、辛抱堪らなくて襲いかかっても、何やかんやでロマーノが泣いたらやめそうだもんね。甘いって言うかさあ」
「……せやから、そんなええもんちゃうねんって」
「だから大事すぎて手を出せないんでしょ」

 本当にそんな大層な話ではない。
 結局のところスペインの性質がそういう風にできているだけだった。毎日毎日、息を潜めるようにロマーノへの恋心を押し隠して何とか一日を耐えきっているように思えるし、時々本当に堪らなくなって強引なことをしてみたくもなるのだが、その実、実際にはロマーノに何かを強いるような真似なんて絶対にできないのだ。あの子の眉が少しでもひそめられることが耐えられない。嫌われたくないし、そもそも傷つけたくもなかった。それはスペインの恋とは関係のないところでだって、いつだってそうだ。だからこそ、いつも核心に触れられそうになると無理やりはぐらかして、彼には随分と呆れられている。

(……せやけど俺が勝手にやったことに、あの子が負い目を感じる必要もないやんか)

 それをヘタレと言われればそれまでなのだけれど、そういう愛し方しかできなのだから仕方ない。

「それに無理やりどうこうする趣味はないねん」
「はーほんと器用なんだか不器用なんだかわかんないよね」

 フランスが、はあっとため息をついた。それもまたいろいろな人から何度も言われてきた言葉だ。スペインは自分のことを要領が良いとも悪いとも思っていなかったが、周りからの評価によれば器用貧乏らしい。
 顔を上げているのが限界だったので、膝の上で組んで腕の中に埋めた。まるで打ちのめされたボクサーみたいだ、なんて他人事のように思いながら最近は毎日のように感じている精神的な疲弊に浸る。一体いつからロマーノのことを愛してしまったのだろう。何度も反芻するが、どうしても思い出せないのだ。

「……だよな、っておい、聞いてんの?」
「…………聞いてへんかった。もっかい言うてや」

 自分の思考に悪酔いしていたせいで、熱心に語られるフランスの言葉も聞き流してしまった。平然と二度目を要求したが、彼は嫌がるそぶりも見せずにもう一度はっきりと口にしてくれた。それはスペインに聞かせたいからだろう。決して逃げを許さないように。これ以上、自分の目の前で無粋な両片想いなんて見せつけてくれるなと釘を刺すように。強い口調だった。

「なんであいつも誘っているって思わないのかなあ。お前の中でロマーノってそういう子なの? 親分相手にベタベタ甘えるタイプなわけ?」

 どうやら随分と馬鹿馬鹿しい話をしているらしい。

緩やかな檻はゆりかごに似ている

2017.01.13

「スペイン兄ちゃんのところに行くの?」

 独立してから一度も顔を見せていないから、ちょっと遊びに行ってくる。そう告げた時の弟の反応が予想と違っていたので、ロマーノは面食らってしまった。眉が上がり、唇は大きく歪む。ベッラの前ではしない表情だったが、奇妙な形に歪んだ眉がロマーノを表情豊かに見せていた。もっとも、元々ロマーノは感情表現が豊かなほうだ。良くも悪くも自分を取り繕うということをあまりしない。
 一方、日頃から朗らかなはずのヴェネチアーノは硬い表情で、百面相で忙しい兄の表情筋を眺めていた。どことなく上の空のようにも見えた。何かを思案しているのかもしれない。
 いつもは子どもっぽいとすら思うほど天真爛漫な弟の、大人びた憂いのある面差し。それはざらっとしたもので触れられるような、あまり好ましくない違和感を与えてきた。
 ロマーノは一層きつく眉を寄せて問うた。

「何だよ、俺が休みの日に何しようと勝手だろ。文句あんのか」
「ううん……文句は、ないんだけど」

 文句はないんだけど思うところはある。そういうことだろう。

「……文句ないなら良いだろ」
「うん……ああ、いや、ねぇ兄ちゃん。スペイン兄ちゃんちにはひとりで行くの?」
「そのつもりだけど……」

 質問の意図を計りかねて怪訝に眉をひそめる。ヴェネチアーノの思考が読めない。暫し考えるも、ロマーノには答えが掴めなかった。

「もしかしてお前も一緒に行きたいのか? まあ、お前ならいきなり行ってもスペインの奴も喜ぶだろうけど、」
「ううん、そうじゃないんだけど」
「…………」

 言葉尻に被せるように否定されて、何とも言えぬ心地になった。スペインが弟のことを可愛がっていることを知っているだけに、そうもきっぱりと断られるとスペインに対して同情めいた感情が込み上げてくる。もしもここに彼がいたらしおしおと打ちひしがれていたのだろう。そう思うとやるせない気もする。別にスペインがヴェネチアーノに遊びに来いと誘ったわけでもないのに。
 ロマーノがスペインの家に遊びに行くと決めたのは今朝のことだった。たまたま夢に見たから、今日は休みだし会いに行こうと思い立ったのだ。そうやって何の連絡もなしに押しかけてもスペインは嫌な顔ひとつしないだろう。ああ、ロマーノよう来てくれたなあ、いつまでこっちにおれるん? とにこやかに出迎えてくれるに違いない。そこに弟がいたところで、やはりスペインは歓迎する。むしろ兄弟ふたり揃って楽園だと喜ぶかもしれない。
 つらつらとここにはいない元宗主国に思いを馳せていたら、ヴェネチアーノが言いにくそうに切り出した。

「兄ちゃんは平気なの?」
「何がだよ」
「何って言うか……兄ちゃんたちって、その、……二国だけの世界っていうか、そういう感じだったじゃん? まだイタリア国内のことも落ち着いていないのに急に会いに行って大丈夫なのかなあ……って、思って」

 そこまで説明されても未だヴェネチアーノの懸念が理解できないロマーノは、はあ、と気のない返事をやった。
 だって、大丈夫も何も。

「イタリアはイタリア、スペインはスペインだろ。それがどうしたって言うんだよ」

 それに対してヴェネチアーノが声にはならない曖昧な音を喉奥から漏らして、やがて諦めたようにため息をついた。
 
 
 
 すっきりしないヴェネチアーノをイタリアに置いてスペインへとやって来たロマーノを、彼は予想通りに歓迎した。夢で見たから会いに来てやったぞ、ぶっきらぼうに言えば感激したように声を弾ませて、夢に見るほど俺のことが恋しかったん? などとのたまっている。その表情は至っていつも通りのもので、ロマーノにはよく見慣れたものだ。一体、ヴェネチアーノが何をあんなに渋っていたのかと少しおかしくなるほどに。

「あいつ、やっぱ寝ぼけていたんだな」
「ん? 何か言った?」

 ロマーノのひとり言を拾い上げたスペインが首を傾げている。何でもねぇよ、そっけなく返してもスペインは気を悪くする風でもなく、むしろ今まで以上にニコニコとして目尻を下げた。つれなくされて笑うなんておかしな奴だ。しかしロマーノは僅かに眉間の皺をつくっただけで文句を言う気もなかった。スペイン相手にいちいち腹を立てても仕方ない。彼はこういう奴なのだ。ロマーノが怒鳴ろうが嘲ろうが、謝ろうが礼を言おうがニコニコニコニコし倒す。それはたぶん、ロマーノがどう思っているかなんて関係ないのかもしれなかった。

「お前は俺が泣き出しても笑ってそうだよな……」
「まさか、そんな薄情なわけないやんか」
「ふうん」
「ほんまやで! 親分、めっちゃお歌を歌ってロマーノのこと励ますんや! がんばれロマーノ〜泣くなロマーノ〜、ってな!」
「いらねぇよ……」

 呆れて目を眇めてもスペインはますます眉をへんにゃりと下げて微笑む。穏やかな口元や柔らかな目尻は平素のやんちゃさが鳴りを潜め、幸福に満ちあふれていた。だからと言ってロマーノにまで彼の幸せが伝播するわけではないのだが、まあ毒気が抜ける、ぐらいの効果はある。はあっと息を吐き出してソファに背を押し付けた。
 何を考えているのか計り知れない、と言わるスペインの笑顔だが、ロマーノにはわかりすぎるほど理解できる。今の笑顔は、ロマーノが来てくれて嬉しいわあ、だ。むしろそれしかない。邪気がなさすぎて空恐ろしいとは、彼の悪友の言だったか。

「……二国だけの世界、なあ」

 確かに一時期はスペインとばかり一緒にいた気がする。でもそれは世界情勢の問題で、何かがあったわけではない。ロマーノにしてみれば、スペインの下にいるのは気楽だし甘やかされ放題だしで、待遇が悪くなかっただけなのだ。

「むしろ養え、スペインこのやろーがって感じだよな」
「ロマーなあなあ今日はうちに泊まって行くやんな? いつまでおれるん? ロマーノの部屋、ちょっと掃除できてへんから、俺の部屋で一緒に寝ぇへん?」
「……何で俺がお前と一緒に寝なきゃいけねぇんだ、はげ!」

 罵倒文句ですら愛おしいのか、はげてへんよぅ、とヘラヘラしている。ダメだ、救いようがない。
 こんな何も考えていないような奴に弟は何を警戒しているのだろうか。ロマーノは不思議で仕方なかった。スペインなんて絶対に危害を加えてくるわけがないし、ロマーノがそこにいるだけで浮かれすぎて笑顔をやめられなくなるような男である。

「なあ、お前大丈夫なのか?」

 そう言えば弟が気にしていたと思い出して、直接本人に聞いてみた。口に出してみると、ますます一体何が大丈夫なのかと疑問が過るが、スペインは朗らかな笑顔のまま頷く。

「大丈夫やでー」
「そうか」

 だったら良いのか。でもじゃあやっぱりヴェネチアーノの懸念は杞憂だったんだな。一体何をあんなに渋っていたのか結局わからないままだけど。
 まあきっと、馬鹿弟だからだな、脈絡もなく結論づけて考えるのをやめた。
 ロマーノの長所は物事の本質を見極めてブレないところにあったが、短所はそれだけに満足して文脈を顧みないところだろう。だからスペインのことを害のない男だと平気で決めつけられるのだ。だってスペインは自分のことを愛しているし、可愛がっている。だったら何も害がない。それがロマーノの理屈だ。

「なあなあロマーノ、今日一緒に寝てもええ? ええやろ?」

 思考を中断されて眉をひそめる。

「寝ないって言ってんだろ」
「一緒に寝るだけやん。俺のベッド広いで? 一緒に寝たら楽しいで!」

 スペインはたいていのことには拘らない男だったが、今日は珍しくしつこく食い下がってきた。何度話を逸してもしつこいその様子に、いよいよ断るのも面倒になったロマーノは、わかったわかった、と投げやりに頷いた。

「ったく、今日だけだからな!」
「ありがとぉ、ロマはほんまにええ子分やなあ」

 にっこりと笑うスペインにまたも毒気を抜かれる。それもまたロマーノの悪癖だ。そうやって流されるままにスペインのほうへと引き寄せられて、考えることをやめてしまう。

 果たして、男に邪気がないからと言って下心がないとは限らない。ニコニコと笑顔でいるからと言って、何の激情もない抱えていないわけではないのと同じように。ロマーノがそれを学ぶ時はすべてが後の祭り、つまるところ手遅れなのだが、この時はまだいっそ微笑ましいような気持ちでスペインの笑顔を見ていたのだった。

たぶんこの後付き合う

2012.06.06

してないけどえろ会話注意
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