問題はこれから先のふたりのこと

 こう見えて俺は現実主義者なので、誰かだけを一生愛しますとかそういうのは信じていない。口説く時の決まり文句として言うことはあるけど、付き合いが長くなって心にもないことを囁くような関係でなくなってしまったらどんなに頼まれたってよう言われへん。正直者やんなあ。それで付き合いがダメになることもあったけど、それはそれで縁がなかったと諦めるしかない。ここらへんは君らより人生長いしやっぱちょっと感覚が違うのかもなあ、と、ついこないだまでは思ってたんやけど、ひと月ぐらい前かな。イギリスとフランスがめっちゃ真面目な顔で「一瞬の永遠と心変わりについて」かなんか薄ら寒いお題を語ってたからびっくりした。とりあえずこういうのに生きてきた時間の長さは関係ないみたい。そんで俺は、どう思う? って聞かれたから、ロマンティックでええねーと返したら、ああこいつには人の心がないからなって舌が三枚に分かれている男に突っかかられて掴み合いになったんやけど(まるで自分が人の心をもっているまっとうな生き物みたいな言い様! びっくりするわーって言ったら机をバンバン叩いて暴力に訴えだしたん。あっちが十割悪い)、まあそれは余談として置いといて。
 ただ、時々それってさみしいことやなあって思うことはある。さみしいって言うか、何て言うのかはわからんけど、確かに好きやって思ったのにいつかそうじゃなくなるってまるで付き合うこと自体が無意味なことみたいやんなあ。あれ、ってことはわざわざ忙しい時間割いてまでデートしたり指輪あげたり(金ないからってアルミ缶のプルトップはあかんで)、他の女と喋るなって怒られたり、面倒な思いをしてまで付き合う必要ってないんちゃう? と気付いてから俺はずっと独り者として人生を謳歌してた。どれぐらいって言われても正確な時間を数えたわけじゃないけど、まあ周りにスペインって恋人作らないよねって認識が浸透するぐらいには。
 あんまり長い間、そういう状態だったから感覚が麻痺してた。世界の中心が自分以外の誰かになったり、目の前にいないのに気になってしょうがなくなったり、突然わけもなく声を聞きたくなったり逆に会いたくなかったり、そういう理不尽さから解放されている状態と言うのはなかなか気楽なもんで、俺はそれでちょっとだけ傲慢になっとった。

 その日は会議のある日やって言うのに盛大に寝坊して、まあやってしまったことはしょうがないとのんびり会議場まで行ったら、なぜか入り口のところにプロイセンが立っていた。俺をひと目見るなりあからさまに嫌そうな顔をして頭のてっぺんから足の先までジロジロ見てくる。

「はあ、お兄様もこいつのどこがそんなに良いんだか」
「へ?」

 ようやく口を開いて出てきた言葉がそれだったもんやから、びっくりして俺も変な声が出る。

「ヴェストがすげー怒ってんぞ」
「あ、そういえばなんでプロイセンがここにおるん?」
「人手が足りないって言うから手伝いに来たんだよ! 今日お前も準備当番だったんだろ」
「あ!」

 すっかり忘れとったーって、さすがにこの時ばかりは焦ってどないしよって言ったら知らねぇってぞんざいに返される。準備どころか会議自体に遅刻じゃあ、ドイツも相当怒ってるに違いない。

「あーもしかしてそれでプロイセンが代わりに?」
「そうだよ。イタリアちゃんから言われたから飛んで来たってのに」

 ブツブツ文句を言っているプロイセンの言葉を右から左に聞き流して、わかったからどうにかする方法を一緒に考えてくれってぼんやり考えていた。

「聞いてんのかよ」
「うんうん、聞いとるよ。イタちゃんやろ」
「違うっての! 今休憩でみんな出払ってるからヴェストに連絡しろっつったんだよ」
「あーそうなん。メールでええんかなあ」

 ああそうしろって言われながら携帯と睨めっこしとったら、お前といると疲れるって盛大なため息を吐かれた。

「なんで愛想つかされねぇんだか」
「愛想?」
「お兄様にだよ。うらやましいっつうか妬ましいっつうか」
「んー?」
「お前よりもっと良い奴いっぱいいんだろうがよ。何でよりによっててめーなんだ」

 文面を考えてるんやから話しかけんといて欲しいなあ。早くしなかったらそれはそれで怒るんやろーええと、ドイツドイツ、あれ電話帳にないで。いつもどうやって連絡とってるんやろー……確か先週メールきとったよなあ。うわ、今週の頭にそういやめっちゃ迷惑メールきたんやった。ドイツの残ってるかなあ。あ、あった。えーと、遅くなってごめんなさい……って、ん?

「なんでロマーノが関係あるん?」
「俺が先週家に遊びに行ったら逃げるようにお前ん家に行ったんだよ!」
「なんや逆恨みやね」
「うっせぇ。確かに逆恨みだけどな! でも、いくらロマーノちゃん好きだっつってもお前応える気ゼロじゃねぇか。そんな相手より俺にしとけって言ってるだけなのによー何もあからさまに避けなくたって良いだろが……っておい聞いてんのか!」

 まあ、聞いてないですよね。
 やってロマーノが好きって、はあどういうこと? とか、お前ロマーノのことそういう目で見てて更に家まで行ったって俺聞いてへんで、とか、何かいきなりぶわあって言われたから俺の頭の中も大混乱で渋滞起こしてパンクしそうになっとる。そう言えば先週、ロマーノいきなりうちに来たけど、たまたまこっちに用事があるから寄っただけやって言ってて、プロイセンと会ったとかそんなことは一言も言ってへんかった。ああ、でもそれはプロイセン情報によると嘘で。

「え、ちょ、待って。どういうこと?」
「何が?」
「ロマーノが好きとかお前が家に行ったとか」
「どうって……お前、気付いてないのかよ」
「へ? ……え、うん。何のこと?」

 いや、さすがにちょっと話が見えてきてはいたけどここで俺の思ってることが勘違いやったらめっちゃ恥ずかしいので確実な言葉を引き出そうとプロイセンに言葉を促す。つくづくお前は……って呆れきったような声が痛い気もするけど、まあ相手はプロイセンやし気にしない。

「だから、ロマーノちゃんがお前のこと好きで、お前はそれ気付いていながらスルーって言うか……期待させないようにわざとああいうこと言ってんだって思ってたんだよ。お前以外、全員が」
 
 
 
 
 プロイセンの言葉に雷打たれるぐらいの衝撃を受けた俺は、正直その後のことはよく覚えていない。幸いロマーノは会議に来てへんかったから顔を合わさずに済んだけど、それが良いことやったかどうかもまあよくわからん。たぶんドイツにめっちゃ怒られて、それで休憩後も会議に食い込むぐらい説教されてたんやと思うけど何を言われたんか全く聞いてへんかった。その後、ずっと放心状態でぼうっとしてたから、周りは今回は堪えたと思ったんか元気出せよって言葉をかけてくれて、その反応を見るに相当なことを言われたんやろうなってのはわかるけど。
 しばらく抜け殻みたいに腑抜けてしまって、上司からは使いもんにならんって怒られるし、仕事も家の事も、それ以外も全然手がつかへん状態やった。
 何せ、ロマーノやで。
 小さい頃からよく知っているし、俺と一緒に暮らしていた時間のほうが長かったあのロマーノがやで。ほとんど兄弟のような親子のような関係でずっときていたから、好きとか嫌いとかそんなんも考えたこともなかった。特にロマーノはおねしょの始末もしてやったし、掃除もできんで部屋をぐちゃぐちゃに荒らしてくれたのを代わりに片付けてやったこともある。今さら家族としか考えられへんし、それはきっとロマーノもそうだろう。俺のだらしないところとかどうしようもないところとか、散々見てきたはずやのに一体どこをどうして恋だの愛だのって話になるのかさっぱりわからん。自分で言うのも何やけど幻想でもなければ俺に恋愛するってちょっとしんどいような気もする。まして、今までのそういった付き合いが誠実なものではないってことぐらいロマーノも知ってるはずやのに。
 けど、頭が否定すればするほど心のどっかでああやっぱそうなんやって思ってる自分もおって、それが一番ショックやった。

「やはりお気付きだったんですね」

 目の前のお人形のように表情の変わらない子どもみたいな東洋人が(まあ、俺から見たらこっちの奴らはたいがいそうなんやけど)、眠そうな目をぱちくり瞬きをさせてズバッと言った。低い声が心地良く響くのに、言われた内容にギクリと震える。

「……もしかして口に出とった?」
「ええ、事の経緯からスペインさんがご自分のお心に気付くまで全てお聞かせ頂きました」
「うわあ! ご、ごめ、仕事サボるつもりとはちゃうくて」

 ちゃうねんちゃうねん、仕事のことも考えるつもりやったんやけどちょっと思考が逸れてしもうただけ! と慌てて否定すれば、日本は無表情を少しばかり緩ませて、ええ、そうですねわかっていますよと言った。

「私もあの会議の時のスペインさんのご様子は気にかけていました」
「う……やっぱ変やった?」
「変、というわけではありませんが、そうですね。動揺してらっしゃいましたね」

 ところで、と続ける。

「ロマーノくんのことはどのようにお考えなのですか?」
「いや、俺が言うのも何やけど仕事せんでええの?」

 今日は日本に売り込んで来いって言われてわざわざ遠く東の端のこの島国までやって来た。彼はとても忙しい国だから、俺がうちってこんなええとこなんよーって営業トークする時間を作ってもらうにも大変で、本当やったら会議のついでとかにどっかでご飯でも食べながらサラッと言えたら良かったんやけどそれすらもう全然予定が合わんくて、と言うかこっちはいくらでも合わせられるのに、その日はちょっと、夜はちょっと、どうしても外せない用事がと連戦連敗だったのをちょっと強引に何とか話をする場を作ってもらったので、本当はロマーノの話をグダグダ言っている場合ではない。まあ、お茶を淹れてもろてる間にトリップしてでかいひとり言言ってた俺が言える立場とちゃうけど。

「何を言っているんですか。今日の目的はスペインさんと交流を深めること。よりお互いを理解するためにもお困りごとや悩みごとは聞くべきだと思うんです」

 そういうもんなんかって納得しそうになるけど、気になるのはその手に持ったノートとペンだ。話しながらなぜか手元の携帯を操作して俺の前に置かれた。画面は、レコードって英語で書いてあるんやけどこれ録音されてへん?

「なんでそんなインタビューみたいになってるん?」
「とは言え仕事ですからね。しっかり記録に残しておかないと」
「えーそれやったらもっとちゃんとした話にしようや。例えば……俺、サッカーとかならけっこう喋れるで」
「それじゃ意味がないんです! せっかく美味しそうなネタなのに!」
「美味しい?」
「いえ失礼。私もロマーノくんとは枢軸時代からのお付き合いがありますからね。孫のように思っているのですよ」

 視線を下げた日本のまぶたに前髪がかかった。か細い声で、心配なんです、なんてしんなり言われるもんだから、何だかすごく申し訳ないような気になって、そうなんやあって俺もしょんぼりしてしまう。

「そう言えばロマーノよう日本に行くって言っとったもんなあ。仲良しなんやね」
「ええ、そうなんです。ロマーノくんとはアルデンテの友達なのです」
「へーそうなんや」
「だから、大事なロマーノくんの恋のお相手であるスペインさんがどのように思っていらっしゃるのか、とても気になってしまうんです」

 そりゃあそうか。どう見たって色恋沙汰に縁遠いプロイセンですらああ言うぐらいやし、人のこと気づかう日本とか、ロマーノの弟のイタちゃんとか、もしかしたらフランスやその他大勢のたいがいの国はそう思ってたんかもしれへん。

「……俺ってめっちゃひどいことしとったやんな」

 意外だったのか日本はきょとんとした顔をして目を大きく見開いた。

「あの、ロマーノにな」
「お心当たりでもあるんですか?」
「……」

 心当たりも何も。そりゃあもう。無神経なことをいっぱい言ってきたなーとか、俺の言動ってたいがいやったなーとか、いっぱいありすぎてどれを言えば良いのかようわからんけど。けど、ひとつだけ引っかかってることがあって最近は暇さえあればそのことばっか考えてしまう。俺が考えたってロマーノじゃないんだから答えなんて出えへんのにな。

「昔さ、ロマーノが独立するって決まった頃かな。一回だけ、好きって言われたことがあって」

 俺の中では取り留めのない思い出のひとつに過ぎないから、それは何度思い出そうとしてもなかなかはっきりしない。暑かったのか寒かったのか、昼だったか夜だったか、ロマーノが笑っていたのか怒っていたのかさえ忘れてしまっている。ただ、ぼんやりとしたロマーノのシルエットが独立するぐらいに着ていた服と似ていて、背丈も俺の肩あたりまであったから、たぶんその頃なんだろうって憶測。

「スペインさんは何と?」
「まあお決まりと言うか想像した通りやでって言うか」
「この期に及んで誤魔化してはいけませんよ」
「……せやなあ。うん、俺も好きやでって言うたよ」

 急にどうしたん? 嬉しいわ。親分も好きやで。ロマーノのこと嫌いになるわけない。
 って、言った。まあよくもまあ、そんな何も考えず疑問にも思わずにヘラヘラ笑って受け止められたもんやと今なら思えるんやけど、その頃はロマーノが独立してしまうって言うのでちょっと感傷的になってたのもあって、二人でよく昔のこととか話してたから何となくそれの延長やとばっかり思ってた。

「ははあ、なるほど。それでロマーノくんは告白したのにはぐらかされたと思って」
「ああ、やっぱそう思うやんなあ!」

 今になって思えばあれもこれもそれも、全部ロマーノからのアプローチやったんやなあって思うこともいっぱいある。そりゃあそうやんな、おかしいと思った! いくら何でも結婚してって言って条件出してくるとか、俺が死にかけとったらマフィア倒して奔走するとか、あとけっこう俺に甘いしな普通あんな簡単に赤ずきんのおばあちゃんやってくれへんやんな恥ずかしがりのロマーノやのに! なのに俺は今までそれに気付きもしないでのうのうと生きてきて、無神経さでどんだけ傷つけてきたんやろうって考えただけで俺もしんどくなってくる。けど、更に極め付けがあれだ。

「てかな、俺めっちゃひどいこと言うてもうてんなあと」
「それ以上のひどいことがあるんですか?」
「いや、それは前振りやねん。そっちちゃうくて……ほら、告白してきたロマーノの前で誰とも付き合う気がないとか、恋愛って幻想やんねえとか、要は性欲やしなとか、まあけっこういろいろ」
「ああ、それは私も隣で聞いていたことがあります」
「……あちこちでしょっちゅう言うとったからな」
「見事にフラグをバッキバキに折られていたので、よっぽどロマーノくんの気持ちに応える気がないのだとばかり」
「やっぱそう思うよな」

 一番初めにロマーノにそれを言ったのは、あいつが独立して俺の家を出て行ってからやった。久しぶりに家に来てくれたロマーノは、冬の寒さのせいか頬と鼻の頭を真っ赤にしていて、むすっとした顔で手土産のワインをくれた。どうしてそんな話になったかなんて覚えてないけど、今となってはロマーノが切り出したんやと思う。好きな奴いんのかって聞かれて、もう誰とも付き合う気はないんやって言った。告白に俺も好きって返して中途半端に期待を持たせて、盛大に否定して、俺は一体何がしたかったんや。
 たぶん、その頃ぐらいからだろうか。ロマーノが俺のことをいろいろと諦めるようになったんは。昔はもっと一生懸命に顔を真っ赤にして俺のボケた発言に切り込んできていたんが、いつもクールにふーん、そうかってなっていった。

「今、俺ってロマーノに期待されてへんよなあ」
「そうでしょうねえ」

 私たちも、と言いかけて最後まで言わなかったのは彼の国の八つ橋なんやろうか。ほとんど伝わってもうてるし意味があるのか微妙なところや。

「……なあ、俺どないしたらええと思う?」
「ええと、ちょっと話の流れが読めないんですが、スペインさんはどうされたいんですか?」

 言いながらも無表情のはずの日本の頬が緩んでいて何か楽しそうな顔をしている。その原動力になってるんが単なる好奇心なのか野次馬根性なのか、あるいは大事な友達を傷つけてきた面倒くさい男ザマァな気持ちなんかはようわからんけど。楽しんでもらえて何よりです。

「俺はロマーノのこと傷つけてしもたこと後悔しとる」
「はい」
「あと諦められてるのが悲しい」
「どうしてですか?」

 効果音にワクワク、とつきそうなぐらい弾んだ声に明るい表情。俺はと言えば自分でも顔が異常に熱くなってるんがわかって、どうしたもんかって途方に暮れる。けど、この場に逃げ場所なんてない。

「さあ、なんでやろうね。もしかしたら俺もロマーノのこと好きなんちゃう?」
「……スペインさんは、意外とはぐらかしますねえ」

 ロマーノくんはその辺り潔く認めてくれましたのに。呆れ混じりのため息に、ああここにも俺のこと諦めてる奴がおるなあって思ったけど、まあ日本に落胆されるぐらいしょうがない。やって恥ずかしいんやって!

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