君は知らない彼のこと

 自慢じゃないけど、俺はあまりマメじゃない。マメがどういうことなんかもようわからんけど、とりあえずプロイセンなんかは毎日毎日、欠かさず日記を書いていて、しかも日記帳は全部取ってあるらしいので、俺にはまずできないことをそれと言うんやろう。何百年分もあるのに年代順に、きちっと整理して本棚に並べているんやって。フランスはプロイセンに比べれば断然俺寄りってか、けっこう雑なところがあるんやけど、写真やら手紙やらが大好きで、これまたアルバムにわざわざラベルを貼ってまで全部取ってある。どんな些細なしょうもない手紙でも、あいつにとっては宝物みたいで、飲んでる時も話の合間に「確かここにあったはず」って取り出してくるから、なんかもう恐れ入る。
 やからな、そういうのをマメだとするならば、俺は完全に正反対のところにいる。日記、付けようと思ったこともない。写真、そもそも撮りもしない。一応、手紙だけは書斎の机の引き出しに入れてあるけど、フランスみたいに「その時の手紙はこれ!」ってすぐには出てこない。というか、どこに何があるのかもわからない状態だ。一応、あるのはあると思うんやでー仕事のも混ざってあるしな。
 そんな俺が唯一、ちゃんと取ってある思い出がメールだ。ロマーノからのメールはずっと残してある。何回も携帯電話は変わったし、俺、けっこう物の扱いってもんが雑やから本体を壊してしまったこともあるけど、奇跡的に中のデータは全て今も残り続けている。
 初めの頃は、メールボックスがいっぱいになるどんどん古いメールから消えていくんで、俺は必死でロマーノ以外のメールを削除して頑張ってたんやけど、イギリスのまゆげからメールの保護の仕方を教えてもらってからは、そんな心配をする必要もなくなった。あいつ意外にええ奴なんやなあ。おかげで、仕事中にメールがいっぱい着てロマーノからの記念すべき初メールが消えてしもたらどうしようって不安になることもない。
 最近は携帯も進化して、パソコンにバックアップを取っておけるようになったから、携帯自体を壊してしまうあのスリルからも解放された。バックアップ。ようわからんやろ。俺は知ってんねんでー! このコードでパソコンに繋いで携帯の中にあるファイルをコピーしてくるんや。更に更に、ニッポン様様、この小さいカードを携帯に差し込むだけで、パソコンがなくてもバックアップとれるねん。すごいなあ。全部、イギリスのまゆげが言うてたことなんやけどな。フランスにその話をすると、なぜか「さすが粘着は違うねー」ってブツブツ言っとった。
 ロマーノからのメールを全部取っているって言うたらみんなにびっくりされるけれど、そもそもあいつは滅多にメールをくれへんから、そんなに大した量でもない。俺が携帯を持ち始めて数年経つのに、プロイセンからくるしょうもないメールのほうがよっぽど多い。まあ、それは見たら消すけど。
 滅多にくれないのもあって、ロマーノからメールがくると嬉しい。待受画面に「ロマーノ」って文字が表示されてるだけで、によによしてしまう。すぐに見るのはもったいないから、ちょっと時間を置いてみたりもする。けど、やっぱり気になって何度も携帯を手に取ったり置いたりを繰り返してしまう。それだけ、俺は喜んでるんだからもうちょっとくれても良さそうなもんなのに、未だに送られてくるタイミングと言うか、ロマーノ的なメールのきっかけはようわからん。全力で返信してるのに返事くれへんことも多いし。たぶん、気まぐれに送ってきてくれてるんやとは思う。

『携帯替えた』

 この時のメールもそうだった。朝一で送られてきて、俺はまだ寝てたいなーって思ったけど、ロマーノからの着信やって気付いた瞬間、飛び起きて携帯を手にした。寝ぼけてたからもったいつけるのも忘れて勢いで受信したメールを開いてもうてんけど、珍しいことに、と言うかその時はじめて写メが添付されていた。
 視線をカメラから思いっきり逸らして、不機嫌なようなむっとした表情でカメラに向かって右手を伸ばすロマーノ。今パソコンで見るとサイズも小さいし画質も悪いんやけど、俺はそれで一気に目が覚めて大慌てで電話した。まあ取ってくれへんかったけどな。何でもイタちゃんと仲が良く、しょっちゅう家に遊びに来る日本の影響でカメラ機能の付いている機種に変えて、それの試し撮りをしただけだと言うことだった。おかげで俺はその写真を待ち受けにして、いつでも携帯電話を眺めてはロマーノに会える楽しみを得たわけや。

『お前のせいで転んだ』

 これは、何やろ。ようわからんな。用事がある時にしか連絡くれへん、何なら仕事の話でも滅多にメールもくれへんロマーノも、たまーにこういう脈絡のないメールを送ってくる。あと、ゴミ捨てられへんくなった時とかも送ってくるけど。

『大丈夫か?怪我してへん?』
『膝が重傷だ』
『それは一大事や!親分に写メ送ってみ!』

 思い出した。ドイツにケンカを売りに行って転んだ日に送ってきたやつだ。その夜は珍しくけっこうやり取りが続いて、ちょっと調子に乗って生足を所望してみたんやった。送ってからすぐには返事がこぉへんくて、ちょっとやり過ぎたかなあと寝ようと思った時。

『俺の傷を見て泣いてもしらねぇぞ』

 そう、それで送られてきたのがすりむいた膝小僧の超どアップで、ほとんど画面いっぱいのすり傷に俺はすごくすごく落ち込んだんやった。なんかもう、可愛らしい(ことはよく知ってるけど写真では全然わからへん)膝に、細かい傷が入ってるのを見てかわいそうやと思えば良いんか、俺がかわいそうやと思えば良いんか、ようわからんくて、期待した分だけちょっぴり泣いた。

『せやか…
痛そうやんなあ…

あ、ほな、元気になるおまじないしとくな!ふそそー´ワ`』

 あれ、でもそれに対する俺の返事、元気やな。まあ、そういうこともあったみたい。

 ロマーノはカメラ付きの携帯にしてから、たまに俺のリクエストに応えて写真を撮って送ってくれる。そういう意味では俺も写真マメかもしれへんなあ。まあ、ロマーノも大雑把な奴やから、送ってくれるのもほんまにたまになんやけどな。
 その日は仕事は上手くいかないわ、ランチは注文忘れられるわ、店の前に並べてある自転車倒してしまうわ、アメリカの奴に家のことで文句言われるわ(財政難やねんからしゃあないやん!)で散々な日で、ロマーノが家に遊びに来てくれてたのに、全然元気が出なかった。俺の落ち込みようがあまりにひどかったのか、顔を合わせた時のロマーノはびっくりした顔をしてチョコラーテを入れてくれたり、ご飯作ってくれたりとめっちゃ優しくて「お前、本当に大丈夫か?」って気を遣う言葉までかけてくれた。
 優しいなあ、可愛えなあ、と思うのに、普通ならそれだけでメーター吹っ切って空飛んでもええぐらいなのに、その時の俺の心にはあんまり響いてこぉへんくて、つい「せやなあ、全然大丈夫とちゃうから天使の笑顔が見たいなあ」などと意地悪を言った。
 いや、ちゃうで? ロマーノの笑顔が見たかっただけなんやで。可愛いロマーノが俺のために笑ってくれるって何それめっちゃ可愛えやん! 今すぐ見たい! それなのに、俺の力なんて抜け切ってふわっふわに吹き飛んでしまいそうなその言葉を聞いたロマーノは、目を大きく見開いた後、しばらく考え込んで「わかった……」とだけ言って、さっさと帰ってしまった。何がわかったんやろね。
 ただでさえ疲れきってた俺は、何もわかってへんやんって一人取り残された自宅で落ち込んで、どんどん勝手に冷えていくカップの中のチョコラーテを見つめていた。完全にテンションはだだ下がりで、ついでに言うと機嫌も急降下で、寂しい自宅で絶望見てるみたいやった。

『天使』

 本文にはそれだけしかない、絵文字も顔文字も何もないそっけないメールが届いたのは、ロマーノが帰ってから三時間ぐらい経ってからだった。俺はふて寝してやろうとベッドに入って、でも目を瞑ったら世界中が俺のことのけ者にしてるみたいで全然眠れんくて、ぐだぐだシーツの上を転がっていた。
 なんやー俺、ロマーノには慕われてると思ってたのにーとか、たぶんそんなことを考えてたと思う。
 そっけないメールに添付されていた画像は、笑顔のイタちゃんと、そのイタちゃんに肩を抱き寄せられて無理やり画面に入っているロマーノのツーショットの写メやった。口はへの字に曲げられていて、目元は真っ赤、睨み付けるようにカメラを見上げてるくせに眉はハの字に下がっていて、今にも泣き出しそうなその表情は、お世辞にも可愛いなんて言えないものだ。こんだけ画質が悪くても、それでもはっきりわかるぐらい、目は充血している。

『これ何?』
『お前が天使の笑顔見たいっつったんだろ』

 まあ、それで理解した俺も奇跡やんなあ。褒めてくれてもええんやで! 言葉少ないロマーノそのものを表してるようなそっけないメールを読んで、ベッドの上で携帯持ったまましばらく硬直してたんやけど、ロマーノが、俺がイタちゃんに会いたがってると思ってわざわざ写メを送ってきたんやって気付いた時の俺の気持ちなんか、絶対誰にもわからへんと思う。少なくともロマーノにはわからんやろうな。
 俺はその場でボロボロ泣いた。涙ってもんは一回流れ始めたら止まらんくなって、いちいち拭うのも面倒やったから流れるのに任せてひたすら泣いた。一日分の喉元まで出かかってた悲しいを、ロマーノの愛情が押し出してくれたみたいに、顔を合わせていた時には全く響かなかった優しさや、ロマーノっていう存在そのもの全てにまた泣けてきて、後から後からいくらでも涙が出てきた。
 どれぐらいそうしてたんやろう。息苦しくなって酸欠になるぐらい泣いて、涙がつっかかってえづいてたら、また携帯が震えた。短く震えてメールの着信を知らせる。待受画面にはロマーノの文字。

『馬鹿弟が俺も入れってうるさくて一人で撮らせてくんねぇだよ!』

 何を一人で怒っているのだろうか。きっと、またまた卑屈を発動させて、俺がイタちゃんだけを見たかったのに自分が入ったから返事がないんかとか、勝手に心配になってるんやろうな。俺は涙か鼻水か汗か何が何だかようわからんぐちゃぐちゃの顔で、へらっと笑ってみた。一度、笑ったら腹の底から笑いが込み上げてきて、ふふ、と声に出して笑ってみた。ロマーノは、すごいなあ。

『かわええよー´ワ`
ロマーノが』

 このメールの後、珍しくロマーノから電話かかってきて俺は涙声で電話を取った。何でかロマーノも泣いてるような声で鼻をぐすぐす言わせとったけど、「だっせー何泣いてんだ!」って虚勢を張るので言わないでいてやった。そこで、ロマーノもやんって言うのは簡単やけど、あの子の頑張りを無駄にするようなことをわざわざ言わんでもええかなって、泣き過ぎてクラクラする頭でぼんやり考えてた。

「おい、スペイン! てめー人のこと呼び出しておいて家にいないってどういうつもりだ!」

 玄関先からロマーノの声がする。めっちゃ怒ってるような言い方のわりに、声は優しい。実際に俺がおらんかったらおらんかったで、しょうがねぇなあって言って家の中で待つつもりの、そういう声だ。

「おるよー! ちょっと待ったって!」

 声を張り上げて呼びかければ、なんだいるのかと言っているのが聞こえた。ズカズカと足音が続いたので、きっとリビングへと向かったのだろう。
 俺は携帯電話の中にあるファイルをパソコンにコピーして、処理が終わるのをしばし待つ。ロマーノとのメールを保存しているフォルダは少しずつ容量が増えてきていて、あとちょっとで俺の中の一区切りまで届きそうだ。
 これがキリの良い数字まで届いたら、ロマーノに伝えたいことがある。
 そんな女々しいジンクスをかけ始めたのはけっこう最近で、それを決めてからはその日が待ち遠しくて頻繁に写メを送るように頼んでいる。どうしても送ってくれそうにない時は記念写真をロマーノの携帯で撮って転送してもらうような、ちょっと卑怯な技も使ってみたり。最近の携帯電話は昔のしょぼい写メとは違ってデジカメみたいなのも撮れるから、そのおかげでこれがいっぱいになる日は最初に想像していたよりも近そうだ。

「なんやあ、着いて早々、いきなり寝る気なん?」
「悪いか」
「ええけど。レモネードいる?」
「ん」

 パソコンの電源を落としてリビングへと行くと、ロマーノがソファに寝転んでうとうとしていた。あっという間やなあ、なんて文句にもならないのろけめいたことを言いながら、冷蔵庫へと向かう。

「あ、なあなあ、初めてメールした時のこと覚えとる?」

 振り向いて見たロマーノが思いきり顔を顰めて変な顔をしているので、少しおかしくて吹き出した。そうしたら、それが気に入らないらしく鋭い目で睨み付けてくる。三角にとがった目。全然怖ないけど。

「覚えてへんの?」
「うっせー」

 面倒くさそうにそっぽ向かれた。何やようわからんけど。

「俺、ロマーノから着たメールはよう覚えてんで!」

 何度も読み返しているし、今さっきも読んでいた。眠りに落ちかけていたロマーノを引っ張り上げて、今日は少しだけ前の思い出話をしよう。

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