ギィギ編

 ロマーノにはお金がなかった。新米のハンターというのは装備やら持ち物やら、とにかく何かと入り用で、しかし報酬の多いクエストを受けられるほど強くもない。特にロマーノはボウガンを使用するため、弾やら何やらで剣士よりも余計にお金がかかるのだ。
 貧乏であったから小型のモンスター相手のちまちまとした依頼ばかりを中心に請け負い、拾えるアイテムは拾い集め、依頼主からの支給品は例え使わないものでも全て持ち帰って売り払うという涙ぐましい努力をしていた。少しでも足しになれば……ただその一心で、ハンターという華々しい職種でありながら地味で面倒な雑用を日々こなしていたのだった。

「凍土?」

 ロマーノが初めて聞いたと言わんばかりに、スペインのその言葉を繰り返した。

「そ。めっちゃ寒いとこなんやけどな、そろそろ行っとかんと、これから受けるクエストの中には氷属性のアイテムも必要になってくるし」
「そうなのか」

 百戦錬磨のハンターのようなスペインの言葉に、ロマーノはあっさり納得したようだ。出かけるにあたって必要なアイテムや目的を二、三確認し用意を始めた。スペインがそれに答えてやると頷きながら、それじゃあ簡単なやつ探してくると言って、クエストカウンターへと体を向けた。

「あ」
「ん?」

 思い出したようにロマーノが振り返った。

「てめー今度こそ採集手伝えよ! いつもいつも、俺が必死になって探しているの見てにやにや笑いやがって」

 目を限界まで細めて怒った顔をするロマーノが人さし指を突きつけてくるので、体を大きく仰け反らせて、あーと気のない声を上げた。
 あー、それかその話か。

「ロマーノがヤらしてくれるんやったら、なあ……」
「俺ぁ、絶対に何が何でもしねぇぞ!」

 ぎろりと睨み付けられて視線を逸らす。
 だって、仕方がないではないか。ロマーノが膝をついて草の根を掻き分け、使えそうな草や石を探している姿を後ろから見るのはなかなかに良い眺めだ。意識していないのだろうが、突き上げられた尻が動いているのが何か良い。なんて、絶対に言ってはいけないことなんだろう。

「初めて会うた時も一回してるんやし、今更やろ?」
「んなわけねぇだろ! そ、それにあれは非常事態で仕方なくだ。普通はああいうことは好きな奴としかしねぇんだよ」
「俺はロマーノのこと好きやで?」

 何のてらいもなく返すスペインに一瞬ロマーノは息を詰めたが、すぐに胡乱な目を寄越してため息を吐いた。

「……お前が好きなのはえろいことさせてくれる相手だろ。ったく、とんだエロガキだ」
「え、えっろ……?! そんなんとちゃうよー好きやからヤりたなんねんやんか! それに俺はロマーノから見たら小っさ見えるかもしれんけど、れっきとした大人やで」
「うっせー! てめぇなんか、十分にガキだろうがっ。大体、好きな奴には報酬にセックスなんて要求しねぇよ!」

 それを言われるとグゥの音も出ない。いくらアイルーはモンスターで人間とは常識が違うからと言って、確かに襲われかかっている相手の弱味につけ込んでセックスさせろと言うのは、あまりにもあんまりだってことはわかっている。そこを突かれると痛いのだ。
 黙り込んだスペインにロマーノはふんと鼻を鳴らすと、今度こそ受付の女の子に声をかけに行った。
 ほとんど押しかけオトモとして無理やりロマーノと行動を共にし始めたスペインは、元々、様々なフィールドを駆けてお金になりそうなアイテムを集め生活をしていただけあって、新米のロマーノよりもこの辺りのことには詳しかった。敵となるモンスターの生態から、そのフィールドの特性、必要となるアイテムなどなど、初めはスペインを懐疑的な目で見ていたロマーノだったが、最近では素直にそのアドバイスを受け入れるようになっている。
 全面的な信頼には程遠いが、少なくともクエスト中は頼りにしているらしく、大型のモンスターやジャギィの群れに遭遇した時などは「スペイン、何とかしやがれこのやろー!」と呼びつけてくれる。……それが頼りにされている、と言えるのかどうかは、少しばかり微妙なところであるが。
 ロマーノもボウガンの腕前は確かなのだ。もっと落ち着いて戦えば良いのに、パニックに陥ってスペインを置いて逃げてしまうこともしばしばあった。

(まあ、そういうとこが可愛えんかもしれんけど)

 受付の女の子の前では愛想の良い笑顔を振り撒き「君のおすすめはどれ?」だなんて、まるでカフェにでも入ってナンパでもするかのようなことを言っているロマーノを見ながら、スペインはため息を吐いた。
 スペインはアイルーの青年だ。頭の上にある大きな三角の耳は、よく周囲の音を拾うべく常にぴこぴこと動いていて、その耳と同じ茶のまだら模様の毛皮を着ている。本当はこの装備もロマーノに買い替えてもらいたいところなのだが——現状を思えばとてもねだれそうにない。
 褐色の肌、くりくりした緑の瞳にまるい頬、ロマーノの肩ぐらいまでしかない背丈。人間であるロマーノから見ればまだ十代前半の少年のように見えるらしく、先ほどのように「ガキが何を言ってやがる!」などとよく怒られるのだが、こう見えてアイルーとしては立派に成人である。

(そのガキに簡単に押さえ込まれるくせに、なあ)

 カウンターに肘をつき、身を乗り出して盛り上がっている己の主人を見ながら、「つれへんなー」とぼやいた。
 本当に一体、何がどうなってそうなったのやら、ひと月ほど前にハンターとしてデビューしたロマーノは、その映えある初めてのクエストでジャギィの群れに囲まれ襲われた。ただ侵入者として敵視され攻撃されたというわけではない。発情したジャギィに、その性欲をぶつけられたのである。
 寄ってたかって体中を突つかれ、抵抗すれば神経を痺れさせるおかしな霧を吐かれた、とは後から聞いた話である。
 おかげでロマーノには今でもジャギィにはトラウマのように苦手意識があるらしく、小型の雑魚モンスターであるはずの彼らに遭遇すると一目散に逃げるかスペインの後ろに隠れて任せきりだ。
 そんなロマーノの一大事を助けたのがスペインである。アイルーと言うのは日々、お金を稼ぐために働くモンスターなので、スペインもご多分に漏れずロマーノを助ける代わりに対価を要求した。
 さて、ジャギィの群れに犯されるか、得体の知れないアイルーの言うことを聞くか。
 ロマーノにとっては少しも状況は良くなっていない。相手がモンスターそのものでしかない見た目のジャギィの群れから、まだ人間の言葉の通じるアイルー一人になっただけだ。しかし、半端に熱を煽られて理性が飛び、判断能力も落ちていたロマーノが選んだのは後者だった。
 あの時は、わりとあっさりその要求を受け入れ、それどころか自ら求めてすらきたのだ。
 だと言うのに。

(あれっきり、やもんなあ)

 ロマーノに一目惚れしてオトモをしているスペインにとっては、少しばかり辛い禁欲生活が続いている。初めて会った時は快楽に流され淫らに乱れていた彼は頑なで、体にふれることすら許してくれない。同じ家で生活し、すぐそばで眠っているというのに一切の手出しをしてはいけないというのは、わりと辛いことではあった。

「なあ、おい。スペイン。ホットドリンクってあるか?」

 いつのまにか傍まで来ていたロマーノに声をかけられ心臓がドキッと跳ねた。それまで考えていた内容が内容だったのでスペインは素っ頓狂な声を上げて振り仰いだ。

「へ?」
「ホットドリンク。今切らしてんだ」
「前、夜に砂漠行った時にもろたやつは?」
「……売っちまった」
「えええ! ほな、トウガラシは? 調合したるよ」
「…………売っちまった」
「ほんまかー……ああ、でもアイテム屋で売ってるんじゃ……」

 その時チラリと思い浮かんだことは褒められたものじゃない。魔が刺したとしか言いようがなかった。ロマーノにバレたら絶対に怒られるし、下手したら口を聞いてもらえなくなるかもしれない。それでも煮詰まっていたスペインには抗えない誘惑があった。

「あ、俺持っとるわ。ちょっと待っとってー農場にあんねん」
「おお、サンキュ」

 少しすまなそうにしながらも助かったと礼を言ってくるロマーノに罪悪感がちくりと刺激されたが、それ以上に抑え難い好奇心がむくむくと燃え上がっていて、どうしても思い留まることができなかった。

 凍土とはその名の通りその寒冷な気候のために凍てついた大地のことで、年中吹雪が吹き荒れている。生身で歩くには寒過ぎて、下手をすればそのまま眠ってしまうこともある危険なフィールドであるが、閉ざされた地域性のために独自の進化を遂げた生態系と豊富な鉱物資源が眠っていて、ハンターにとっては有用な狩り場でもある。
 人間がここに足を踏み入れるには寒さに耐性を付けておくか、ホットドリンクで対策をしておかなければならない。
 クエストを請け負ってベースキャンプへと辿り着くと、早速、スペインは用意してきたドリンクをロマーノに渡した。

「一応、いくつか持って来とるから持ち物に入れときー」
「悪いな」

 ロマーノはスペインから受け取ると、特に確かめもせず瓶を開けて一気に口の中へと流し込んだ。ごくごくと喉を通る音を聞きながら、その喉元から視線を逸らせない。

「ん? どうかしたのか?」
「い、いや、何でもあらへんよ! そんなことより何ともあらへん? あーっと、前に飲んだ時、まずいって言うとったやんか」
「そうだなあ……最近はちょっとだけ慣れてきたかも」

 必要なものだしと言いながらも顔はしかめ面で、あまり好きではないということはありありと伝わってくる。だが、特に異常を感じているわけではないとわかってほっと安堵する。

「そ、そか、それならええんやけど……ほな、行こか。時間もあるしな」
「そうだな」

 残りの瓶を荷物の中に入れてロマーノが歩き始める。スペインもその後を追って小走りに駆けた。
 ロマーノに渡したホットドリンクには、いわゆる精力剤の一種である香草を入れた。即効性はない、はずだ。一応はクエストが終わって帰る頃に効き始めるように調合した。ただの精力剤であるから、気のせいで流されないよう量は多めに配分している。もしかしたら上手いこと誘えば、触るぐらいなら許してもらえるんじゃないかという淡い期待を抱いて。

(これで女の子のほう行ったら泣けるなあ)

 だが、性欲処理のためだけに行う性行為はフェミニストな彼の信念に反しているらしい。性欲処理はだめで不特定多数の女の子をナンパするのは良いというのはどういった理由なのか、そこのところスペインにはよくわからないが、前に痛烈にそういった行為を批判していたので、その点はわりと楽観的に見て良さそうだ。

「……はっ、……はっ」

 ふと前を歩くロマーノが息苦しそうにしていることに気が付いた。まだ大して何もしていないのに早くも息が上がっている。

「あれ、ロマーノ? どうかしたん?」
「や、何でもねぇ……そんなことよりッ、ん……どこ行ったら良い、って?」
「えーとな、この先の洞窟に珍しい鉱石があるんよ。それと昔のモンスターが凍ったまま出てくることあって、これが人間に高く売れるねん」
「ああ……ッ、化石、だな……」

 鼻にかかった声が時折、漏れて聞こえる、ような気がする。しかし、吹雪がひどくて声を張り上げなければ話している内容もわからないほどだ。何かの聞き間違いかもしれない。俯いたロマーノは表情が見えなかったが、スペインは気にも留めずに雪原をさくさくと踏みしめて歩いた。
 横殴りに吹き付ける風が強いせいかロマーノはだんだんと前屈みに背を丸めていった。そうして、自分の体を抱くように腕を組む。初めは風の強さや雪のせいだと思っていたのだが、後ろから見ていると、カタカタとその肩が小刻みに震え、歩みが鈍くなっているのがわかった。

「ロマーノ寒いん?」
「……」

 毛皮を着ているスペインにはわからないが、過酷な環境だ。初めてのロマーノには辛いのだろうか。しかし、対策をしていても寒いだなんて今までに聞いたことがない。

(まさか、余計なもん入れたせいでホットドリンクとしての効果が薄いとか……?)

 さーっと血の気が引いた。思い当たった想像は妙に説得力があった。何せスペインにドリンクはいらない。彼の毛皮は灼熱の砂漠でも極寒の凍土でも自由に動き回ることができるよう、上手に体温調整をしてくれる。
 試したことのない配合で調合したのだ。何かしら不具合があってもおかしくない。
 自分の身勝手さでロマーノの身を危険に晒してどうする、どこかから声がする。ロマーノは今にも膝から崩れ落ちそうなほど頼りない足取りで、雪の中を突っ切って行こうとしていた。

「ろ、ロマーノ? ほんまに大丈夫なんか?」
「んっ、あ、ああ……」
「ほんまに? ……な、なんかおかしいんやったらもう一本ホットドリンク飲んどき。ほら」

 予備のために自分のポーチに入れてあったそれを取り出し、彼の口元へとつけた。効き目が薄いと言ったって、基本的には同じものを入れて調合しているのだから何かしらの効果はあるはず。そうだ、それに歩き始めた頃は寒そうな様子はなかった。単に持続性がないだけかもしれない。
 瓶の口をぐいぐいとロマーノへ押し付ける。そんなスペインにロマーノはわずかに眉を寄せたが、受け取るまで引かないと悟ったのか、渋々といった風で瓶を手に取り中身の液体を口の中へと流し込んだ。びくり、と身震いをする。

「ふぁっ……ふぅッ」
「ど、どや? ましになったか?」
「ンぅ、だ、大丈夫。ちょっと疲れてっ、だけだから……ッ」

 スペインの体を押しのけるように腕で払い、再びよろよろと歩き出す。しかし、その力があまり弱くていよいよ頭の中が真っ白になった。

(どないしよ……ここでリタイアさせたほうがええんとちゃうか……)

 そうこうしている間にも目的地である洞窟は目の前まで迫っている。いくらロマーノの様子がおかしいと言ったって、本人が大丈夫と言っている以上、何もせずに引き返そうだなんて納得してくれないだろう。けれど、理由など言えば嫌われてしまうかもしれない。

(と、とにかく、採掘は俺がやってさっさと帰るしかないやんな……!)

 このままでは埒が明かない。勝手に結論付けてロマーノの手首を掴んだ。スペインとしては本当に、早く洞窟まで引っ張って行ってやろうという一心だけで、他意はなかったのだが。

「ひっ、や、やだ!」

 喉をひっと鳴らしたロマーノに思いきり手を振り払われた。

「あ、そ、その……」
「ろ、ロマーノ?」
「悪い……とにかく、早く……ンっ、行くぞ」

 思わず、と言った風だった。力こそは弱々しかったが、その咄嗟の反応にびっくりしたスペインがその場で固まってしまう。パチパチと大きな瞬きを繰り返し見つめ返すが、ひどく気まずそうに視線を逸らされた。スペインから逃れるように顔を背けたロマーノ。

(ば、バレた……?!)

 スペインから受け取ったドリンクを飲んでおかしくなった、とあれば、ロマーノだって異変に気付かないはずがない。この世の絶望を突き付けられたように目の前が白黒に点滅し、こめかみに冷えた血が上った。それはここが寒いからというわけではない。その証拠に手足は変に熱くて嫌な汗をかいていた。
 どうにか弁解しようと思うのに、何の言葉も出ないまま無言で歩き続ける。沈黙が重くのしかかってくるようだ。どうしようどうしよう、と気ばかりが焦って、何も思いついていないというのに、目の前に見えていただけあって洞窟にはあっさり辿り着いてしまった。

「ろ、ロマーノ……ご、ごめん。その、俺別にそんなつもりちゃうかってんけど、じゃあどんなつもりやってんって言われたら、あの、その……と、とにかく、採掘は俺がやっとくから! あっちで休んどき?」
「え?」
「こ、これも別にヤらしてほしいわけちゃうから。いいから、ほらあっち行っとき!」

 きょとんとしているロマーノに、けれどその顔もまともに見れず、一方的に早口で言い切ってピッケルを引ったくり採掘場所へと走って行った。返事は聞きたくない。恐ろしい。
 逃げるようにロマーノから離れ、鉱石の出る岩の前まで走って逃げた。何かを言いたそうにしていたロマーノの姿を無理やり気にしないふりをして、ピッケルを振り上げ、力任せに打ち付ける。カーンと気持ち良い音が響いて岩が砕け、中から鉄鉱石が出てきた。何度も何度も繰り返していると徐々に周りの音が聞こえるようになってくる。

(まあ……ちゃんと謝らなあかんよな……)

 じわじわと冷静になってきた思考が当然の結論を導き出した。謝ったところで許してもらえないかもしれない。そんな危険なことをするオトモなどいらないとクビになるかも……元々、スペインが無理やり引っ付いていただけだから、きっとロマーノにとってその決断は容易なものであろう。

(ちょっと泣けてきた……)

 ぐす、と鼻を啜って、しかしこのままでいられるわけもない。
 ロマーノがどう思っているか知らないが、自由気ままに暮らしていたスペインが人間のオトモを選ぶと言うのはよっぽどのことなのだ。生活は一変、自分のペースでは行動できなくなるし自由だってきかない。何かあっても咄嗟に逃げるような身軽さだってなくなる。
 それでもスペインはロマーノへとついて来た。それは、好きだから。
 とにかく嫌われてもクビにされても、二度と顔も見たくないと言われても誠実に謝るべきだ。覚悟を決めたスペインは一心に振るっていたピッケルを下ろし、出てきた石を集めると無造作にポーチへと突っ込み立ち上がった。

「……ロマーノ、俺な、ロマーノに……って、あれ?」

 てっきり傍にいると思っていたロマーノは、辺りを見回してもいない。岩の影にでもいるのだろうか。

(避けられてるんやったら泣ける)

 先ほどからのネガティブな思考回路は簡潔に最悪の事態を提示してくる。しかし、ここで泣いているわけにもいかない。調子の悪そうなロマーノを連れて帰らなければならないのだ。

「……っ、ぅ……ンっ、ふっ……」

 静かになった洞窟内に吐息混じりの嗚咽のようなものが聞こえてくる。まさかスペインのあまりの所業に泣いているのではないか、焦り慌てて彼の姿を探す。
 声の聞こえてくるほうへと神経を集中させ、探っていれば、彼はスペインがいたところから死角になる大きな岩の影にいた。

「ロマーノ……?」

 声をかけると冷たい石の上に座り込み岩にもたれかかったロマーノがとろんとした瞳で見上げてくる。涙に濡れた飴色の目は情欲に満ちて甘そうな色をしていた。虚ろな瞳、その焦点は合っていない。開きっぱなしの口許からは唾液が一筋零れ落ちた。

「あ、あァ……っ、んぅ! ふっ、ぁ……ス、ペイン……ッ!」

 嗚咽と思っていた喘ぎ声に混じって名前を呼ばれた。ひっきりなしに上がる嬌声は呼吸がままならないのか時折、息苦しそうに声が詰まる。紅潮した頬は冷気に当たって赤くなったわけではなさそうだ。しかし、一体、これはどういうことだろう。

「な、んで……」

 なぜか下半身に纏っていた服は肌蹴させられていて、外へと露出した性器にギィギが食いついている。ぱっくりと覆い被さるように食いついて離れない白いモンスター。
 自分のことでいっぱいいっぱいだったスペインはすっかり忘れていたのだが、薄暗い洞窟にはこの吸血モンスターが住み着いている。他の生物の血を吸って成長するギギネブラの幼体だ。そんなものに急所と呼べるところを噛み付かれてはロマーノの体力が危ない。

「なんで、そんなとこに……? い、いや、とにかくロマーノから離れや!」

 普通、体に吸い付いてきた時には地面を転がれば、あっさり離れてくれる。と言うことは衝撃を与えれば良いのだろう。ぬるついたその身を手で叩く。

「ひぃあァっンん! あっぅ、やっめ……ッ!」
「あ、ご、ごめん!」

 食いつかれているところからギィギの体を伝って振動が響くのか、ほとんど苦悶に満ちた表情でロマーノが首を振った。きつく寄せられた眉が痛々しい。慌てて両手を挙げてもう何もしないとポーズを取れば、違うとうわ言のように繰り返される。

「ちゃ、ちゃうって言われても……やって、ロマーノ苦しそうやで」
「ちっが……ッ!」

 ひゅっと喉が鳴った。辛そうと思うのに、確かに心配をしているのに、その姿につい下半身が反応するので困る。もじもじと、どこに目線をやれば良いのか困っているスペインに気付いているのかいないのか、ロマーノはひどく感じ入った表情で息も絶え絶えに告げた。

「な、んか……ッ、おっれ、さっきから、ァっ……変で! んぅ、からだ熱くてっ」
「え、それって……」
「それで……ぇ、お前に、隠れてっ……ここで、服脱いだら、ぁ!」

 ギィギに食いつかれたと。
 居た堪れなくなったのか、ロマーノが恥ずかしそうに顔を歪めて俯いた。その間もはっはっ、と苦しそうに息を切らしている。
 しかし、それはロマーノのせいではなく、スペインのホットドリンクが効いてしまったのではないだろうか。

(……もしかして、さっき二本目飲ませたのって逆効果やったんじゃ)

 自分でも熱を持て余し、どうすれば良いのか困惑している様子のロマーノを見て、先ほどの行動が間違いであったことにようやく思い至った。どうやら計算を間違えて効きすぎているらしい。寒さの耐性への効果ではなく、スペインが隠し味(のつもり)で入れた精力剤が。
 己の失態に気付き、やってしまったと顔を両手で覆った。アイルー族の証であるもふかふかしたグローブが頬に当たってくすぐったい。なんだこのふざけた手は。今は非常時なんだと理不尽な怒りが湧いてくる。自分の手なんだけど。

「ふぅ……んンぅ ぁあ! も、やっだ、やぁ」

 辛そうに首を横に振って助けを求めるように視線を向けられる。どうにかしてやりたいのは山々だが、これではギィギはどうすれば良いのだろう。
 攻撃をすればロマーノにも響くし、かと言って下手なことをして大事なところが使いものにならなくなっては堪ったものじゃない。一応、ギィギはロマーノの体力が尽きて倒れれば離れるはずなのだが。
 と、考えて、ふっと思い至った。

「そう言えばロマーノ、さっきから体力減ってる?」

 吸血されているわりにはずっと元気である。スペインが見つける前からこの状態であったことを考えれば、これほどもたないように思うのだが。

「減って、な……ァっ! な、んか、吸われてる、感覚はあるけど……ンぅ、あァああッ! きもちい っ」

 お前もか!
 混乱しきった純粋な頭の中に思い浮かんだのはその言葉だけだった。ジャギィだけならずギィギまでも……食いついた場所が悪くて上手く吸血できていないと思いたいところだ。
 どうすれば良いものかと考えている間も、ロマーノはひっきりなしに媚びた声を上げ体をくねらせ身悶えている。決定的なものが与えられないというのは思ったより苦痛だ。

「あ、せや! 精液出してもうたらびっくりして離すんちゃう?」

 名案だとばかりに口にしたスペインに、どうやって? と縋るような視線を寄越す。目元を赤くして上目づかいで見上げるロマーノに妙な気が起きそうになって目を細くした。

「うっ……せやなあ。うーん……」

 肝心のそれはギィギが根元まで咥え込んでくれている。一応、隙間を探したが、こんな時に限ってがっつり指を入れる隙もなく食いついていて、外からはどうすることもできそうにない。

「どんな感じなん?」
「ぁ、! ど、んなって」
「いやあ、イけそうとか」

 辛そうに曇った表情から、ああ無理なんだなとわかった。スペインだってただ覆われているだけでは断続的な気持ち良さはあっても達するところまでは無理だ。まして、薬で欲情させられ感じやすくなっているはずなのに会話できる余裕があるようでは……他の刺激が必要だろう。
 ロマーノの全身を舐め回すように観察して解決の糸口を探る。中途半端に乱れた服が裸にさせらているよりも却って淫らに見える。必死で唾を飲み込もうとする度に、鼻にかかった声も喘いでいるようにしか聞こえない。時々、ぎゅっと瞼を閉じて何かを堪えるようにしている姿は、もっと強い快感を与えて溺れさせてやりたくなる。

(やっば……)

 考えている間にスペイン自身ものっぴきならない状態になっている。洞窟内に漂う濃い空気。色に淀んで酔ってしまったように頭がじんじんと痺れた。

「ぅ……ン、あ……ふっ」

 全身を強張らせて衝撃を耐えているロマーノ。肩がぴくっと揺れる度にそれに合わせてぴょこぴょこ、くるんと飛び出た癖毛が揺れた。

「……そういや、前から気になっとったんやけど、これって」
「ひっァーーッ!」

 無造作にその髪束を掴むと切羽詰まったような声を上げる。ちぎっ、と鳴き声のような堪える声が漏れ出て大人しくなったが、体が痙攣しているみたいに何度も跳ねた。

「なあ、これって……もしかして気持ち良い?」
「ん、ぁ……あンぅ!」

 返事も返せないのかぷるぷると震える姿を見て、一か八かに賭けようとその癖毛に指を這わせた。どの道、このままでは他に手立てはないのだ。
 弧を描くそれを親指と人差し指で摘み、根元から毛先へと向かってつつ、と沿わせていく。その度に電流が流れたように背を弓なりに反らせて悲鳴じみた嬌声を上げた。ぱくりと毛先を口に含み、舌先で転がしてやると瞼を限界まで開いてつま先をぴんと伸ばし力を入れている。瞳には恐怖と快楽が映ってどろどろに溶けていた。唾液で濡らした唇で挟んで今度は毛先から根元まで滑らせていくと、息を詰めて口をぱくぱくと開閉させている。

「ひっ、あぁ……! いぁ、やっだぁ! ンぁ、あああ!」
「イけそう?」
「やっ、いぃ! ぁ、ふぁっ、ぅん!」

 スペインの声が届いているのかいないのか。気持ち良さそうにしているように見えるのだが、あまりに苦しそうにしているので、実は痛いとか辛いとか、そういった感情を耐えているのではないかという気さえしてくる。しかし、抵抗らしい抵抗はないので続けることにした。

「ひぅッ、も……ッ! こわ い、こぁ……んぅ!」

 こんなところが気持ち良いなんて聞いたことがない。そのせいか、愛撫しているというよりも手慰みに弄んでいるようだ。
 口を離し、唾液で濡れて滑りが良くなったそれを人差し指に巻き付けた。

「ーーっ!!」

 面白いぐらいに体が跳ね玩具で遊んでいるような気分になる。

(いやいや、ロマーノはおもちゃとちゃうから)

 そうわかってはいるのに、人形のように力をなくしスペインの好きにされているのを見ていると、もっと好き勝手、手荒に扱って壊れる寸前まで弄り倒してみたくなる。幼稚で純粋なサディスティックな気持ちのまま、癖毛をぴんと強く引っ張った。ひうっと怯えたみたいに喉が鳴る。

「かわええ……」

 それどころじゃないってわかっているのに、つい面白くなってきて意地悪するように毛に触れたり離れたりを繰り返して焦らす。そんなスペインの思惑通りにいちいち反応するロマーノは、もどかしいのか腿を擦り合わせてもじもじと耐えている。
 唾液が垂れ、涙でぐずぐずのために顔中が濡れていて、すごい感じているんだなあと思えば愛おしいような、なんて淫乱なんだろうと驚くような気持ちで胸が締め付けられる。こうやって見るとギィギが別のものに見えてくるから不思議だ。それこそ卑猥な玩具のようで、スペインがひどいことをしているみたい。

「まあ、してるんか……」

 拒絶じみた言葉をうわ言のように繰り返しながら首を振って震える姿は、スペインが引き出しているものだ。がくがくと揺れる姿を見て限界が近いのかと察し、癖毛を強く引っ張ってくりくりと指に挟んだ。

「ぅあっ……! はっ!」

 それで達したのだろう。ぶるぶると小刻みに震えだしたロマーノが、小さく悲鳴を上げて体を弛緩させずるずると地面へ崩れ落ちた。慌てて力のない抜けた体を支え、抱き起こしてやる。

「ろ、ロマーノ?」

 同時にギィギがロマーノから離れた。と言うよりも、伸びていた。勢い良く発せられた精液を全て受け止めたのだ。驚いて気絶でもしたのだろう。

「け、計画通り……やで」

 しかし、ロマーノもぼんやりとしていて力を全て使い切ったようである。ぐったりとしていて、瞼は開いているが意識があるのかないのか微妙なところだ。
 ドリンクが効いている、とわかったところだが、さすがにこんな雪の中、眠ってしまうのは危ないだろう。何度も頬を叩いて大丈夫かを訊ねた。

「……ぁ?」
「俺のことわかるか?」
「スペイン……」

 掠れた声で呼ばれ、良かったと安堵する。ほっとしたために力が抜けて、はーと大きく息を吐いた。さっきまで興奮しきっていた頭はすっかり冷えてしまった。苦しいぐらいに先ほどから主張しているものは、まあ、後でどうにかしよう。
 ぐるぐると一人考え事をしながらため息を吐くスペインの反応に、ロマーノはびくりと肩を跳ねさせた。

「……お、お前が真面目にやってくれてんのに……俺、おれ……」
「……ロマーノ」

 思ったよりも力のない声になった。それを再び勘違いしたのか、ロマーノは顔を勢い良く上げて泣き縋った。

「ちが! 俺、いんらんって……思われたくない……!」
「……へ?」
「あんな始まりで……か、体だけに、は、なりたくなくて……ッ」
「え、ど、どうゆうこと……?」

 泣きじゃくりながらも途切れ途切れに耳に届くロマーノの言葉にすっかり思考が止まってしまった。えーと、これはそもそも俺がロマーノにそういう気分になってほしくてホットドリンクを調合したわけで、人間で言えばにんにく料理のフルコースを試してみたようなもので、それがまさかの効果てきめんしてしまったわけで……ぐるぐるとスペインが状況を整理している間にもロマーノは思い詰めた表情で、ぽつりぽつりと打ち明けた。

「お前、アイルーだろ? ……人間の常識とか知らないから……セックスは好きな奴とするって知らないって思って」
「い、いやいや! それはモンスターも同じ常識やからね!? 俺も好きでロマーノにっていうか、押しかけオトモってけっこうアイルー的にバクチやねんから!」
「へ、そうなのか?」

 当たり前だ。まして、ロマーノが熟練のハンターかと言えば……そうでもないわけで。

「お前すぐヤりたがるし……俺のこと軽い奴だって思ってるのかも」
「お、思ってへんから! ちゅーか、究極を言えばロマーノがえっちじゃなくてもええねん」

 と言うか、好きだから何でもそういう風に思ってしまうのだ。それこそ採取するためにしゃがみ込んでる姿にさえ、結び付けるような思考なのである。……それを体目当てだと思われていたのであれば、反省するしかない。今回の件も、まああるわけで。

「なんだ、そうなのか……」

 一体、この一ヶ月の間にどんな誤解をされていたのかと必死で言葉を紡ぐスペインに、ロマーノがはあと安堵からか胸の深いところから息を吐く。安心しきったような表情に誤解が解けたなら良かったとスペインは頷いた。

「ん? でも、なんでそんな心配するん?」

 顔を覗き込むと、ロマーノの頬がぱっと赤くなった。

「え?」
「ち、違うぞ! す、好きとかそういうんじゃ……」
「え……? え、え?!」
「勘違いすんな! お前のことはクエストにやたら詳しいガイド程度にしか思ってねぇんだからな!」
「し、知っとった! 知っとったけど、はっきり言われたら傷つくやん!」

 自分でそうなのかなと思うのと、面と向かって本人から言われるのとでは、衝撃も重みも全然違う。ただただ悲しくて、しおしおと肩を落とした。
 あからさまに落ち込むスペインにロマーノは、腕を組んで偉そうに続ける。その顔は真っ赤で全く決まったものではなかった。

「た、ただ、お前に触れられるのは、き、嫌いじゃないから、それだけだっ」
「……ロマ、それって……?」
「るっせー文句あるのか!」
「ないで! 嬉しい! ロマーノ!!」

 嬉しさのあまりに抱き付いて、頬ずりをする。外気に晒され続けて冷たくなったロマーノの顔が熱をもった頬に当たって気持ち良い。

「ま、まだ! ぜ、全然好きとかそういうんじゃ」
「うんうん、ええねん。俺待つの得意なほうやで」

 当たり前のように好かれるつもりでいてんじゃねー、とロマーノがぼやいたが、その声はあまりに小さく力のないもので、そんなもの答えが見えているようなものではないかとスペインは思った。
 こういった性的な接触が平気、ということは、けっこう良いセンいっているのではないだろうか。上機嫌でロマーノに頬ずりしながら、何度も好き好きと繰り返した。

「だ、だからっ! その、何でもかんでもヤりたがられると、困る」
「うんうん、わかった! 今度からはじちょうする!」

 本当に大丈夫なのかと胡乱な目で見られるが、とはいえ言っているだけで一ヶ月も我慢しているぐらいだ。それぐらい、けっこう大したことじゃないのだろうか。

「……まあ、俺も人のこと言えないんだけどな」

 ぽつり、と呟かれてスペインはびくり、と背筋が伸びた。

「なんで普通に採掘に来て、こんなことになったんだろうな」

 はあ、とため息を吐くロマーノに、恐る恐る顔を上げて様子を窺った。

「……というか、そ、そのー」

 言いにくそうに切り出したスペインに、ロマーノが大きな目でどうした? と問いかける。その純粋な疑問符が今は辛い。

「ホットドリンクやけどなー……あのー、怒らんとってくれる?」
「? おう、どうかしたのか?」
「あれなー……ちょっと俺、配合の時に手ぇ加えたっちゅーか……ちょっと、ちょっとだけやで! 精力剤的な? 葉っぱ入れたっちゅーか」

 しどろもどろに自分のしたことを告白し、すうっと息を大きく吸い込んで「ごめん!」と謝る。

「まさかこんな効くと思ってなくて、そもそも家着いたぐらいに効いてくる予定やったし俺もいろいろ誤算で……ほんっまにごめん!」

 顔の前で手を合わせ、申し訳なさそうに謝罪を繰り返す。しかし、ロマーノからの反応はなく、その静けさに不安になってそっと上目遣いで見上げた。

「ほほー……お前は自分のご主人様に薬を盛ったと?」
「え、ち、違……わなくないけど、ちょっと違……」

 盛るならもっと直接的なものにしたし、そもそも今回最後までできてへんから俺はけっこう辛い状態やで? なんて的外れなことは言わなくても伝わってしまったのだろう。

「前言撤回だ! てめーやっぱり俺のこと体目当てなんだろ!」
「違う違う違う! 誤解やって!」
「今後、絶対に俺の許可なく体に触れるんじゃねぇ!」
「えぇ!?」

 条件反射のように脊椎で不満の声を上げたら、ぎろりと睨み付けられた。

「あ、す、すまへん……」

 すっかり怒らせてしまったロマーノの腰が抜けていることに気付くのは、この数分後で、にっちもさっちもいかなくなって、早速この禁止令は、「性的な目的での接触禁止」ぐらいまでには緩められ、ロマーノをおぶって村まで帰ることになるのである。

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