君の致命的な思い違い

 初めて本気で好きになった子に全く信用されてへんっていうのは、何ていう悲劇なんやろうか。
 目の前でぐずぐずに泣いて蹲っているロマーノの背をさすってやりながら、ここ百年で何度目かの台詞が頭を過った。

「俺はこんなにも好きなのに、なんでお前は俺じゃなくても良いんだ、俺だけを選べよ……っ、もう嫌だ疲れた、諦めたいのに、なんでこんなにお前のことなんかが好きなんだ」

 そう言って子どもの癇癪のように、まくらでバシバシと叩いてくるロマーノの手を大人しく受け入れる。「ばか、はげ、鈍感」と舌ったらずな罵倒を聞き流しながら、背中を撫でてやる。まったく、相変わらず俺の愛とやらは信用のないことで。
 ほとんど嗚咽混じりに投げられた泣き言は、泣き過ぎて思考が働いていない時だけ零れる不安だ。おしゃれなロマーノが、服が汚れることも構わずに泣きじゃくって、俺に縋ろうとしてくる。こうなっては何を言っても効果はなくて、優しくすれば激しく首を振って「やだっ、さわんな!」と抵抗し、手を引けば「嫌わないで」と怯え出す。瞼の縁そ隙間なく埋めるように生え揃っている、長くて細いまつ毛に涙がついて、瞬きする度にぱたりぱたりと零れ落ちる。

「どうしたん? 何があったんか親分に言うてみ?」
「……うっせー! 親分ヅラしてんじゃねぇ……っ!」

 再び声を上げて泣きじゃくり始めた。
 お前は何がしたいねん。
 わけがわからなくなってため息をつけば、肩を大きくビクつかせて控えめな上目遣いで覗き込んでくる。濡れて琥珀色に輝く瞳が、その怯えを雄弁に語っているのに、唇はきつく引き結び泣き声すら噛み殺して黙り込もうとする。
 いつもはお前ってワガママを言うやん。俺様って顔で、いつだって望みを言ってくれてたやん。なのに、なんで大事なところで我慢するん?
 何がそんなに疑わしいんやろうな。

 普段、滅多に好きのひとつくれないロマーノは、定期的にこうして不安を爆発させる。だいたい言っていることはいつも同じで、「スペインが俺と付き合っているのは同情だ」だの「ほんとは他の奴でもいいんだ」だの、俺の気持ちを疑うようなことばかり。黙って聞いてりゃ勝手なこと言いおってって、そりゃあまあ確かに思うけど、ロマーノが何を不安に思っているのかもわからないから、あまり強気の態度には出られないでいる。俺のほうがよっぽどお前に執着していて離せないでいるのに、それを抑えて優しいだけの愛情を与えてきたのに、疑われるほど愛情が虚しく空回っていく。
 こんな時、俺はいつも慣れたふりで「そんなことないで、俺はロマーノだけ」と優しく抱きしめて宥めて、彼が安心して眠るまで慰める。始めは優しくするほど抵抗するロマーノも、体力がないのも手伝って、一時間もすれば力を抜いて身を委ねてくるようになる。だいたい朝まで付き合えば、いつものロマーノに戻るのだけれど、その不安の原因が解決されたわけじゃないから、しばらく経てばまた同じことが繰り返される。何がこんなに無力さを思い知らされるって、いつだってロマーノはこんなにも苦しそうなのに、俺はこうやって甘やかすことしかできないことだ。
 フランスあたりに言わせれば、ロマーノの不安は俺のせいらしい。もっとロマーノの気持ちを考えてみなよ、とか、同じことされたら怒るくせに、とか。考えてもよくわからなかったけど、言われるのはたいていイタちゃんとハグしている時とか、オーストリアと昔の話で盛り上がっている時とかだ。
 わからないって言えば、「じゃあ、そんな些細なことで動揺しなくても良いように、しっかり愛してあげなきゃ」なんて、キザったらしくウインク付きで言われた。
 そんなこと言われたって、これ以上何をすれば信じてもられるのかもわからない。だって、俺はいつだってロマーノのことを優先してきた。特別、は、全てロマーノにあげてきたし、よそ見なんてしたこともない。
 そりゃあ確かに初めて泣かれた時は、心当たりもあった。雪崩れ込むように関係を突き崩したので、やることだけは最後までやっていたのに、付き合おうとも言っていなかったから、良いように利用してるって言われても言い訳はできなかったなあ。最低やって? しゃあないやん、好きって言ったらロマーノ恥ずかしがって嫌がるかなって思ってんもん。俺なりの気遣いやってんで。
 当時は、ロマーノが独立してようやっと手を出せるようになったって浮かれていたし、ずっと焦がれていた可愛い恋人に夢中だっただけに、正直「お前の好きは恋愛じゃない」なんて言われた時はショックだった。
 ロマーノが俺を好きなことはわかりきっていたし、俺の気持ちなんてだだ漏れも良いところだったから、ずっと知っていると思ってた。両思いだって。
 俺ですらわかるぐらいなのに、ロマーノがまさか悩んでいるなんて思いもよらず、しょうもないプロイセンの話にも張り切ってリップサービスできる程度には幸せで周りが見えていなかったから、ロマーノは猜疑心から不安に思っていたなんて、全くこれっぽちも気付かなかった。
 何も知らないで一緒にいられて幸せ、話が聞けると嬉しい、そんな些細なことでいちいち喜んでいた俺がばかみたいだ。一緒に行ったジェラート屋や、隠れるようにして奪ったキス、人混みに紛れてこっそり繋いだ手も、全部。あんなに楽しかった想い出すら、この子は心の底から楽しんでいたわけじゃないなんて。

(俺は、恋人なのに)

 何もなくても花束を、時間があればイタリアに行ったりスペインに呼んだり、少しの時間を惜しんで逢瀬を重ね、筆不精なのに手紙も書いた、機械なんて苦手だから携帯だってロマーノのために買ったようなものだ。それなのに、一体、何を不満に思うのだろうか。
 今も変わらず時々、不安を爆発させて泣き喚くロマーノに、俺はほんの少しの疲れと虚しさを感じている。

「いつまでも保護者ぶりやがって……、俺が泣いてるのも面倒だって思ってるんだろっ!」

 胸をどんどんと叩く非力な腕。力が弱いと言ったって、それなりに痛い。

「俺はロマーノの保護者やないで」

 それは君の致命的な思い違いだ。

 俺がロマーノじゃなくても良いなんて、そんなことあるわけない。

 だってどんなに泣かれたって、この手を離してやれないのに。
 知っている。本当に、ただロマーノを愛おしいと思っていて、ただ慈悲を与えているだけなら、こんな定期的に不安を爆発させて泣き喚くような関係、解消して別れてやったほうが良いんだって。
 今は辛くても時間がゆっくりと解決していくだろう。どんな辛いことだって、悲しいかな、膨大な時間は俺たちの傷を癒してしまうんだ。そうして、いつか穏やかに笑って「そんなこともあった」って、笑い話にできる日がくるのだろう。
 愛だと言うのならば、ロマーノの幸せを願うべきだ。その確かな呼吸をイタリアの国民たちが感じられて、日々の恵みに感謝をし、愛を謳歌し、平和を祈ることを。俺はそんな彼を少し離れたところから見守っている。たまに弟とケンカをして泣いてやって来るのを笑顔で迎え、「お前の好きなトマトのパスタ作ったで。元気出しや」ともてなし、夜はバルにでも繰り出して朝まで愚痴に付き合い、そうして元気になったロマーノをイタリアに送り出してやる。きっとそういうのが、愛なんだろう。

 けれど、そんな平穏が訪れるぐらいなら、いっそ憎まれたほうがましだった。二人の関係を穏やかに振り返る日なんて、この先ずっとこなくて良い。

「お前が、せめて俺のことをもうちょっと見てくれたなら」

 泣き喚くロマーノが俺に抱きついてくるのを宥めながら、聞こえていないだろうと知ってつぶやいた。俺のことを見て、話を聞いて、知ろうとしてくれたなら、どうなっていたんだろうか。きっとそれは彼には伝わらないまま、また明日がやってくるのだろう。
 俺は怒っている。お前が疑い続けた俺の愛を右手に、今にも暴れ出しそうな熱を胸に抱えて抱きしめて、そしてそれを愛だと振りかざして、ただお前を縛り付けている。

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