あなたのバースデイ

 今日は朝から会議があって、その会場の狭い廊下の真ん中にスペインが立っている。あーとかうーとかもじもじしつつ、こっちに気付かないで何やらぶつぶつと呟く姿に、なんだよお前気持ち悪ぃなそこどけ邪魔だ!と自分でもないなってぐらいの口の悪さで声をかけ通り過ぎようとしたら、俺の声に驚いたのかスペインがバッと顔を上げて振り返り、興奮した子どもみたいに顔を真っ赤にして

「あ、あれ、ロマーノ、久しぶりやんなあ!俺、ロマーノのこと待っとったんやで!全然メールくれへんねんもん。直接、話さな思って早く来たんよ。あ、あの、あんな。今日の夜空いとる?よ、よかったら、会議終わったら一緒にご飯行かへん?好きなもん奢ったるから、……あ、遠慮せんでええよ!どこでも連れてったるわ!なんやったら、俺の泊まってるホテル、めっちゃ広いねん。レストランもいいとこみたいやし、ワインが美味いねんて!泊まりにおいでよ!いやいや、べ、別に変な意味とちゃうよ。あんな、ロマーノって時々、大事なとこで我慢するやんか。子どもの時から……、昔もよう本当に欲しいもん欲しいって言えへんで、イタちゃんにやって自分はずっと俯いてたりしてたやんなあ。そう、イタちゃん。イタちゃんに聞いたんやけど、俺の誕生日に遊びに行こうかどうしよか、悩んでたんやろ?そんなん全然悩む必要あらへんからな!むしろ毎日でも来て欲しいぐらいやのに……俺、めっちゃ寂しいねんから。ロマーノの素直じゃないところも可愛いんやけど、たまには甘えてくれてもええんよ。だから、その……、あ、明日はロマーノの誕生日やんか。えーと、おねだりとか、されたいなあって……。いやあ!ちゃうで!純粋に、欲しいもんとかないん?俺かて、ロマーノの欲しいものの一つや二つ、買えるぐらいの甲斐性はあるんやから!なんでも好きなもん言うてな!今晩、ご飯食べる時にでも教えたって!じゃ、じゃあ、俺もう行くわ」

 と、一息で捲し立てた。いろいろ言われたけど、要は今夜の飯に誘いたいらしい。そうして言うだけ言って、俺の返答も聞かずに去って行った。元々、さっぱり俺の話は聞かないわ、空気は読まないわで、一方通行な奴ではあったが、こうも口を挟む余地もなく捲し立てれると怒るよりも唖然とするしかない。
 なんだってんだよ、ちくしょうこの野郎。大体、こっちの気持ちもお構いなしで好き勝手なこと言いやがって、何がワガママ言って欲しいだ。何がおねだりされたいだ。俺だってそれができたら苦労してないんだよ。メール送ってほしいだあ?だったら、てめーから送ってこいよ。もっと遊びに来い?お前のほうからはなんでうちに来ないんだよ。
 ぐるぐる考えてると怒りが沸き上がってくるような気がして、これ以上深く掘り下げるのはやめようと会議室の扉を開ける。もうガキの頃みたいに、あいつの気を引かなきゃ生きていけないわけじゃないしな。
 室内をぐるっと見回して自分の席を見つけると、いつも以上にニコニコ笑って、楽しくてたまらないように声を弾ませた弟が寄ってきた。

「兄ちゃん、スペイン兄ちゃんはなんて?」

 俺は構わず室内に入って席につこうと足を進めたが、その後ろをちょこまかとついてきて忙しなく顔を覗き込んでくる。なんだよ、見てたのかよ。

「なんのことだよ」
「さっき、スペイン兄ちゃんなんか言ってたでしょう?」

 なんでもお見通しだ、と言わんばかりの憎たらしいその顔を睨みつけるも、兄弟だからか慣れているせいか、怯むどころかますます笑みを深めた。何がそんなに嬉しいかは知らないが、ゆうべはドイツの家に泊りに行ってたから機嫌がいいのだろうか。

「べつに……、誕生日何がいいか聞かれただけだよ。お前も聞かれたんだろ」
「ううん、聞かれてもないし、……たぶん、スペイン兄ちゃんは俺のこと忘れてると思うなあ」
「んなわけねぇだろ。あいつはお前を甘やかすことが生きがいなんだよ。いいか、遠慮せず高い買い物はあいつにねだっとけよ」

 そういや、こないだも高いブランド物のソファーを買おうとしていやがった。ああいうものは自分で買うもんじゃない、こういう時こそねだっとけ、と念を押すと、おかしくてたまらないって顔で弟が俺を見上げる。

「ヴェー、兄ちゃんは鈍感だなあ」

 ぼそっと呟いたそれをはっきり聞き取れなくて、はあ? と聞き返す。けれど、それに対して勢い良く首を横に振った弟が、なんでもないよ! と胡散臭いぐらいの笑顔で返した。

 会議が終わって隣を見ればヴェネチアーノが舟を漕いでマヌケ面を晒していたので、ドイツに見つかる前に小突いて起こしてやった。今日は日本と三人でお泊り会だと言っていたし、早く支度しないとうるさいんじゃないのか。
 起き抜けの馬鹿弟は隣でのんびり伸びをしていたにも関わらず、俺が荷物をまとめ始めると気色の悪い声でふふふと笑い出した。

「兄ちゃん、頑張ってね」
「何をだよ」

 じとっと睨むが、今日一日を通して緩みっぱなしのあほな笑顔を返されるだけだった。

「へへへ、俺嬉しいなあ。最高の誕生日プレゼントだよ」
「だから、何が」
「今日、スペイン兄ちゃんとご飯行くんでしょ?」

 見透かされたように言い当てられてぐっと詰まる。なんだこいつ、弟のくせに生意気だ。

「んだよ、悪いか」
「ううん、むしろいいことだよ!」

 泊まってきたらいいよ、と続けられて目を細める。何言ってやがる、の形に口を開きかけたところで、ガタガタとスペインが派手な音を立てながら机を掻き分けてやって来た。いつもは必要以上に帰り支度に時間のかかるこいつにしては、すごく頑張っただろう。何せ会議が終わってまだ5分も経っていない。

「ロマーノ! お待たせ! 早よ、いこ!」
「おう」
「何がええ? 今日は俺の奢りやから遠慮せんでええよ!」
「おう」

 そのまま手のひらを力一杯、掴まれて引っ張られた。珍しいことにヴェネチアーノには目もくれず、一直前に俺のところまでやって来て立ち去ろうとしている。変なこともあるもんだって思いながらも、とりあえず弟には、日本には迷惑かけんじゃねぇよ、とだけ声をかけると、それでようやくスペインも気付いたのか、あ! イタちゃんまた今度な! と思い出したように振り返った。いつもは俺なんかよりもイタちゃんイタちゃんのくせに本当に珍しい。ずっとキョトンとしていた弟だったが、俺たちが部屋を出ると堪えきれなくなったのか、盛大な笑い声が聞こえてきたので、次に会ったらマーマイトの刑にしてやることを誓った。
 引っ張られるままに会場の外へと連れ出されると、前を歩いていたスペインが落ち着きなくそわそわしだして、急に腕を掴んだままだったことに気付いたのか、手をバッと離して慌てだした。

「あ、ごめん!痛くなかった?」
「ああ」
「あ、あの……」

 何か口を開きかけたようだったので、じっとスペインを見て待つ。すると、なぜだか顔を真っ赤にしながら口をパクパクと開閉させ、あ、う、と言葉じゃない音を発しながら俯いてしまった。

「なんだよ」
「うん、いや……その、どこ行く?」

 眉間に力を入れながら顔を覗き込むと、弾かれたように顔を上げて背を反らし距離を取ろうとする。なんだ、こいつ。変なの。
 スペインが変なのは別に今に始まったことじゃねぇし、こっちが考えるだけ無駄だから、おかしなやつと文句を言いつつ歩き始めた。何が何だかよくわかんねぇけど、トマトの出来が気になるとか洗濯物干したまま出てきちまったとか、どうせそんなところだろう。だから深追いはせずに今日の飯をどうするか考える。スペインも何も言わずに俺の後をついてくる。
 パスタの美味い店にするか、いつもいいワインを揃えてる小洒落た店にするか。そう言えば、さっきホテルがどうとか言ってたっけ。
 スペインと行くのはたいてい、ごちゃごちゃした狭い通りにある、これまたごちゃごちゃした小汚い店がまえの、柄は良くないが味は確かな定食屋とバルを兼ねたような店だった。それはそれでたまらなく魅力的なんだけど、今日は少し値の張る店を言って困らせてやりたい。
 さっき言われたことを気にしてるわけじゃないが、遠慮するなと言われて遠慮するような関係でもない。情けない声でこいつが勘弁してやーって言うようなところを選んでやるぜ。できればベッラがいて声をかけられるようなところなら最高なんだけれど、とそこまで考えて気が付いた。

「ロマーノ?」

 何も気にせず思考に没頭して歩いていたせいか、いつの間にかいつもの店の前まで来ていた。なんでこの店はこんなに大衆的なのに会議場からアクセス便利なんだよ(だから、普段よく来る理由になっているのだが)。

「いつもと違うとこでもええんよ?」
「い、いや! 俺はここのパエーリアが食べたいのであって、べ、別にお前に合わせたわけじゃねぇぞ!」
「そ、そう? それならええんやけど……」

 いや、でももっと高いとこでも、夜景の綺麗なとことか、なんてスペインがぼやく。お前と夜景の綺麗なとこなんざ似合わなすぎて面白いことになるだろうが。若い男が二人連れ立って、そんな店に入ってみろ。何事かと思われるだろう。……あるいはスーツを着ているのだし、ただのビジネス上の付き合いに見えるのかもしれないが。

「俺がいいっつってんだろ。その代わりプレゼントは高いものを要求するからな!」
「うん、それはええよ。むしろ、そうして欲しいもん。ロマーノがええなら、ここにしよ」

 へらっと笑って俺の手を掴む。あっと思ったけど声に出せずにいると、スペインはそのまま店の中に入った。
 店内はいつも通りの喧騒で、相変わらず客でごった返していた。今日もよく繁盛しているらしい。その中を慣れた様子で進んでいって、比較的奥にあるわりと人が少なくて落ち着けそうなテーブルをとった。
 コートとジャケットを脱いでネクタイを緩める。ボタンを一つ外して、ついでにカフスを左右に動かしながら位置を正した。ふと顔を上げると、スペインがぼんやりとこちらを見ていた。常になく静かにただ視線を投げかけるだけのスペインを訝しみ、なんだよ、と言うと、なんでもあらへん! と大声を上げる。変な奴だ。

「お前、今日変だぞ」
「そ、そかな」

 挙動不審もいいとこで、うろうろと視線をさまよわせた後、ぐっと息を呑んでこちらを見つめる。

「ロマーノと一緒やから、緊張しとる」
「はあ? なんで、今更だろ」
「う、うん。今更やから、緊張するねん」
「……ふっ、なんだよ、それ」

 あんまり、おかしなことばかり言うので笑ってやったら、顔を一気に赤くしたスペインがそっぽ向いてしまった。笑われたことに気を悪くしたのか、そのまま、むきになったようにじとっとこちらを見てきた。

「やって、こんな美人が隣におるの、どうしたらええんかわからんわ」
「はいはい、っと、最初は俺が選んでいいな?」

 メニューに目を通しながら、返事を待たずに注文するものを選ぶ。マスターの手書きで書いてある、毎日仕入れた食材に合わせた料理を出すこの店は、いつも同じものが出るとは限らない。しかし、メニューを読むと今日は当たりかもなあと頷いた。そんな俺に、うぅと非難めいた唸り声を上げたスペインがぶすくれた声で、好きなん頼み、と言った。
 注文を終えて改めてスペインを見ると、ふと、いつもと違うスーツだと気付く。チャコールグレーの細身のジャケットに、やっぱり細身のパンツは普段は動きにくいと言って、あまりスペインが好まない形だ。会議の前も後もバタバタして、ゆっくり見る時間がなかったから気にしていなかった。

「お前、今日はやけに気合い入ったスーツ来てんじゃねぇか」
「あ、わかる? ナポリスーツやで」
「へぇ、似合ってんじゃん」

 大雑把に見えて意外と丁寧に家事をこなすこいつは、実は着るものも大事に扱っているのだが、それでもヨレヨレになるぐらい着倒すので、こういう仕立ての良い服をちゃんと着こなす姿は久しぶりに見た。昔、俺がまだ支配されていた頃はオーストリアやフランスの手前か、かなりかっちりした格好をしていたのだが、ここ最近は買い直す余裕もなかったのか年季の入った一張羅一本でやっていた。十年ぐらい履き続けている擦り切れた革靴に、アイロンをかけてもピシッとならないワイシャツ、くたっと力のないジャケットと型遅れのパンツ。うん、やっぱり到底、格好良いとは言いがたい。

「ふうん、ちゃんとすりゃあ、ちったあ見れるのにもったいねぇな」

 こういう時に言っておかないと、またあのヨレヨレと同じ運命を辿ることは目に見えているので俺なりに褒めてみる。すると、スペインが音を立てて湧き上がったやかんのように、急速に顔を赤くして、えああああ、とかなんとか、言葉になってない声を上げた。

「う、こほん。いやあ、いつもかっこええロマーノに褒められると照れるなあ」
「はは、なんだそりゃ」

 その態度の変化に面白い奴だと笑ってやると、頼んでいた食事がやってくる。

「あ、これ気になってたんだよ!」

 スペインはもだもだ、何事かを言いかけていたようだったが、まずは食欲と、あっという間にそちらへと気が取られていった。

 美味い食事を堪能してワインをたらふく飲んで、その最中、なぜかずっとスペインが俺のことを見ていた。いつにないその視線の意味もわからずに、ただアルコールに浸された脳内がふわふわと浮いていて、心地良い満足感に満たされている。なんか、スペインの目が深い緑色をしていて、少し恐いような気もするんだけど、まあ別にいいかあって気になってくるから酒って不思議だ。

「はあ、食ったー。ホテルまで帰るの面倒だなあ」
「俺の泊まってるとこ、ここの近くやから寄ってく?」

 ありがたい申し出だ。俺とヴェネチアーノがとっているホテルは通りを挟んで反対側になるし、いっそのこと泊めさせてもらおうか。

「ああ、なんか広いんだっけ?」
「うん、夜景もばっちりやで」
「ふうん」

 スペインが泊まっているホテルなんて、どうせそんなに広くはないだろうと思ってノコノコついていくと、広いロビーに圧倒されることになった。吹き抜けの高い天井、いかにも高級そうな廊下、品の良いボーイ。なんとまさかの星付きホテルだ。そうして部屋はなぜかツイン。受付でスペインがルームナンバーを告げると、うやうやしくキーを差し出される。今は貧乏だと言ったって、こいつにも黄金時代があったからなのか、それをさらりとした仕草で受け取り俺の手を掴んで、こっちとエスコートしようとする姿に、うっかりされるがままになっちまう。
 カードキーで開けて入った室内は、さすがにスイートルームではないみたいだが、寝室とは別に、書斎のようなところとリビングのようなもののがついていた。

「え、な、なんで、お前こんなとこ泊まってんだ」
「今回な、ちょっと気合い入れてん」

 呆気にとられてぽかんと立ち尽くして、部屋を見渡す。質の良さそうな調度品が眩しい。

「そんなことよか飲み直さへん?」
「まだ飲み足りないのか?」
「好きなんとってええから」

 こんなホテルでルームサービスをとっていいなんて言われたら、招待されなきゃ滅多に来れないんだから、存分に堪能するほうが良いに決まっている。あっさり頭を切り替えてメニュー表を引っ張り出し、普段はあまりお目にかかれない銘柄のボトルを指差す。

「このワイン」
「ええよ。もう今日は泊まってったらええし。ベッドも二つあるからな」
「おう。しっかし、こんな気合い入った部屋、どうしたんだ? しかもなんでツイン?」

 オーダーはスペインに任せて、室内をあさろうと探検を始める。ジャグジーなんかもあるくせに、寝室にもシャワーがついていて、最近のスペインの財政事情を考えたら倒れてしまいそうな贅沢ぶりだ。ちょっとは景気が回復したと言ったって、油断できる状況でもないくせに。

「そりゃあ、もちろんロマの」
「わかった、誰かを連れ込む気だな」

 思い至って、によっと顔が緩む。意地悪く、誰だよもう連れ込んだか? と冷やかすと、スペインが遠い目をして、気付いてもらえてへんけどな、なんて曖昧な返事を返してきやがった。
 なんだ、俺は慣れてるって顔して意外と奥手なんだな。いつだって大人ぶっている元保護者の、思いがけない一面を知って気を良くした俺は、たまには強引にいかないと優しいばっかじゃだめなんだぜ、なんてからかって、そうして気付く。書斎の書き机の上に大きな白い薔薇の花束が置かれていることに。クリスマスでもないのに、緑・白・赤の三色のリボンが結ばれた花束に、真っ赤なメッセージカードが挟まっている。女王様のように鎮座しているそれが、挨拶代わりに女性に渡すためのものとは違うのはすぐわかった。

「なんだ、これ」
「ああ、それはプレゼントやで」
「はっはーん、わかった。これで口説こうってことか。一体、誰だよ。白薔薇の君は」

 顎をさすって思い至り、これはいいネタができたと振り返ると、両手で顔を隠したスペインが、がっくり肩を落としてそれ以上は何も言わんといて、と弱々しい声を上げた。

「なんだ、どうかしたのか?」
「ううん、親分、今心折れかけてんねん」
「お、おう? 本当、お前今日変だな。もしかしてもう振られたとか……?」
「男として見てもらえへん辛さ、同じ男やったらわかるやろ」

 いっそ哀れなぐらい大げさに項垂れた様子に、これ以上は触れないほうがいいかなという気になってくる。悪かったよ、と宥めて、せっかくだから寝室で飲むかと誘ってやった。両手で顔を覆ったスペインは、ああ、と気のない返事。
 電気を付けずに寝室の扉を開く。そのまま窓へと近寄れば、恐らくこのホテルの一番の売りだろう美しい夜景がきらきらと輝く。先ほど歩いてきたネオンが遠目に美しい。色とりどりの光に息を呑んだ。

「これはすげぇな……、おい、スペイン。お前こういうの好きだろ?」

 振り仰いで見れば、さっきまで情けない声を上げていたはずのスペインが、眩しそうに目を細めて静かに佇んで頷いた。いつもと違う空気に、あれと小首を傾げる。

「うん、好きやで」

 低く囁くような声音が室内に響いた。それが、なぜか全く違う意味を含んでいるように聞こえてしまって、急に恥ずかしいような居たたまれないような、奇妙な感情が胸を掻き乱した。

「あ……、あ! そういや、て、テレビ! テレビ見ようぜ」

 急に変わった空気が恐くて、慌てて大きな声を上げる。わざとらしい程の空気を読まない声を非難するかのようにスペインに名前を呼ばれた。

「ロマーノ」
「……っ! な、なんだよ?」

 動揺して裏返りかけた声に、取り返しのつかなくなりそうな奇妙な予感がした。やけにしっとりと名前を呼ばれて、こんな色気のある奴だったのか、という変な不安が過ぎった。ずっと俺にとってのスペインは、保護者のような兄のような、そういうほとんど身内みたいなものだった。だから、今みたいなあからさまな声など聞いたこともなかったし、知りたくなかった。
 いつになく真剣な表情をしているせいか、隣室の光を受けて逆光になったスペインの顔に濃い影が落ちて、普段よりも大人びて見えた。

「このホテルも薔薇の花束も、ディナーは……いつものとこやったけど、全部ロマのために用意してんから」

 それ、どういう意味? は、言葉にならなかった。タイミング良くホテルのボーイがベルを鳴らして、先ほど頼んだルームサービスを運んできたことが告げられたからだ。自ら壊そうと努力してもびくともしなかった、不穏な空気は思いがけずあっさりと破られ、俺はわざとらしく扉へ駆け寄る。

「あ、俺、出る!」

 っていうか。
 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
 正直に言って、ボーイが来て助かった。火照った頬を冷ましたくて、しかし安心したせいか急に心臓がドキドキと脈打ちだす。思い出したように体中が熱くなって、緊張していたことに気付いた。
 扉へ向かう途中、スペインの横をするりと抜けようとしたところで、手首を掴まれて力強く引き寄せられた。崩れかけたバランスを取ろうとする間に、ぎゅっと抱きしめられる。

「!Feliz cumpleanos!」

 そうして、あの低い意味深な声で囁くと、額に一つキスをして手を離した。混乱して頭の中がぐるぐるしている俺に、スペインはあんまり見たことのない眉根を寄せて何かを耐えているような深い笑みを返してくる。
 どう反応すれば良いかもわからなくて目を白黒させる俺を置いて、結局、スペインが扉へと向かった。そしてボーイを迎え二言三言、なにやらやりとりをしている。運び込まれるルームサービスとスペインを横目に、俺はと言えば力が抜けてへなへなと倒れ込んだのだった。

「な、な、な……」

 今の、なんだ?
 あんな、男が惚れた女を口説き落とすような顔、知らない。
 そう考えた自分の思考に、ヴォアアアアア!! とのたうち回りたくなる。そうしなかったのは隣の部屋にボーイがいたからだが。
 ただ、おめでとうと言われただけ抱きしめられただけキスされただけ! あんなものは挨拶で、子どもの頃から何百回何千回と繰り返されているやり取りのはずで。
 っていうか、泊まるとか。急に、先ほど何でもなかった誘いが、とんでもないことだったように思えて、また顔に火がつく。

「ロマ、ロマーノ。何暴れてるん?」
「だ、誰のせいだと思って……!」
「え、俺?」

 そうして少し思案したように黙ったスペインが、ふっと意地の悪い笑みを浮かべる。

「なんや、さっきの意識した?」

 へ、と間の抜けた声が出た。それが、事態をより悪化させたように思う。スペインの言葉ひとつ、仕草ひとつに動揺している。

「やって、ずっとアピールしてるのに全然気付いてくれへんねんもん。純情さんもたいがいにせんと、ただの鈍感さんやで」

 ほとんど呆れたような言い方で、まさかスペインに鈍感などと言われる日がくるなんて思いもよらなかった俺は、何言ってやがると虚勢を張りたいわけだが、そんな元気も勢いもなくて、結局弱々しく唸り声を上げるに留まった。

「ロマーノの誕生日は、長いこと気付いてくれへんかった俺の気持ち全部聞かせたるな。覚悟せぇよ」

 穏やかではない笑顔で、にぃっと笑ったスペインが悪戯を思いついた子どもと言うには可愛げがなく、獰猛な獣よりはいくらか理性的な企みを告げると、一晩中俺にその情熱を聞かせたのだった。

 その後のことは、恥ずかしくてとても口には出来ない。ある意味、ロマンティックな誕生日を過ごしたとだけ言っておこう。

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