リモンチェッロ

 食後の一服に煙草の箱へと手が伸びたのは、ほとんど条件反射のようなものだった。深く考えず中から一本取り出し、口に咥え、ライターを取り出す。珍しかったのは、いつも興味なさそうにしているロマーノの視線がスペインの所作を追いかけるように動いたことだ。文句を言うでも呆れるでもなく、じいっと琥珀色の瞳が向けられる。

「何?」
「べつに」

 煙草を咥えたまま問えば、そっけない返事があった。その表情からは何を考えているのか読めなくて、スペインはそっと首をすくめた。他の誰かが相手だったなら、見とれてもうた? と軽口を叩けただろう。何も言えなかったのはロマーノの眼がきれいすぎるせいで、静かに瞬きをしているだけではっとするような強さを感じてしまったせいだ。
 あまりにロマーノが見つめてくるのがやりにくくて、僅かに身じろぎ脚を組み替えた。
 となりのテーブルについた客が吹かす安っぽい煙草の煙が漂ってくる。来店してから二本目の煙草だ。それに刺激されたのか、唾液がじわりと滲み出る。食後の一服はうまいだろう。

「……煙草、嫌なん?」

 どこもかしこも健康志向、禁煙万歳の世界情勢で、隣国に出向く時ですら気をつかうヘビースモーカーにとって、ここナポリはとても居心地が良かった。歩き煙草すら見咎められる昨今、この街はまだまだ喫煙者が多い。特にロマーノが連れて行ってくれる店は分煙すらしていないようなところばかりだったから、彼がスペインの喫煙を嫌っていると思っていなかった。
 まどろっこしい探り合いは苦手だから単刀直入に聞くと、今度はロマーノが首をすくめた。

「べつに。おまえの肺が真っ黒になろうが、俺の知ったことじゃねぇし」
「ひどー!」

 さらりと言ってのける子分様にわざとらしく嘆く。とは言え互いに本気ではないから、ロマーノも鼻を鳴らすにとどまった。
 初夏の昼下がり。屋根もないテラス席を真上にのぼった太陽が照り付けてくる。じりじりと頭が焦がされていく。今年も暑くなりそうだ。食後で代謝が良くなっているのも相まって、じわりと汗ばむのを感じる。ロマーノも自身のシャツを引っ張って、パタパタと風を送っている。大きく開いた胸もとが見え隠れするのに、視線がはがせなくなった。

「……この後、ロマんち行ってええ?」
「別に良いけど。シエスタか? 客室は用意してねぇぞ」
「うんー……」

 ロマーノの寝室で寝るしええよ、と言いかけた言葉は呑み込んだ。ちょうど若い男の店員がテーブルの横を通り過ぎようとしたのを、ロマーノが、あ、と声を上げて引き止めたからだ。

「あ、おい! リモンチェッロをー……」

 男が伝票を取り出す間に、スペインおまえは、と聞かれて、じゃあ俺も、と返した。ロマーノが、ふたつ、と続けると、かしこまりました、と踵を返して去った。
 それを眺めながら、咥えたままの煙草のフィルターをがじがじと噛み潰す。言いかけた誘い文句をどうしてくれようか、頭をひねった。

「……ライターならケツのポケットに入れてたぞ」
「え?! あ、そ、そうやったかな」

 軽く腰を浮かせてポケットを叩くと固い感触があった。そう言えば出て来る時に無造作に突っ込んだ気がする。真剣に探していたわけではないが、一応礼を言いながらプラスチックの使い捨てライターを取り出す。かと言って煙草を吹かす気にもなれず、手持ち無沙汰にカチャカチャと火をつけたり消したりを繰り返した。

「お待たせしました」

 店員が小さなリキュールグラスをふたつ携えて来た。ロマーノの瞳の色よりも黄色がちなリモンチェッロが注がれていて、薄切りのレモンが一枚浮かんでいる。

「よう冷えてんなあ」

 キンキンに冷えたリモンチェッロに口をつけると、舌先にレモンの皮のほろ苦い風味が広がった。一気に飲みほすと頭が痛くなるからちびちびとやりながら感嘆の声を上げる。うまいと言えば、ロマーノが得意げに鼻を鳴らす。彼は自国のうまいものを褒められるのが好きだった。

「当然だ」
「はー汗ひいてくわ」
「ついでに煙草も控えられるだろ」
「はは……せやなぁ」

 わざとらしくおどけた表情をつくりながら、あいまいに頷いた。なるほど、確かによく冷えたリモンチェッロは、安っぽい紙煙草に火をつけることを後ろめたくさせる。煙をのむぐらいなら消化を助ける食後酒をのめ、ということなのだろうか。スペインのこの昼の一服はお預けになったのだからロマーノの思惑通りだ。
 スペインがすべて飲みほしたのを見届けてから、ロマーノもリキュールグラスを呷った。ぐいっと上がった顎、上下に動く喉もと。惜しげもなく晒されたシャープなラインに汗が一筋流れていった。
 喉を鳴らしてリモンチェッロを飲みほすロマーノに、自然とスペインの喉も鳴った。太陽の光にさんさんと照らされた健康的な肌が、見慣れたものより艶っぽく見えてぞくりと肌が粟立つ。

「……何だよ」
「べつに」

 怪訝な顔をしたロマーノに睨まれた。先ほど彼に返された言葉をそのまま口にする。ますます眉をひそめる彼を置いて席を立った。

「あっ、ちょ……おい! スペイン!」
「払っとくから先帰っててー」

 ひらひらと伝票を持った手を振りながらレジへと向かう。どうせ彼も今日は飯をたかる気だったのだろうから、ちょうど良い。
 何でも良いから早く帰ってあの肌をまさぐりたいと、そればかりを考えていた。
 
 

 
 
 ナポリにあるロマーノの家は、弟と暮らすローマの自宅とは違い単身者向けの狭いワンルームだ。合鍵で開けてほとんど押し入るように上がり込むと、一緒に帰宅したロマーノが焦ったような声を上げた。構わず彼の手首を掴み引き込んで、ガチャンと音を立てて閉まる扉へと押し付けた。
 身をよじって逃れようとする体を押さえ込み、強引に唇を重ねる。はじめは戸惑うようにされるがままだったロマーノも、やがて抵抗を諦めて体から力を抜いていった。閉め切った室内は外よりも暑くて、すぐに汗が噴き出す。服の中がじわりとべたつく感覚が不快で眉をひそめながら、ただひたすら目の前の唇を味わった。

「はっ……んン、ちょ……んむぅ」

 ぴったりと唇を重ね合わせて、息継ぎごと呑み込むように深く貪る。はっ、とどちらからともなく漏れ出る甘い吐息にどうしようもなく興奮した。吐く息が熱くなっていく。
 玄関先は一層濃度を増して、湿度が上がる。互いの唇に吸い付く音がよく響いた。べろり、ロマーノの口端を舐めて下唇に歯を立てる。

「ひぅ……ッ! あ、あァ、っくぅ……ん」

 水の中から顔を出すように、顔の角度を変える度に必死になって息継ぎをするロマーノがいじらしい。しかしその空気を取り込む間も待っていられなくて、追いかけるように唇を重ねれば、あっという間にはくはくと息を上げてしまう。
 不思議とロマーノの口内がいつもより甘く感じて、その原因を探るように執拗に舌を絡ませてしまう。ガツガツと深く唇を合わせようとして歯がぶつかる。その痛みさえも刺激になって、余計にふたりを煽った。互いの舌を求め合うように擦り合わせて、引きずり出して吸い付いて。貪るほどに彼の唾液が甘くなっていく。
 手首を握りしめた手のひらにじっとりと汗が浮き出る。滑らないようにと強く握れば、腕の内側に筋が浮き上がった。親指の腹で、ロマーノの脈を感じる。その速度がどんどん速くなっていることに優越感を抱いた。

「あっんぅ……ぁ、っま……くっ……ぁ」

 甘い声を上げたロマーノが頭を振りかぶろうとする。体全体でのしかかって抵抗を押さえ込む。薄いシャツ越しに彼の体温を感じた。同じようにスペインの自分ですらどうしようもなくなっている熱が彼にも伝わっているのだろう。
 酸素が足りないせいか、やがてロマーノの膝ががくがくと震えだした。力が抜け、ずるりと体がずり落ちそうになる。それを引き上げるように手首を扉に縫い止め直して、彼の脚の間に膝を割り入れ腿で股間を押し上げた。ジーパンの中にすっかり熱がこもっているのを感じて、さらに欲が昂っていく。
 鼻先が擦れ合う。焦点が結べない至近距離で、そっとロマーノの顔をうかがった。彼のまぶたは薄ぼんやりと開かれていた。しかし欲にとろけきったような琥珀は何も映していないようで、ただぼんやりと宙へ向けられている。
 彼も同じように感じているのだと思えば心臓が高鳴って、理性は意識から遠いところへと追いやられた。

「はっ……、ロマ……ロマ」

 ぽってりと熱を持った唇がひりつくのを無視して、うわ言のように名を呼べば腕の中の体がびくびくと跳ねる。目まいがするほどの昂揚感に、燻っていた体内の熱が勢いを増した。
 ぎゅっと目を閉じれば、先ほど店で見たリモンチェッロを煽るロマーノの喉もとが浮かび上がってくる。明るすぎる太陽の下、露になったロマーノの首筋や顎の裏側のラインに汗が伝って落ちる。強すぎる太陽の光がフラッシュを焚いた時と同じように、その光景をスペインのまぶたに焼き付けた。

「ぁぅ……っ! ぃあ……ッ、ン、痛ぁ……!」

 不意に込み上げてきた衝動のまま首筋に噛み付いた。立てた歯の下、皮膚がどくどくと脈打った。太陽に照らされた健康的な彼の肌に鋭く歯を突き立てる。ふーふー、と自身の鼻息が獣じみて荒いのを自覚させられた。
 食らいついた首筋はそのままで、シャツの中に指先を忍ばせる。

「ぁ、まっ……まっ、てぇ……っくぅ、んン!」

 脇腹を撫でるとくすぐったそうに身をよじったくせに、胸のほうへと指を伸ばすと途端に体を強張らせる。まだ何もふれていないのに、息を詰めてスペインの次の動きを待つのだ。今までに幾度も体を重ねてきた経験から、ロマーノはちゃんと知っている。この後スペインがどれだけ自分を気持ち良くしてくれるのかを。
 そうやって期待されると意地悪心が起こる。あえてふれずにいたら彼はどうなってしまうのだろう。シャツの中で指をうろうろとさまよわせ、じいっと様子をうかがっていると、やがて彼もおかしいと気付いたのかもどかしそうに体を揺すりだした。

「ひ……ッ、あ……っ! んっ、っく……す、スペイ……ぅ」

 スペインの思惑通りに感じ入って翻弄されている彼が可愛い。そうやってされるがままになっているロマーノに、普段は表に出てこない征服欲だとか嗜虐心が刺激されて、もっともっとひどいことがしたくなる。スペインがつくり出す快感に突き落として、制御できない快楽の波に呑まれ悶える姿が見たくなるのだ。スペインは、自分の体すら制御できず儘ならなくなったロマーノが必死で縋り付いてくるのが好きだった。
 指先をくるくる動かしながらも、あえて主張する尖った乳首にはふれずにいたら、時折シャツが擦れるのだろう。ロマーノがびくびくと体を跳ねさせた。その度に脚の間に割り入れているスペインの腿に股間が押し付けられて、切羽詰まった声を上げる。
 自分自身の反応にすら追い詰められていくロマーノに仄暗い喜びが沸き上がった。

「あ……ンぁ! ぅ……もっ、や……ぁ!」

 ぎゅうっとまぶたを閉じたロマーノがどうにかスペインの拘束から逃れようとするが、首筋は噛み付かれているし、片方の手首は握りしめられ、下半身は押さえ込まれていて、ほとんど身じろぐこともできない。唯一自由な手で肩を押しやろうと突っ張るものの、その手には力が入っていなくて何の抵抗にもなっていなかった。

「ぅあ……! スペイ……ッ、スペイン! おねが、あァ!」
「んー?」
「あァああ! さ、わってぇ……ひぁ!」

 ぎゅうっと胸先を摘まみ上げると、ロマーノが極まったように甲高い声を上げて体が大きく弛緩する。顎を仰け反らせ喉を鳴らしながら、びくびくと痙攣するように震えだすが、しばらくすると呼吸を忘れたかのように静かになって、全身が硬直した。
 やがて彼の体から力が抜けて、ぐったりと扉に体重を預けていく。ぼんやりと開かれた瞳には涙の膜が張っていて、グラスに水滴がついたリモンチェッロのようだった。

「ぁ……はっ、あ……は、はあ……」
「もしかして、イってもうた?」

 そろ、と首筋から歯を外して問いかける。疲弊しきったロマーノは是とも否とも言わない。それがかわいそうで、可愛くて。堪らなかった。

「ここ、さわらんでもイってまうの?」

 股間に腿を押し付ける。ロマーノは意味のなさない声を上げた。まだ達したばかりで敏感なのだろう。ぶるぶると身震いするが、スペインの体から逃れようとはしない。力が抜けきっていて、指先ひとつ動かせないようにも見えた。

「ロマーノえっろいなぁ」

 昼間から店先で欲情しておいてどの口が言うのかと自嘲する。惰性で甘い声を上げるロマーノの耳に唇を寄せて、そっと囁く。

「な、親分も気持ち良くして?」

 虚ろな瞳が向けられる。彼の筋張った喉もとが上下に動き、ごくりと生々しく鳴った。

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