ふれる、揺れる

 スペインはスキンシップが激しい。あいさつのキスもハグも当たり前、男同士でも気おくれすることなく平気で手だって繋ぐし頭も撫でる。それも何の気もなしに無自覚で、だ。
 昔からそういう男だったから周りの国たちは慣れたもので、適当に合わせたりはぐらかしながら、皆それぞれ程良い距離で上手く付き合っている。

「ちょ……っ、ひっつくんじゃねぇよ!」

 だからたぶん長く一緒にいたくせに、いまだにあいつのスキンシップを上手く流せないのは俺ぐらいのものだ。

「ハグしただけやのにロマはオーバーやなあ」
「うっせぇ、男にベタベタされたって嬉しくねぇんだよ」

 珍しく世界会議に参加してやったら、廊下で会ったスペインに出会い頭に抱きつかれた。慌てて振り払おうと手足をバタつかせるが、肩に纏わり付いてくる腕が離れてくれない。
 そうこうしている内に後ろから抱きしめられる。どく、と心臓が大きく脈打った。

「相変わらずつれんなぁ」

 ああ、まただ。スペインにふれられたところから体温が上がっていく。頭に熱が集まって、ぼんやりする。もうまともなことを考えられない。

「……ッ、さわん、な!」

 俺にはなぜかスペインにさわられると顔が赤くなる癖があった。昔からそうだった。緊張するような相手でもないのに、ハグをされると体が勝手に強張って、息が上手く吸えなくなる。酸欠だからか頭に血が上っているせいなのか、思考が鈍って、思ってもいないようなことばかり口走ってしまう。心臓はドキドキするし、血の巡りは活発になるし、ただ男にさわられただけにしてはおかしな反応ばかり。
 昔は時間が経てば収まるだろうって思っていた。なのに大人になって独立した後も、この癖は落ち着くどころか年々ひどくなっている。

「昔はほっぺたぷにぷにさせてくれたやん」
「もうぷにぷにはしねぇよ! それにあれは俺が許してたんじゃなくてお前が勝手にさわってたんだっ」

 精いっぱい強がって凄んでみせたところで、真っ赤な顔に涙目じゃ何の説得力もないだろう。

「目ぇ真っ赤になっとるで、可愛えなあ」

 なんて言われて、余計に恥ずかしい思いをさせられるだけだ。
 からかうな、って抗議のつもりで唇を尖らせても、子どもみたいで可愛え、と喜ばれて舌打ちをする。俺はお前を楽しませるために怒ってんじゃねぇんだよ。

 こっちがどんな気でいるかも知らないで能天気な、と思わなくもない。

 けれど、元子分で男の俺が自分の一挙手一投足に動揺してうろたえているなんて、考えもしないだろう。俺だってどうしてこんなことになっているのかわからないのに、鈍感なスペインが気付くわけもない。
 いや気付かれても困るけど。男の元保護者にハグされただけでドキドキしておかしくなるなんて、ちょっと気持ち悪いし絶対に変だ。

「ぶはっ! あかん、ロマーノめっちゃおもろいわー」

 スペインが耐えきれないと言わんばかりに吹き出した。耳にあいつの吐息がかかって飛び上がりそうになる。ひやっと背筋が震えるのが気持ち悪くて身を捩るが、余計にぎゅうっと抱きしめられて体が密着する。全力疾走をした後みたいに心臓がドクドクと走りだして頭の中が真っ白になる。

「……何がおかしいんだよ」
「やってぇ、お前、可愛えねんもん。耳赤いで」
「馬鹿にしてんのかよ。良いから早く離れろよ」
「照れない照れない」

 肩口に額を寄せられてぐりぐりされる。馬鹿弟もたまにしてくる謎の行動。俺も全くしないわけじゃないからでかいことは言えないけど、意味がわからなすぎる。

「あーあかん、ほんま……なあ。首まで真っ赤」

 ドキリ、心臓が跳ねた。
 スペインにさわられてドキドキしたり緊張したり、頭の中が真っ白になったりすることがバレたらどうしよう。

「……今日は暑いもんなーここ風通しないから汗かきそうや」
「……そうだぞ、ちくしょーめ。お前にひっつかれていると暑苦しいんだよ、だから早く離れろ」
「うん、でももうちょっとだけ」

 どうにか気付かれずに済んだみたいだ。
 スペインは鼻先を首に押し付けてきて、スンスンと鼻を鳴らしている。大型犬にじゃれつかれているみたいだ。変な気分になって視線を泳がせる。呼吸が少し荒くなる。それを悟られないようにと息を詰めた。

「お前はそのままがちょうどええんやなぁ」

 そんなことに必死になっていた俺には、その時のスペインの言葉を深く考える余裕もなかった。 

 休日、スペインに飲まないかと誘われて、ノコノコあいつの家まで行ったらヴェネチアーノとドイツに出迎えられた。ギョッとして、何だよこのやろー、とばかりに噛み付けば、こいつらもスペインに招待されたのだと言う。
 てっきり二人で飲もうという意味だって思っていたから、謀られた! とばかりに腹が立ったけど、家に上がってリビングまで駆け込んだらフランスにプロイセンまでいて脱力した。要は悪友で飲むついでに弟たちも呼び寄せて楽しもうって魂胆なんだろう。

「ロマーノ、いらっしゃい! 待っとったんやでー!」
「ぎゃー! 背後を取るんじゃねぇよ!」

 いきなりスペインに抱きつかれて悲鳴を上げる。が、俺が暴れるのもものともしないスペインに、簡単に抑え込まれた。

「あーあ、お前たちは相変わらずなんだねぇ」
「仲良しさんやでー」
「うらやましい限りで」

 フランスがキザったい仕草で肩をすくめた。それに顔をしかめるが、この場にいる連中は誰も俺の表情なんて気にしない。いつもの照れ隠しぐらいにしか思っていないんだ。
 何やかんやでスペインが軽くつまみを作ってくるとキッチンへ戻って行った。俺も手伝ってやっても良かったけど、馬鹿弟に引き止められてリビングに残る。

「スペイン兄ちゃんのあれに怒ったり恥ずかしがったりしているのって、兄ちゃんぐらいだよね」

 くすくす笑われて残ったことを早くも後悔した。こんなことならスペインの手伝いをしていたほうが良かった。

「……何のことだよ」

 できる限りそっけない返事をする。それ以上追求するなって意味だが、鈍感の馬鹿弟に通じるわけもない。

「何って、スペイン兄ちゃんのあいさつのことー」
「はあ?」
「あのね、兄ちゃん。抱きつかれたりキスされたりするぐらいで、いちいち恥ずかしがってたらキリがないよ。スペイン兄ちゃんはそういう人なんだからさ」
「……恥ずかしがってなんかねぇよ」
「真っ赤になって大げさに反応してたじゃん」
「し・て・ね・ぇ・よ!」
「だったら怒鳴ることないでしょ」
「男同士でそういうの嫌なんだよ! ベタベタベタベタ、気色悪ぃ!」
「ヴェー……それが大げさなんだよ」

 呆れたように言われるが、そんなの知らねぇ、と強引に切り上げてそっぽを向いた。ソファの背もたれに肘をついてレモン水を飲みほす。後ろから、はあ、と呆れた声が聞こえるがシカトした。

「スペイン兄ちゃんも楽しいだろうなぁ。一番可愛がっていた兄ちゃんに構ってもらえて」
「……」
「あー、ロマーノは昔っからスペインを喜ばせることばっかり言うし、するからね」
「…………」

 他人ごとだと思って好き勝手言ってやがるが、俺も意地になって無視を続ける。

「そうなんだよねースペイン兄ちゃんが嬉しいだけだなんだよ」
「ロマーノって、つくづくスペインの良いように育っちゃっているよなあ」

 背中に全員の生ぬるい視線が突き刺さっている、気がする。お前ら一体何を知っているんだ。俺ですら何もわかっていないってのに。

「早く認めちゃえば良いのに」

 だから何がだよ。文句は言えなかった。口の中でもごもごとしただけで、音にはならずに消えた。

 それから酒が入ってドンチャン騒ぎになった。フランスの髭やろーが脱いだり、ドイツとプロイセンのムキムキどもが脱がされたり、スペインが騙されて脱いだり。お前ら脱いでばっかだな……。
 野郎の裸なんて見たって楽しくも何ともない俺は部屋の隅に移動して、ぼんやり酒を飲んでいた。

「ヴェー……兄ちゃんたち元気だねぇ……」
「イタリア、こんなところで寝るんじゃない」
「ヴェヴェ……」

 リビングのソファに座ったヴェネチアーノが舟をこぎだしていた。ドイツがしっかりしろ、と肩を揺さぶるが、あれはもう落ちる一歩手前だ。

「いやあ、お兄さんももう限界。今日は家まで帰れないよ」

 ずっと騒いでいたフランスがダイニングテーブルの椅子にどかっと座り込んでうな垂れる。それにプロイセンが時計を見ながら答えた。

「とっくに日付も変わっているからな」
「だからスペインのとこ泊めて!」

 ヴェネチアーノとフランスがこのままここで寝たいと駄々をこねだした。それにスペインが、あちゃーといった表情を見せながらも朗らかに返す。

「客室足りへんで。雑魚寝でええならええけど」
「今さら気にしねぇよ」

 スペインの家で飲む時は、いつもリビングでいつの間にか気を失っているのがお決まりのパターンだ。今さらベッドの数が足りないことを気にする奴なんていないだろ、と返せば、それもそうやなあ、とのんきな返事が返ってきた。

「ほなテーブルの上のもん片付けてくるわ」

 そう言えば、スペインにしては今日はあまり酔っていない。真っ先にグダグダになるやつが珍しいと首を傾げていたら、フランスとプロイセンが、あいつしばらく酒を控えるように言ってるんだ、と遠い目で言った。最近何かあったらしい。俺の知ったことじゃないから、ふーん、と適当に相槌を打った。どうせ、みっともない醜態を晒したに違いない。
 俺も上の客室から毛布を借りようとリビングをそっと抜け出した。

「…………せめて毛布ぐらいかけろよ、このやろー」

 次に部屋に戻った時には、ヴェネチアーノはドイツと狭いソファで寝ていたし、フランスはダイニングテーブルに突っ伏し、プロイセンに至ってはその椅子の脚にもたれかかって眠りこけていた。
 ……暖かくなってきたって言ったって、明け方はまだ冷える。このままでは風邪をひくんじゃねぇのか、と思うけど、こいつらの分の毛布を取りに二階に戻ってやる義理もないので、まぁ良いかと勝手に納得して暖房だけ勝手につけた。電気代がもったいないと怒られそうだけど、スペインの家だし俺の知ったことじゃない。
 しかし、スペインのやつはどこに行ったんだ?
 毛布を取りに行く間も見かけなかった。片付けにしては遅すぎるだろう。まあここはスペインの家だから、あいつは寝室に引き上げたのかもしれないけれど。
 どっちにしても家にいることは確かだから事件性はないと判断して、窓際のフロアカーペットに毛布を敷いた。スペインの家に来た時に、よくシエスタをするお気に入りの場所だ。
 シャツもジーパンも全部脱ぎ捨てて毛布に包まった。アルコールで火照った体に夜の冷たい空気が気持ち良い。酔いの醒めきらない頭の中が、ぼんやりと霞がかっていく。
 まぶたが限界を訴えている。もうダメだ。

「……んぅ」

 やがて訪れた眠気に逆らわず、身を委ねた。同じ部屋にドイツやフランスもいることさえ気にならなかった。

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