泡になりたい

 スペインにとって俺の気持ちはあってもなくても同じだ。俺が嫌いだって言ったら「可愛くないなあ」と呆れて「そんなお前を愛せるのは親分ぐらいやでー」と笑う。俺が好きだって言ったら「珍しいなあ、俺も好きやで」と笑う。つまり、どっちでも良いんだ。俺でなくても、本当は。
 あいつとどうやって今の関係になったのか、今となってはもう覚えていない。たぶん、はっきり好きだとか付き合おうだとか言ってなかった。そんなことをわざわざ宣言しなくても、俺がスペインを好きなことは誰の目から見ても一目瞭然で、だからあいつがその気になれば自然とそういう風に収まった。

「なあ、スペイン」
「んー?」
「別れよう」

 麗らかな午後、ちょっと畑のようすでも見に行こうと言うのと同じ調子で、俺は切り出した。

「何なん? 何かあった?」

 スペインは読んでいる雑誌から顔も上げずに言う。きっと、また俺が何か試していると思っているのだ。

「何もない。何もないけど、別れたい」

 それは半分本当で、半分嘘だった。
 何かあると言えば、もうずっとある。けれど、今この瞬間にその結論を出すに至ったきっかけは特にない。たまたまそういう気分だったから、今日なら言えると思った。今日なら、勢いに任せて別れられるんじゃないかと、本気でそう思った。
 だって、俺はいつだって不安だった。スペインの混沌とした愛情は、いろんなものに与えられている。弟もそう、オーストリアやフランス、じゃがいも兄、国民やトマト、きらきらとした愛らしい子ども達にも。親愛や信頼、執着、友情、思慕といった愛情と呼ばれるものすべて、それらは混合率は違っても平等な量に分けられていて、俺は時々、ほんとうに時々、あいつは何かの拍子さえあれば他の誰かとも寝れるんじゃないかって不安に思う。例えば行きずりの好奇心で一夜を過ごすなんてことはよくある話だけれど、友情だったり家族だったりといった感情をもっている相手と抱くだの抱かれるだの、俺にはちょっと考えられない話だ。
 けれど、これだけ長く生きていれば、恋愛とほとんど変わらない愛情を注ぐ相手がいてもおかしくないのかもしれない。俺にはスペイン以外にそこまで思える関係の相手がいないけれど、何にも変え難い親愛と、俺のスペインへの感情にどれだけの違いあるのだろうか。
 ハンガリーとプロイセンはよく互いのことを、「絶対にありえない。地球が引っくり返っても同性にしか思えない」なんて言っているが、傍目からは自然体で付き合えるお似合いカップルだ。一方で全くあの二人の言う通り、どれだけ生きてたってそれとこれとは別なのかもしれない。俺が何世紀経ってもベルギーに恋に落ちないように。
 どちらが正しいかなんて知らないが、どっちにしたって俺には相談する相手もいないし思い悩むこと自体が愚かなことだろう。そもそも、スペインのことなんて正しくその輪郭を把握できたことなんて一度もない。いつも瞼を閉じてその姿を思い浮かべば、ぼんやりとして掴めないまま霧散していく。ほら、悩むこと自体が愚かだろう。だって答えが出るわけないのだから。それなのに「スペインは俺じゃなくても良い」と考えられるもっともらしいところを探してきては、勝手にこの恋の悲劇制に苛まれ絶望の淵に沈もうとする。
 昨日、俺がスペインへとやって来て久しぶりの互いの近況を報告し合うように、他愛のない雑談を交わした。その中で挙がった、夜通し二人きりで飲み明かしていたとか、今度行こうと約束していた新しい店へ一緒に遊びに行っただとか、俺が知らない趣味を共有しているだとか。そういう本来ならば思い煩うほどではない些細なことが、柔らかなトゲになって心臓に刺さる。その、気にしなければ気付かないような何かが増える度に表情が動かなくなって、いつもなら冗談にすることですら笑えない。街ですれ違った女がどう良かったなんて、聞きたくもないぐらいに。
 そうやって不安に塗り潰された時は、いつも狂ったみたいにスペインを求めておかしくなったふりをする。あいつがそれを喜んで俺を甘やかすから、甘えたい俺の悪癖は治らないで、何度も何度も同じことをやらかす。「俺にはロマだけやのに、心配性やなあ。ずっと一緒におるよ。今日は朝までこうしていような」とぬるま湯に浸されグズグズになれば、その時だけ満たされて、スペインを独り占めにした分だけ平穏が得られる。
 でもそんなのは根本的な解決にはなっていないから、暫く日常を過ごせば俺はまた降り積もった不安を爆発させて、そんな飽き飽きとするほどの予定調和をまた繰り返す。
 何より悔しいのは、そんな面倒くさい自分自身だ。俺だって手に負えない面倒なイタリア・ロマーノに、スペインがいつ愛想を尽かして離れていくとも知れないと言うのに。
 そんなことに苦しむなら、いっそ別れてしまえれば良いのだと思う。その甘美な妄想はいつだって俺に寄り添っていて、スペインのことに思い煩わなくて良い自分を想像すれば、それはどうしようもなく孤独で幸せな俺だ。
 もうスペインのことなんて考えたくない。

「何もないから別れたい」

 そうして何もない俺になりたい。このどうしようもない俺に特別なものをもたせないで。

「それは無理やわあ」

 けれど、目の前の男はページをひとつ捲って、呑気にそう告げた。

「俺、ロマーノのこと好きやし」
「俺は好きじゃない」
「それ、嘘やろ」

 あっさりと一蹴されても平気な顔で嘘を続けられれば良かった。
 みんな「それは刷り込みだ」って言う。「もっと他のものに目を向けてご覧」って簡単なことのように言うんだ。それができるのなら、とっくにそうしている。俺にはずっとあいつしかいなかったから、この感情が適切なものかどうかも判断はできない。

「ロマーノが俺のこと好きじゃなくなることなんてないもんなあ」

 だって、選択肢は初めから与えられていなかった。

 昔、飼っていた猫がいた。スペインが連れてきた赤ちゃん猫で、そいつがどうやってスペインの家にやって来たのか経緯は知らない。「ちゃんと世話するんやで」と渡されて、幼い俺は無邪気に喜んだ。初めて飼った動物だったと思う。
 弟とは長く離れて暮らしていることもあって、家族とはあまり思えなかったから、ほとんど初めてできた自分より弱くて守るべきものに夢中になっていた。何せ家にやって来た時は手のひらに乗るぐらい小さかったんだ。そのあまりに頼りない小ささに、簡単に壊れてしまうんじゃないかと不安になって、危険なものすべてをそいつから遠ざけた。当時、近所には大きな犬がいて、よく散歩しに家の近くまで来ていたのだけれど、遭遇しては大変だからと外へも出さなかった。今思えばあの犬は大人しい良いやつだったんだけどな。
 使用人から家の中にずっといると退屈すると聞いて、俺がいつも遊んでやっていた。まるでそいつの兄弟のように一緒に屋敷の中を駆け回り、揉みくちゃに転がって、一緒に抱き合って眠る。つまみ食いも悪戯も、いつも俺と共犯だった。たまにフランスが家へやって来て、「なんか表情が似てきたよね」と言っていたが、本当に同じになってもおかしくないぐらいずっと一緒にいた。
 スペインは家にいないことのほうが多かったが、帰ってくるといつも「なんやあ、人間の俺より猫と一緒におるなあ。たまにしか会えへんのやから、親分も構ったって」とからかってきた。そんなこと知らねぇ、いつも勝手に外へ飛び出すのはお前だろって思ってたけど、でもやっぱり俺はその頃からスペインのことが好きだったから、そう言われると悪い気がしなくて、あいつがいる時だけは猫を構う時間が減った。猫がそれをどう思ってたのかは知らないが、寂しかったのかもしれない。何せ、いつもつきっきりで俺が一緒にいるんだ。あいつには俺しかいなかった。
 ある日、スペインが珍しく自分の誕生日に屋敷にいることがあった。その時期は祭典だの祭りだので一日中家にいることなんて滅多になくて、俺はいつも前日か後日にこっそり「おめでとう」と伝えることしかできなかったから、その年は当日に直接祝えると知って張り切っていた。ちょうど、スペインの腹ぐらいの背丈で簡単な食事やお菓子なら自分で作れるようになった頃だ。
 年が明けた頃から何をしてやろうかとそわそわして、相談したベルギーや屋敷の使用人たちが微笑ましげに見守る中、ああでもないこうでもないと悩んでいた。自然と猫と遊ぶ時間はなくなって、ご飯時や寝る前のちょっとだけしか一緒にいなくなっていた。
 赤ん坊の時から片時も離れず実の兄弟よりも兄弟らしく過ごしていたのに、ほとんど家にいない男のことばかり考えている俺のことをあいつがどう思ったのかは知らない。俺は本当にあいつのことを顧みなかったから、どんな顔をしていたかも覚えていないんだ。
 そうして、事が起こったのはスペインの誕生日の前日だった。屋敷中が騒がしく、翌日の特別な日のために落ち着かないでいた。俺も準備があったから朝からスペインの目を盗んで仕度をするのに忙しくて、何度もベルギーに頼んであいつが入ってこないよう念を押し、キッチンへと篭っていた。
 あいつの好きなもの、海鮮をふんだんに使ったパエリアにガスパチョ、アンチョビを使ったパスタ、デザートはクレマ・カタラナ。大人たちに手伝ってもらいながら、四苦八苦して作った。盛り付けは歪になったが、見てもらっていたおかげもあって味は食べれるものになっていた。
 昔からの悪い癖と言えば、ひとつのことに熱中すると他がすっぽり抜け落ちてしまうことだろう。その日、猫の姿を全く見ていないことに気づいたのは、日も暮れて夕食の時間になる頃だった。

「スペイン、スペイン、大変だ! 猫やろうがいない!」
「なん、ロマーノ、まだあの猫に名前つけてないん?」

 仕事を終えて執務室から出てきたスペインを捕まえ、半分泣きべそをかきながらスペインに泣きついた。

「猫は猫だろ! そんなことより、どこにもいないんだ。いつもなら鈴の音がしたら出てくるのに、ロザリーも朝から見てないって」
「なんやろ、外へ出てってもうたんかなあ」

 その言葉にたちまち青ざめて立ち尽くす俺に

「まあ、猫は気まぐれなもんやからな。放っておいても餌がもらえるとこに帰ってくるで」
などと追い詰めるようなことを告げる。
「あいつ、一度も外へ出たことないんだ!」
「え」
「ど、どうしよう……、もう帰ってこれなかったら、どうしよう」

 頭が真っ白になって皮膚がざわざわと落ち着かない。神経が痛いぐらい尖って、誰でもない俺自身が俺を責め立てる。「放ったらかしにしたからだ」「どうして朝からいないことに今まで気づかなかった」「最後に見たのはいつだ」……まるで、こめかみに心臓があるみたいに、どくどくと音がして他のことは何も考えられなくなる。

「俺、おれ……ちゃんと世話してたのに、大事にしてたのに」

 言い訳のようなことを誰に伝えるでもなく繰り返し、自分のせいではないと主張しては、内側から否定される。呼吸が早くなって地面が揺らぐのを口を開いて喘ぎ、罪悪感を逃がそうとする。

「ロマーノ! 落ち着き。ちゃんと探そうな。親分も手伝ったるから」

 スペインの温かくて大きな手のひらが背中を撫でる。優しい声音で「大きく息吸って……そうそう、ゆっくり吐いて」と繰り返した。徐々に落ち着きを取り戻した俺を見て、満面の笑顔で「一緒に探そうな」と言う。それだけで何とでもなるような気がするのだから、不思議だ。俺はいつだってスペインが「大丈夫」と言えば、本当に大丈夫になるのだ。きっとそれは、ただの小麦粉で風邪が治るのと同じ原理。

「俺は一階を見るから、ロマーノは上を探して。狭いとこに隠れてるかもしれへん」

 そう言われて素直に頷いた。スペインがついていれば大丈夫。幼いながらにそう信じて俺たちは猫を探した。
 結果的に言えば、猫は外にいた。玄関先で寒そうに縮こまっていたらしい。らしい、と言うのは第一発見者がスペインだったからだ。

「たぶん、ドアが開いてて勢いで飛び出してもうたんちゃう?」

 というのがスペインの話で、もう子どもじゃなかったから良かったものの、冬の寒空の中、放り出されていた猫はひどく動きが鈍くなっていた。しかし、それでも俺を見た途端、激しく鳴き出してすり寄って離れなかった。大人たちは「やっぱりロマーノによう懐いてるわ」と笑っていたが、俺は初めて自分がしてきたことの残酷さに気付いたんだ。
 俺が構わない間、暇を持て余して寂しくても、外へ飛び出すこともできない哀れな猫が、そのまま俺と同じだった。今更、外の世界へ出されてたって何もない。俺たちにはこの生き方以外には何もなかった。
 この扉の向こうに世界が広がっていて、けれど、それを選ぶことはできない。
 そうやって、俺以外の選択肢を取り上げてしまったかわいそうな猫については最後まで面倒を見た。最期のその時、本来ならば人の目を避けてひっそりと逝くというその動物が、俺の腕の中で冷たくなっていく。弱っていくのに何もできない短くて長い時間、俺は想い出話を語りかけていた。お前が来た日、一緒に遊んだこと、悪戯をして叱られたこと、ちゃっかりお前だけ逃げおおせたこと。それは哀しかったけれど、身勝手で幼い愛情を押し付けてきた罰だと思った。

 その後も何度か動物は飼ったが、もうそんな愚かなことはしなかった。外へも出したし、たまに外のほうが気に入って帰ってこないやつもいたが、それもそいつの生き方だと思って寂しかったけれど受け入れた。
 俺は猫よりずっと長い時間を生きていく。スペインから一方的に与えられるまま、世界を見ることすらどうすれば良いのかもわからない。それは扉の外へ出ても動けずにいる猫と同じだ。何度も不安で感情に疲れきったとしても、寂しくて凍えてしまっても、俺は縮こまっているしかないのだろう。
 いっそ、泡になれたなら良かった。

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