子どもの庭

 スペインのパティオは彼の楽園。
 誰も足を踏み入れることのできないその庭に、彼は彼の天使を隠している。
 天使はずっと眠っていた。
 誰かに守られるように、穏やかに。
 その寝息は祈りを捧げる声にも似ていて、誰にも邪魔することができなかった。
 
 
 
 
 
 スペインの屋敷の本邸にある中庭はこのあたりではちょっと有名だ。
 応接間から直接降りられるようにつくられた庭は東方の文化の影響もあり、異国情緒色濃い様式はエキゾチック。どの角度から見ても左右対称に見えるよう計算してつくられていて、中央には噴水が引かれている。水辺には四季折々の花が咲き誇り、噴水の奏でる水音が涼やかだ。よく手入れの行き届いた庭は会談に訪れる者たちの目を楽しませ、緊張した心をひととき和ませた。
 誰もが、これだけ立派な庭なのだからスペインにとってもさぞかし自慢の中庭だろうと、そう思っていた。

「相変わらず、この応接間からの景色は圧巻だね。小難しいだけで面白くもない政治のことなんか忘れて、何も考えずのんびりと滞在していたいと思ってしまうよ」

 手にした書類の殺伐とした内容とは裏腹に、フランスはひどく穏やかな声で言った。彼にしては珍しく台詞めいた言い回しではなかったので、きっと思わず口にしてしまったのだろう。掛け値なしに告げられる率直な褒め言葉にスペインも目を細める。内容はどうであれ、素直に褒められるのは嬉しいものだ。

「ありがとぉ、フランスも中庭に噴水引いたらええやん。水の音がサラサラ聞こえてくると落ち着くで」

 何の気なしに言ってみたが、実際、庭まで水を引いて噴水としての体裁を整えるのは並大抵のことではない。真似をしようにも金と権力が必要で、敗戦処理真っただ中のフランスには難しいかもしれないと思った。
 しかし彼は気を悪くしたそぶりも見せずに飄々と頷く。

「ま、いつかはそりゃねぇ。にしたって先立つものが足りないんだ、今すぐってわけにはいかないさ。それまではお前のとこで堪能するに留めておくよ」
「サインが終わったら二、三日ゆっくりして行ったらええよ」
「ありがと。でさあ、俺の華々しいお庭建設計画のためにも、ここの条件を見直してくれたらありがたいんだけど」
「それは俺の一存では無理やなあ」

 隙あらばそんなことを言う抜け目のないフランスに、スペインが笑顔のまま牽制をかけた。

「そういうんは上司に言ってくれやんと」
「……そうしたらこっちも上司が出てきちゃうじゃない」
「せやろな。具体的な話なんて上で決めることや」

 暗に自分たちでできることなんてもう残されていないのだからさっさと書類にサインをしろと仄めかす。取り付くシマもない態度にフランスが肩をすくめた。どことなく気障ったらしくて大げさな仕草だった。

「まぁったく、この世の楽園を手にいれておいてまだ欲張る気? ちょっとぐらい俺に分けてくれたってバチは当たらないぜ」
「欲張りはお前やフランス。人のもんにまで手ぇ出して。何回目やねん」
「だってぇ! お兄さんも可愛い子囲って地中海の恩恵にあずかりたいんだもん!」

 その恩恵とやらのために彼と四度も殴り合いをしているスペインとしては、いい加減、地中海に縁がないことに気づいて諦めてほしいと思ってしまう。フランスにしてみれば今さらなのだろうけれど、悲しいことにスペインと彼は隣人で腐れ縁だった。
 はあっとため息をついて席を立つ。そのまま中庭のほうへと歩み寄って外を眺めた。

「動機が不純すぎて叶わへんのとちゃう?」
「おーや? まるで自分の望みが純粋かのような言い方だねぇ」
「お前に比べたら俺は清廉潔白の塊やろ」
「どーだか」

 先ほどフランスが褒めたこの中庭は相変わらず美しい。月に一度、上司が庭師を寄越してくるので、手が行き届いている。もちろん庭師がいない間もスペインができる限り手入れしているのだけれど。

「本当に清廉潔白ならなあ、お前。あーんな小さな『子分』に大人の色恋を押し付けたりしないだろ」

 いやらしい言い方をしてくるのはわざとだ。それに肩を竦めてごまかせば、フランスがスペインのそばに立った。

「なあ、スペイン。マジな話、お前ロマーノのこと……」

 そこで一度言葉が途切れたので視線をやるが、さらに言いにくそうに口ごもった。それこそ珍しい。彼ならば嬉々として実際のところはどうなのかと聞いてきそうなものなのに。あの幼い南イタリアがスペインの下へとやって来た時、なかなか打ち解けられなくて愚痴をこぼした相手でもある。スペインとロマーノの関係に変化があったことなど、とうにお見通しだろう。

「ロマーノのこと……いや」

 言いかけて思い直したフランスが首を軽く降ると緩やかなウェーブのかかった長い髪がパサパサと揺れた。それはきっと、優雅、なんだろう。

「あの子はまだ子どもだ」
「せや。ロマーノはまだご飯もよう自分では作られへん、子どもや」
「そう、だから……あんまりお前のほうに引き上げてやるもんじゃないよ。そりゃあお前が持て余すのもわかるし、子どもの恋愛ごっこじゃ物足りないかもしんないけど。ちゃんと歩幅を合わせてやらなきゃ」
「…………」
「お前のほうがずっと大人なんだからさ」

 曖昧に微笑んで、今度こそフランスから目を逸らした。彼の言いたいことならよくわかる。スペイン自身がとうの昔に思い悩んで酷く葛藤し、そして自分ではどうにもならないものだと思い知らされてたことだからだ。

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