夢の国で会いましょう

 スーパーで買い物している時の事だった。必要な食材をかごに入れレジを待っている間、一緒に来ていたスペインがロマーノのそばを離れて一本の柱のほうへと近寄って行った。あんま遠くへは行くなよ、と声をかけると、うん、と生返事。やれやれ、と首をすくめて手早く会計を済ませる。まだ7歳になったばかりのスペインは、しっかりしているように見えてもやはり子どもである。時々こうやって自分の興味のあるものに気を取られ、周りが見えなくなることがあった。
 セルフレジで支払いを終えてスペインの姿を探す。幸い、先ほどの柱の前でぼんやりとしていたのですぐに見つかった。

「おい、はぐれても知らねぇぞ」

 この間も、ちょっとロマーノが目を離した隙にフラフラと歩き回って迷子になっていた。あの時はロマーノが見つけた途端、目に涙を浮かべて抱きついてきたくせに、また同じことを繰り返すつもりかと咎めれば、スペインがもじもじとしながらロマーノの右手を握りしめた。

「? なんだよ、急に。手繋ぎたいなら後でにしてくれ。今はこれを袋に詰めねぇと……」
「あ、あんなあ。ロマーノにお願いがあるんやけど……」

 おや、珍しい。やんちゃではあるが、ロマーノを困らせるようなことはしない子どもだ。今までに何かをねだられたこともなかった。うつむいていて表情ははっきりと窺えないが、耳たぶがほんのりと赤く染まっている。

「珍しいな。どうかしたのか?」

 らしくもなく甘やかすような声が出たのは、単純に子どもらしい姿を微笑ましく思ったからだ。何かと不器用で周りに手間をかけさえてしまうロマーノとは違い、スペインは出会った時から家事も率先して手伝ってくれるし良くできた子どもだった。そんな彼が珍しくロマーノに何かをねだろうとしている。ロマーノもまだ一介の高校生だったから、そんなに無茶な願いは聞いてやれないが、できる範囲の事なら叶えてやりたいと自然に思う。

「あんなあ、俺なあ……あの、ここに、行きたいねん」

 そう言ってスペインが指差したのは柱に貼られたポスターだった。
 世界一有名で、きっと誰もが憧れる夢の国。そのシンボルとも言える城の写真は、去年、ロマーノがまだ中学生だった時にクラスメイトたちが卒業旅行に行くのだとはしゃぎながら見ていたものと同じものだ。ロマーノだって今までに何度も目にしたことがある。幼い頃は祖父に連れられて弟と一緒に遊びにも行った。あまり記憶にはないけれど、家のクローゼットに仕舞っているアルバムにはその時の写真がしっかりと収められていて、とても楽しそうな自分の姿が写っているのだ。
 そりゃあスペインだって行きたいだろうなあ、できることなら連れて行ってやりたい。だけど。

「んあ? あ、あー…………」

 声が腑抜けたものになったのは、費用のことが頭をちらついたからだ。

「なあ、あかん? 俺、ロマーノといっしょにトイストーリー見たいなあ」

 上目づかいで見上げられて言葉に詰まる。期待に満ちた大きな瞳がランランと輝いていて、言葉よりも雄弁に感情を伝えてくる。そういえば一緒にDVDを見た時やたら気に入っていたよな、と思い返したら、余計に何も言えなくなった。

「う、うーん……いや、その……お前がもう少し大きくなったら……」

 ここで無理だなんて言えるのが大人だというのなら、ロマーノはしばらく子どものままで良いとさえ思った。だって、この世で一番ピュアで無邪気な存在が今目の前で首を傾げておねだりをしてきているのだ。無碍にするなんて到底できないだろう。
 とはいえ、俺に任せろ、とも言いきれないのはロマーノが子どもだからで。アルバイトでもしていたら違うのだろうが、ロマーノには今の生活に労働を増やすなんて考えられないことだ。そんな体力もなければ時間の使い方だってできない。

「シーは大人向けだし、お前にはまだ早いから……だからもうちょっと大きくなってからなら……」

 我ながら苦しい言い訳だ。スペインのほうをチラリと見やると、彼は一層瞳をキラキラと輝かせて、ロマーノのみぞおちあたりに抱きついてきた。

「ロマーノ……!」
「ぐふっ……! お、お前、こんな人混みで抱きつくなって……っ」
「ほんま?! 俺がおっきなったら、ほんまに一緒に行ってくれる?」

 ああ、やってしまった。苦し紛れの言い逃れに喜んだスペインの輝くような笑顔。やんちゃに跳ね上がった眉と抑えきれない口元の笑みが、愛嬌のある顔立ちを一層愛らしく見せている。
 わかっている、こんなのは先延ばしでしかないことぐらい。けれど、今は無理でも来年には祖父が家に帰ってきて、ロマーノも何の心配もなくスペインとテーマパークに遊びに出かけられるようになっているかもしれない。今はその可能性に賭けるしかない。

「……おう、お前がそれまで覚えてたらな」
「忘れるわけないやん! 楽しみやなあ、はよ大きくなりたいわ!」

 ロマーノは知らなかった。スペインのその言葉の重みと、今後の自分に降りかかる運命のことを、何もわかってはいなかった。

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