個室にて

 日本で開かれた会議はアメリカの案にイギリスが食ってかかって(機嫌悪いみたい、更年期かな)、それにフランスが茶々を入れ収拾がつかなくなるいつものパターンで始まった。主催国もオロオロするばかりで仲裁できへんもんやから、何を決めるべきかも決まらないまま時間だけがムダに過ぎていく。あいつらも飽きへんなあ、毎回やんかって言うだけムダやし、俺はと言えば、ドイツの目が届かない席だったこともあって堂々と内職に励んでいた。今発言しているヤツらにとって、きっと会議は娯楽みたいなもん。そうと思えば、まともに相手しているほうが馬鹿らしいので、俺みたいな貧乏人は造花でも量産していたほうがマシやん。
 会議で何か決まったからって何かが変わるわけではない。みんなそれはわかってて、それでも一応は考えてますよーってポーズが大事だから参加している。そりゃそうや、実際、二酸化炭素が減ったからって借金が減るわけでもないし、アメリカとイギリスが和解して昔のように仲良し家族ごっこを始めたからとて俺のロマーノが帰って来るわけでもない。それどころか、変に会議が進んでしまったら今騒いでいる奴らにとっては都合の良い、こちらとしては面倒なだけのルールが増えて仕事がやりにくくなる。あれ、この会議ってやるだけ損なんちゃう? そう、やからこそ余計に何も決まらない会議でええねん。上司たちがやっとる会議で動きがあれば別だけど、たいていの場合はただモメるだけモメて何もまとまらない、いつもやってるから今回もやろうやーって開催されているだけのようなもの。ほんまに不毛やで。
 内職みたいなチマチマした作業はこんな風にガラにもなくいろいろ考えてしまうから、図書館みたいなシーンとしているところよりも少しうるさいぐらいのほうがよっぽどはかどる。話し相手になってくれるような誰かが隣にいるとなお良しで、今日はギリシャが隣におったからのんびり他愛のない世間話をしながら、せっせと真っ赤なクラベルを作っていた。
 今週分のノルマはゆうにクリアできていそうな数の紙の花が机の上に積み上げられた頃、ふっと、そういえば今日の議題って何やったっけって思い出した。いくら会議に中身がないと言ったって、一応はちゃんと名目があって集まったはずだ。それなのに、この遠い島国に来た理由すら思い出せなくて首をひねる。こういった会議に来たり来なかったりするロマーノが、今日は出席すると聞いていたんで、よっしゃ可愛い恋人の顔を見れるわー上手いこといったら飯にでも誘えるかもって、喜んだことだけは覚えている。でもそれがどういう経緯で聞いたんだったかは忘れてしまった。
 なんやったっけなあ、と手元のクレープ紙に視線を落としながら考えていたら、けっこう離れたところにいるドイツの不穏な咳払いが聞こえてきた。チラっと見たら忙しなく大きな背中が揺れていて、イラついているのを隠しもしないでコホンって喉を鳴らしている。聞いているほうとしてはその咳払いのほうが耳障りやねけど、ああ、これは相当きているようだ。
 ドイツがイライラしてるんはわかってたんやけど、俺にはどうすることもできない。
「ドイツ……怒っている……」
「イライラしてるやんなあ」
 ギリシャもそれきりどうこうする気はないようで、話題はすぐにネコの話へと変わった。
 しばらくそうやってダラダラ会議室で缶詰めしとったら、これまたいつものことだけど、アメリカとイギリスとフランスがケンカをはじめた。三人の実のない罵り合いは、ここに出席している国らにとっては百年単位で何度も何度も聞かされているし、うんざりするようなきったない言葉も混ざっとったけど今さら眉をひそめて怒るような者もおらへん。あーまたやってるわ、で流される話だ。もしかしたらオーストリアあたりは怒っているんかもしれないけれど、あいつも最近、内職で忙しいみたいで、もはやただの犬と猿になってしまったあの三人の言い争いをとがめる声はどこからも聞こえてこなかった。
 ギリシャが何を言っているのかも聞き辛くなるほどの騒ぎになっってくる頃には、隣席の友人はうつらうつら舟をこぎはじめた。半分、夢の世界へ落ちかけたままもぞもぞ言うんで、何度もなんて? って聞き返したけど、ギリシャもけっこうマイペースなほうやから語尾が萎んでいって、ついには返事が途切れてしまった。おそらく夢の世界に落ちてしもたんやろう。「ギリシャー?」って呼びかけたけど、全然返事はなかった。
 話し相手がいなくなると、ただでさえつまらない会議だ。途端に退屈になる。まだやるべきことがあれば良いのだけれど、内職にも飽きているし、始まってから数時間、朝から拘束されっぱなしや。ここに座っていることにすら嫌気が差していた。
 こんな時、隣にロマーノがおってくれたら何も話ななんかせんでも楽しいのに、イタリアの席は俺からは少し離れていて、その後ろ姿しか見えない位置にいる。毎回そうやねん。さすがに端と端ほど離れたことはないけれど、だいたいは喋られへんし顔も見られへんような、ほんまに微妙な位置になる。しかも、会議の後は他の国とお食事会やら次の日の資料作りやらであまり一緒にいられないし、ホテルに帰ったら別の部屋に行ってはいけないという決まりがあって、せっかく会議で同じ空間にいても全然イチャイチャできないのだ。会議なんて一日二日で終わるもんじゃないからある意味生殺しなんやけど、かと言ってそれを破ったらドイツからきつーい罰が下されるので従うよりほかない。ちゅーか一回見つかって怒られてるしな。ゲーテの詩集を一晩で十回ずつ書き写させられたわ。
 こういう大きな会議って半円の中に何列も机が並んでいて、それが劇場みたいに後ろになるほど高くなるよう段々になっている。一応は発表者は前に出て発言する決まりだが、ほとんどアメリカが陣取っている。けれども、あの中心にロマーノとイタちゃんが出て話してくれとったら、きっともっと会議自体に乗り気になれるんやろう。
「今日はみんなでパスタについて考えるよー!」
「ひとり一回は発言しないとただじゃおかないぞこのやろー!」
 とかね。はあ、かわええ。それなら俺もめっちゃ頑張るのに。
 机の上に広げていた今日の成果を適当にカバンの中に放り込んでぐしゃぐしゃの資料を端に寄せ、机に肘を突いてまぶたを半分降ろす。はーとため息を吐き出した。現実は世界のリーダーだか何だか知らないけれど、中央に立って騒いでいるだけの連中を眺めているだけだ。
 うんざりして頬を引きつらせていたら、ちょうどその瞬間、パーン、という軽い音が響き渡った。
 それが一瞬、破裂音のようにも聞こえて緊張が走る。反射的に何事かと身構え顔を上げた。軽く腰を浮かすとイスがガタガタと音を立てた。シン、と静まり返った室内。ぐるりと見渡すと、フランスがやけに冷静にやれやれと肩を竦めているのが視界に入った。その視線の先にいるイギリスは立ち上がっていて、遠目からもはっきりわかるほど決まり悪そうな表情をしている。それで、フランスにからかわれたイギリスがキレて机を叩いた音だとわかった。
 なんや、人騒がせなやっちゃなあ。会議室に緊張が走ったのは一瞬で、他の連中も何が起きているのかを察したのか、再び室内にざわざわと騒がしさが取り戻されていく。俺もはあ、と息を吐き出しながらイスに座った。なんやねん、結局ケンカか。
 長く退屈な会議には飽き飽きしていて、ここに拘束されることに少しばかりの苛立ちすら感じていた。イライラが表に出てしもたんやろう、すぐ目の前の席に座っていた日本がこちらを振り返った。黒い瞳が居たたまれないと言うように細められていて、苦笑いを作ろうとして失敗したような、本当に苦々しい顔をしている。彼は変なところ気にしぃと言うか、良く言えば責任感が強いってことなんやろうけど、気にせんでもええのに自分が主催の会議でこの騒ぎとかなんとか考えて、胃を痛めていてるのだろう。毎回のことなんやから気にせんでもええのに。
 俺から見たら東洋人はみんなそうやけど、特に日本は子どものように見えるので、そんな彼が辛そうにしているのは余計に痛々しくてかわいそうに思えた。あんまり顔色が悪くてげっそりしているもんだから心配になって、大丈夫なんかって聞いたら、かつてないほどの弱々しさで頷かれた。あいまいな反応に、それって大丈夫なのか全然良くないのかどっちなんやろっ思ったけど、たぶんどっちもなんやろうし黙っておくことにする。苦労性って大変やんなあ。
 チラっと時計を見たら三時前。会議の終了予定時間より二時間早くて、俺にとってはシエスタの時間だ。朝早い時間からずっとこの実りのない会議で拘束されているわけで、みんな集中力が切れている。騒ぎの半分以上はアメリカ、イギリス、フランスにロシアと中国が茶々を入れているせいやったけど、残りの半分近くは周りで見ているだけの連中の、会議には何の関係もないおしゃべりやった。でも、こんなん黙って見とけって言うほうがムチャやんなあ。
 ざわざわという騒ぎが大きくなっていって、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか。
「いい加減にしろ! お前たちは毎回毎回毎回、会議の度に喧嘩ばかり! 一体どうなっているんだ!」
 突如、ドイツの怒鳴り声が室内に響き渡った。アメリカが持つマイクにその音が入ってもうてキーンとハウリングする。うるさくて思わず肩を竦め耳を塞いだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、君の声が大きすぎてマイクがハウっているんだぞ」
「これではちっとも進まんではないか!」
「俺は君たちと違って耳が良いんだ。頭が痛くて敵わないよ」
「……いったんマイクを切れば良いだろう」
「あ、そっか」
 カチっという音がしてキンキンとした音が収まる。まだ残響で耳鳴りがするようだったけど、そのうち落ち着いてくるんやろう。
 頬を引きつらせながら耳から手を離すと、ちょうどその時、ドイツが苛立たしげに資料の紙をくしゃくしゃに丸めた。そんな些細な音で二つ前の列にいるロマーノとイタちゃんが座ったままの姿勢で飛び上がったのが目に入った。
 くわっはあ! めっちゃ可愛えええ!!
 まるでコミックやカートゥーンみたいにぴょこっと飛び上がった二人のくるんが、ぷるぷると揺れていて怯えているのが後ろから見ていてもよくわかった。それが本当もう奇跡的な可愛さで!
 ドイツが前で何やら怒っとったけど、俺には関係ないし、誰に遠慮するでもなくじっと二人のことを見ていたら、ドイツが壇上の机をバンバン叩く度に肩をびくつかせているのがわかった。もしかしたらさっきのイギリス眉毛が机叩いた時もびっくりしてたんかなあ。見落としてたわ! めっちゃもったいない。
 あからさまに怯えて見せるのはイタちゃんやけど、ロマーノの、たぶんいつも通りでいようとして肩だけがビクビク跳ねるのも可愛い。ドイツが怒鳴る度に二人が距離を縮め、くるんがひっつくほど近くで寄り添っているんも可愛い。二人は何しとっても可愛い! 何やねんなもう。よっぽど大きな音がこわいのかロマーノはイタちゃんの手を握って座っとった。
 うらやましいなあ、あの真ん中に座りたいやんなあ。なんでスペインはイタリアからいっつも微妙に離れた席に座らされるんやろ。あーもうはよ会議終わってロマーノにさわりたいわ。ぎゅーってしたい、チューしたい。早く終わってほしいなあ。はよわからんかなあ。って、あ、口に出してもうてたわあ。まあ、ええか。すぐ前を見たら日本がさっきよりも前かがみになって辛そうにしている。彼は一回、部屋から出て救護室で休んだほうがええかもね。
「というわけで、いったん休憩を挟む。騒いでいた三人だけ残ってみんなは休んでくれ。続きは二時間後、解散だ」
 はよ終われーって念じとったらドイツが休憩を宣言した。ん? 休憩?
 終わりちゃうんか!
 たぶん、ここにいる八割ぐらいはそう思ったんちゃうかな。みんなぽかんとした顔でしばらく固まっていた。
 やって、どうせ二時間であの三人が和解するわけないやん。しかも二時間も休んだらそれだけで終了時刻になってしまうのに、どうやら彼は初日から予定をブッチ切る気満々のようである。何時間、休もうがコーヒーだか紅茶だかでブレイクタイムを挟もうが、何が変わるわけともちゃうのに。
 この様子だと明日に持ち越しが非常に濃厚だ。わかりきっているのに、だからと言って、休憩と言われている以上は勝手にホテルに帰るわけにもいかない。俺としてはそろそろシエスタなんやけど、そんなことバレようもんなら今度はゲーテじゃすまないだろう。
 えー、サイアクやん。どうしたもんかなあ。ぽっかり空いた二時間弱を持て余しながら立ち上がって伸びをする。ついでに肩も回して内職で凝り固まったからだをほぐした。せっかく今日の分終わったのになあ。
 やる気がないのをそのまま表に出してダラダラしとったら、斜め後ろからひどくぶっきらぼうな声で名前を呼ばれた。
「おい、このあと行くアテあんのかよ」
 振り返ると、ぶすっとした顔のロマーノが立っていた。一体いつの間に移動したんやろう。さっきまで前の席に座ってんの見ていたつもりやってんけど。
「あーロマーノや! 会いたかったで」
「くっつくな。それで予定あんのか」
「ううん、何もないで」
「そうか。何もねぇならちょっと付き合え」
「え、なになにー? ロマーノ、用事あんの?」
「服選んでやる」
 ロマーノからの珍しいデートのお誘いだ。しかも俺のために時間を作ってくれると言う。
「え、ええの?! あ、でもお金そんな持ってへんで」
「そんなになくても大丈夫だ。メシ行くぐらいはあんだろ」
「うん、それは大丈夫」
 チャンスがあればロマーノと街へ繰り出す気だったから、上司に言ってお小遣いをもらって来ている。名目は他国との交流のため。全然、間違ってへんよなあ。
「嬉しいわ。ロマーノおしゃれさんやからなあ、親分のことも男前にしたってな!」
「素材次第だな」
 素っ気ない言い方だけど、ロマーノも嬉しいのか目尻が少し赤くなっている。かわええなあ、ほんまかわええ。
「せっかくですのでゆっくり見て行ってください」
 ロマーノの可愛さを褒め称えとったら日本に声をかけられた。
「あ、もうおなかは大丈夫なん?」
「ええ……まあ」
「おなか?」
「いえ、こちらの話です。」
 まさしくほほ笑みとしか言いようのないあいまいな笑みでロマーノの質問を受け流す。こちらってどちらや? って俺は思ったんやけど、ロマーノはそれ以上ツッコむこともなく、ふうんとだけ返した。
「私も本当はお二人をご案内したいところなのですが……」
 後ろからアメリカの声が聞こえる。あいつはドイツに叱られとったんちゃうんか。にほんにほんと騒ぎながら両手を挙げて呼ぶ声に、一体いつのまにドイツの説教から抜け出したのかと見やればフランスとイギリスがつかみ合いの取っ組み合いになっていた。ああ、なるほど。ドイツの後ろに隠れたイタちゃんの目が糸のように細くなっていて、こわがっているのが遠目にもわかった。
 日本があいまいな声を漏らしたもんだから、俺らもわかっていると肩を竦めて
「大丈夫だ。一回行ったことあるし」
「ありがとうございます。困ったことがあれば連絡してください」
 ペコリと頭を下げた日本が(あの、彼ら特有のオジギってやつ)パタパタと去って行った。

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