思い通りにはいかない

 陽気で明るい性格だから油断しがちだが、スペインって奴は俺にそういう意味で好かれていることを知りながら気付かないふりをしているような男だ。確かに社交的ないい奴ではあるけど、けれど決して善人というわけでもない。鈍感を逆手に取ってこちらからのアプローチをとことんスルーされ続けた身としては、手放しで純粋なものだとは思えなかった。
 長年望みのない片想いで泥を嘗めるような惨めさを味わわされてきた。期待しては突き落とされてを繰り返し、そのくせ突き放してもくれないもんだから、俺のほうもひょっとしてと引きずって諦めきれずに数百年。あいつもたいがいだけど、俺のしつこさにも我ながら呆れる。もはや美しさを失った恋など、ただの執着でしかないと言うのに。

「俺な、今までヤキモチ妬いたことないねん」

 だからだろう、そう言われても「ああ、やっぱり」と、それだけを思った。好きでいるだけで焦がれて苦しくて胸を掻き乱されている俺に気付いていながら、いつまでも中途半端な期待を残していたぐらいだ。きっとそんな感情なんて知らないんだ。
 好きと憎しみが入り混じるような混沌とした想いだとか、言葉では表しきれない情緒だとか、そういった複雑な感情全てがすっぽりと抜け落ちたようなこの男は、一体何がどうなってそうなったのか今では俺の恋人だ。あれだけ俺の気持ちを無視し続けてきたくせに、何をきっかけに応える気になったのかはわからない。きっと俺とスペインが人間と同じだけしか生きられなかったら、こんなことにはならなかっただろう。俺は育ての親に不毛な恋心を抱き続けた末に純情を守って死んだイタリア男として、長い人の営みの中で忘れ去られていたはずだ。

「嫉妬するような状況に気付かなかっただけじゃねぇの」

 お前は鈍いからな。冷たく言えばスペインが手足をジタバタさせて、そんなことない! って大声で否定する。

「ロマーノの中の俺はどんだけやねん」
「さあな」
「フられても引きずったことないし未練とかもないんよ。せやからかなあ、ロマーノが女の子に声かけてても平気やわ」

 聞いてもいないのにペラペラ繰り出される話の中には、当たり前のように引き合いに出される過去の恋愛、それを今の恋人に言うこと自体にうんざりしたが、スペインのあくまでも純粋な笑顔には悪意なんてカケラもない。たぶん、本気の本音だ。

「お前が平気だろうがなかろうが、俺が声をかけたいから女の子をナンパするんだ」
「えー、ちょっとは俺のことも省みてやあ」
「気にしないなら良いんだろ」
「せやなあ……、あんま独占欲とかないんかな。やっぱ恋人の良さってみんなに知ってもらいたいやん」
「他の奴にとられるかもしんねぇぜ?」
「んー、それはそれでしゃあないやろ。気持ちが離れてったもんを無理やり引き止めてもしゃあないやん。俺はそんなことよりロマーノの良いとこや、かっこええとこも可愛えとこも全部知ってもらいたいだけやで」
「……それでフランスに興奮されるこっちの身にもなれよ」
「あいつはほんまになあ、でもええやん! どんな形であれロマーノが好かれてると俺も嬉しいねん。こんなええ子に育ってくれて親分は鼻が高いで!」

 ヘラっと笑う。
 ああ、まるで絵に描いたような慈愛だ。

「……なあ、それってさ」

 恋っていうのか?

「なに?」
「……なんでもねぇよ」

 その言葉が柔らかい棘のように心にひっかってモヤモヤと心臓を苛んでくる。
 どういう意味なんだってはっきりさせればその引っかかりは解けるが、そうすることが必ずしも俺を幸せにするとは限らない。世の中には知らなくても良いことがあるんだ。
 片思いをしていた頃は一人でも平気だった。それしかなかったからだ。スペインが俺のことを見なくても他の誰か———あいつが好きそうな可愛げのある女や、政治上に利害が絡む相手、と付き合っても親しくしている姿を見ても、じっと黙って耐えていけた。
 けれど、それももう今更。一人には戻れない。だからこのままで良いと自分に言い聞かせて目を瞑った。
 
 
 
 その日アメリカには会議で来ていた。ここのところは弟に任せきりでほとんど出ていなかったが、やり玉にあげられるのが自分とあれば言いわけの一つもしなければならない。頑張ってはいるんだとか俺にはどうにもできない外部的要因がだとか、そういうことを示さないと経済ってやつは駄目らしい。
 会議が始まる前だるいなー早く帰って昼寝してーなどと考えてながら頬杖をつき、資料をパラパラと捲りながら退屈なのを隠しもしないでため息をついていると、珍しくイギリスに話しかけられた。

「よ、よぉ、南イタリア。久しぶり、じゃねぇか」

 メモと万年筆を持ったイギリスを見て、裏返った悲鳴を上げて机の下に隠れようとする。ガタガタと音を立てて騒ぐ様に周囲の注目を集めてしまう。

「違ぇよ! 今日は南イタリアの観光地について聞きたいことがあるだけだっ」

 机の陰から視線だけを上げる。腕組みをした男はうっそりと目を細めて俺を見下ろしていた。は、迫力ありすぎんだろ、こわいぞこのやろー。
 どれだけイギリス自身が紳士だと言い張ろうが、周りから「ヴェーああ見えてけっこう良いとこあるんだよー」と言われようが、俺は半世紀前のことが未だにトラウマなので、イギリスを目の前にするだけで胃が焼き付くようなひりひりとした感覚が蘇り、口の中いっぱいにあの苦味が広がる。一度植え付けられた恐怖というものはなかなか拭えず、つまるところ、とにかく怖くて仕方ないんだ。だからなるべく近寄らないようにしているが、自分の家に興味があると言われて悪い気はしない。
 おずおずと机の下から這い出ると、バツの悪そうなイギリスの顔。

「ったく……なんだって、いまだに逃げられなきゃいけねぇんだよ」

 お前のスコーンが怖いとは言えなかった。

 それからぎこちなく話し始めるイギリスにぶっきらぼうな返事をしていたが、話すうちに力強い相槌や積極的な質問の数々に口数が増えて熱もこもっていく。あらかじめ下調べをしてきているようで、そんなことまで聞くのかと感心するような少しマニアックなことまであった。普段はイタリアといえば馬鹿弟だから、そうやって良い意味で関心を持たれていることが嬉しくて会話がヒートアップする。

「誰かと行くのか?」

 ふと気になって疑問を口にする。あまりに熱心な姿勢だったので、単なる調べ物には思えなかったのだ。例えるなら大切な人と旅行するための準備のような———、そう思って聞いただけなのに、イギリスは勢い良く顔を上げて目を吊り上げ、

「そんなわけないだろ!!」

 と怒鳴りだした。
 ……そ、そんなわけないほうが良くないんじゃないのか? 一人で行く青の洞窟も良いと思うが、俺としてはせめて友達を連れていくことをお勧めしたい。

「おっ俺は別にアルデンテに興味なんかないんだからなっ」
「お、おう、そうか」

 掴みかかってきそうな勢いで詰め寄ってくるので顔を背けて距離をとる。男と至近距離で見つめ合う趣味はない。スペインと付き合っていながら言うセリフじゃねぇけど。
 イギリスがパッと降参するように手を上げて、気まずそうに「あ、わりぃ……」と謝ってきた。先ほどからの態度を見ると、一応は俺をいじめることが目的ではないということなんだろう。
 いや、まあ、それにしても。

「もしデートなら良い場所があったんだけど」
「教えろ」

 即座に低い声を発するイギリスは紳士と言うよりも完全に脅迫者だった。

 その後も会議が始まるギリギリまでイギリスと話し込んでいた。いつの間にか会議室には人が増えていて、室内が賑やかになっていた。もうほとんど出席者は集まっているようだ。
 ようやくイギリスの質問攻めから解放された頃には、まだ本題の会議が始まる前だと言うのにすっかり疲れきっていた。はあ、とため息をつきながらとなりの席に視線をやった。

「よう、いたなら声かけろよ」

 黙ってとなりに座ったスペインに声をかける。いつもは遅刻するくせに、さすがのこいつも今日は早く来なきゃいけないとわかっていたらしい。こいつも俺と状況はどっこいどっこいだから、やっぱり突つかれるとなると遅刻するわけにはいかないしな。
 いつになくむすっとした表情でスペインが口を開く。

「……みんなには挨拶したで」
「ふうん、イギリスと喋ってたから気づかなかった」
「せやろな」

 元気がないのか、スペインは頬杖を突いてそっぽを向いた。普段なら俺のことをもみくちゃにして、「元気しとったー?」だの「会いたかったわ!」だのとうるさいのに、今日はやけに口数が少ない。もしかして、この会議のためにゆうべは無理をしたのだろうか。内職を。

「寝てないのか?」
「……へ?」
「なんか元気ないぞ」

 静かなほうがそりゃあ良いけど、いつもと違いすぎるのも調子が狂う。額に手を当て熱がないことを確認していると、きょとんとしたスペインが慌てて目を逸らして、小さな声で「だいじょうぶ」と呟いた。

「ちょっと寝坊してん」
「ああ、お前寝起き悪ぃもんな」

 それでテンションが低かったのかと頷く。

「あんま無理すんなよ。本調子じゃねぇんだろ」

 そう告げると唇を尖らせたスペインが拗ねた子どもみたいに「うん」と頷く。こいつの場合、自分にも鈍感だからこういう時はタチが悪くて、不調でも無理を続けてしまう。俺が気付いた時には死にかけていた、なんてこともあったから気を付けろよと念を押して席に座り直した。

「……ロマ、今日俺の泊まってるホテル来るんやんな?」
「ああ」
「晩ご飯どうする? 食べて帰る?」
「そうだな」

 そんな他愛のない話をしている間にドイツの仕切りで会議が始まった。

 会議は案の定だが、俺が一方的に責められる形になった。四方八方から、これはどうなっているんだ、あれはおかしいと言われて、確かに自分自身でも変だって思っていたことなんだけど、どうにもできないことばかりだったから終始「知らねぇ」を貫いてやった。
 普段なら知らないじゃないと怒られるところだけど、ドイツがそれを追求してくる前に微妙に悪い兄弟仲を発揮して、弟と言い合いになり世界会議の場で兄弟げんかを始めてしまったので、逆に周囲は俺たちを宥める空気になって何かそのあたりはうやむやになった。
 ドイツが仲裁に割り入ってきやがって、とにかく建設的な話をしようと話題を切り替えたところで、ようやく面倒事から解放されると安堵してぼんやりとシエスタしてーとか考えていたら、今度はイギリスとフランスが喧嘩を始めて収拾がつかなくなった。
 大騒動にまでなった会議は何やかんやで大したことも決まらないまま終わった。世界会議とは何だったのだろうか。俺はただ責められ損だったような気がする。
 ドイツの今日のところはいったん解散だ! と怒鳴る声と共にスペインが俺達のところにやって来た。

「兄弟でケンカしたらあかんで! 仲良うしぃや」
「うっせー」
「スペイン兄ちゃん、兄ちゃんってひどいんだよー」
「よしよし、イタちゃんえらかったなあ」

 そうして大げさに弟とハグをする。バカみてぇ。母親かよ、お前は。花でも飛ばす勢いで「ありがとー」「よしよし、もう大丈夫やでー」などと言い合う二人を目を細くして見ていたら、不意に後ろから肩を叩かれた。

「イギリス……」
「さっきはありがとな」

 振り返ると、ぶすっとした顔で何か怒っているみたいなイギリスが相変わらずのぶっきらぼうな態度でだっきの礼を言ってきた。フランスと揉み合ったせいか髪がぐちゃぐちゃになっている。

「大変だったな」
「? 何がだ?」
「いやあ……」

 どうしたものかと思ったが、もしデートに誘う相手が今日の会議に来ているならこのままは良くないかと思い髪を手櫛で整えてやる。器用に刺繍なんかをしている姿も見たことがあるんだが、どうにも髪をセットすることが得意じゃないらしく、この男はいつもボサボサだ。さっとできる範囲で梳いてやった。

「え、あ、な、何を」
「髪、ボサボサになってんぞ」

 なんかでも、全然まとまらない。日頃の手入れって大事だよなあ。

「さっきフランスとやり合ったせいだろ」
「ああ、あの野郎……」

 しかし自分から率先して喧嘩吹っ掛けている時もあるし、イギリスはそういうのが好きなんだろうか。俺が言うのも何だけどこいつもたいがい素直じゃないので、捻くれまくった愛情表現なのかもしれない。知らないけど。

「そんなことよりお前……あれいいのか?」

 顎をしゃくって示したあれ、こと、スペインと弟のハグ。俺は、ああ、と短く頷いて

「言ってもしょうがねぇし……」

 スペインはきっと俺に妬かれたくないだろうし……。それは黙っておいたけど。
 本当はモヤモヤしているが見ないふりをするために自分をごまかし、なるべく興味がない風を装ったせいで思ったよりも声がそっけなくなった。本当にどうでも良いみたいな俺にイギリスが怪訝な顔をする。

「まあ口出しする気はないけど、お前らもたいがい変だよなあ」

 お前にだけは言われたくねぇよ。それをその場で言い返せない俺はやっぱりへたれだ。

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