優しさとは限らない

 事の発端はフランスだった。

「相手を愛しているならゴムってつけるもんだろ」

 バルで飲みながら話していた下世話な会話の延長線。彼にはその後に続けたい別の話題があったようで、それに繋げるための枕詞のような一言だった。おそらく適当な相槌を期待して何気なく言ったものだろう。まさか悪友の性事情を暴くはめになるとは思ってもみなかったに違いない。

「へ? え、えー……そうなん?」

 せやなあ、と言うべきところなのは薄々気付いていたが、当たり前のように振られた言葉をいまいち呑み込めず微妙な返事をしてしまう。馬鹿話で盛り上がっていた酒の席の雲行きが一気に怪しくなる。

「スペインだってロマーノとセックスする時はゴム用意するでしょ」
「いやあ……そんなんせえへんなあ。ローションやったら買ってくけど」
「ないって……一度も?」
「うん、そう言や俺、ゴムって買うたことないわ」
「はあ?!」

 フランスが大きな声を上げるせいで、周囲の客の視線を集めた。信じられないものを見るかのように目を見開かれて咄嗟に首を竦める。この後に続けられるのは間違いなくスペインを非難する言葉だ。理由まではわからずとも、腐れ縁の付き合いで熟知している相手の性格に身構えた。

「まさかロマーノが用意しているとかじゃ」
「ないなあ」
「だろうな! ああ、もう! いくら男同士で妊娠する可能性がないからってありえない!」

 むしろその可能性があるなら今よりもっと頑張るんやけど、と喉まで出かかった言葉を紡ぐより前にフランスが畳み掛けてくる。優雅さゼロの早口に、珍しいものだと他人ごとのように思った。

「使ったことすらないってどんだけやりたい放題なの?! それを許しているロマーノもロマーノだけど! ってあいつがお前に何か言うわけないか。いやでもやっぱ、そういうとこお前らおかしい!」

 両腕を擦りながらありえないと叫ばれると、いっそ清々しいぐらいだ。気持ち悪い、馬鹿じゃないの、と続けられて、これだけ否定されることもないだろうなと他人ごとのように思った。
 しばらくフランスの言葉を聞きながら、はあ、と気のない返事をしていたが、言われっぱなしも何なので、いやあなあ、と口を開く。

「でもなあ、愛しているからこそゴムなんかいらんやん?」

 そもそも何のための行為なのかと言えば、そういうことなのだ。野暮なスキンなんかを纏ってしまえば、彼の胎内に自身の精液を注ぐことができなくなる。スペインもロマーノも国であるから、人間のような遺伝子を残す必要性も本能もなさそうなものなのに、現実に欲はあった。地球がひっくり返ったって不可能だとはわかっていたが、叶うことならばこの種を彼に根付かせ芽吹かせたい。

「ナマがええとか気持ちええとか、そういうんとはちゃうで。いやそりゃちょっとはあるけど……でもロマーノやから出るもん全部受け止めてほしいし、腹いっぱい出したりたくなるんやもん。そういう風にできているんやし、つまり本能や本能。しゃあないやんな」

 ところが、素直にそれを口にすればフランスは整った眉を器用に歪め、肩をふるふると震わせた。
 あ、失敗した、かも。
 そう思った時には既に遅かった。

「そういうとこが自分本位なんだってば! スペインは出される側の負担考えたことあるの?! お前は出したら終わりかもしれないけど、ロマーノは後始末もしなきゃいけないっていうか何で友人のこんな生々しい事情をお兄さんが心配しなきゃいけないんだ!」
「出したもん掻き出すんは俺も手伝ったりするで。あんまやらしてくれへんけど」
「……すぐ後始末しても体調崩すこともあるんだけど、ちゃんとロマーノの体調見てやってるか?」
「え、そうなん?」

 言われてみれば、どうだっただろう。視線を巡らせていると、ぎろりと睨まれてしまった。

「た、体調崩すって、具体的にどんな感じになるん?」
「あー? 下痢になったり吐き気がしたり……人によるみたいだけど、そもそも衛生的にも良くないし病気になることもあるらしいね。ああ、あとガツガツ力任せに突くのも良くないらしいぜ。内蔵に負担かかるとか言うよね」

 スペインが顔を青ざめさせて閉口するのに、フランスが苦々しい面持ちになる。

「何で何も知らないのにヤることはちゃっかりヤっちゃってんのか」

 しかしスペインの耳にはほとんど入ってこなかった。そういう目で見てみれば全部が疑わしく、記憶を辿るのに忙しかったからだ。
 ロマーノとのセックスはいつも一度や二度では終われなくて、下手をすれば朝方まで抱き潰してしまう。疲れ果ててそのまま眠れば翌日、ロマーノから腹の中が気持ち悪いと文句を言われたり、足腰が立たないから動けないと怒られたりすることもあった。そんな時はスペインが一日中つきっきりで介抱していたのだが、甘えられているみたいで正直なところ結構楽しんでいたのだ。動きたくない辛いと訴えるロマーノに対して暢気にも体力なさすぎやーなんて笑っていた日々が憎い。ひょっとすればあれもこれも全部スペインがコンドームをつけずにセックスをしていたせいかもしれないのに。

「ど、どないしよ……もしかして、ずっと調子悪かったんかな」

 焦るスペインに、フランスが知らねぇよと薄情な言葉。それどころか更なる追い打ちまでかけてくる。

「はあ……お前らの場合ちゃんと思いやってあげなきゃ、お前の独り善がりになるんだぞ。ロマーノの常識はスペインなんだから……そんなこと付き合う前からわかってたでしょ」

 あまりの正論に、ぐうの音も出なかった。
 
 
 
 その後の行動は早かった。
 スペインはフランスと別れた後すぐにコンドームを買いに行った。その時初めて、売り場には薬やら洗浄液やら、いろいろ置かれていることに気が付いた。そんなものに意識を回したことがなかったのだ。いつもローションさえ買えれば良くて、たまに刺激ほしさにコスプレ衣装やローターといったおもちゃを見るぐらい(実際に購入したことはない。けれど買わずにいて良かった。そんなものを先に使っていたなら、スペインの意図がどうであれロマーノの体を気づかうよりも自分の快楽を優先させる行為になっていた)。ちょうどロマーノとは数日後に会う約束をしていたから、あれもこれもと買い込んだ。
 家に帰って早速箱を空ける。中には取り扱い説明書が入っていて、簡単な使用方法がイラスト入りで記載されていた。知識としては知っていたものの実際に使うのは初めてだったので、物珍しさからまじまじと観察する。

「はあ、こんなもんが……なあ」

 愛情の証明になるのかと疑問に思うが、今まで知らずにやってきたこととは言えロマーノにかけてきた負担をなくせるものだ。
 個包装された12個入り、ポリウレタン製の0.02ミリで彼の苦痛を和らげられるなんて、何て手軽で安いものだろう。そんなことすらスペインは怠っていたのだけれど。
 ペリペリとビニールを剥がして使い方を確認する。果たしてロマーノを前にしてスムーズに取り付けられるのか。この期に及んでそんな格好ばかりを気にしてしまう。

(……こんなんやから信用ないんやろうなあ)

 ロマーノとの付き合いにおいてスペインは決して良い恋人とは評価されていない。どちらかと言えばその逆で、スペインの身勝手さを咎めるような苦言を呈されることのほうが多かった。
 スペインとロマーノが恋人同士になった時の、周りの何とも言えない反応を思い返す。ヴェネチアーノは心配そうな顔で兄ちゃんを幸せにしてねと言っていたし、その後ろにいたプロイセンに至ってはかなり面白い表情をしていた。皆二人のことに口出しするつもりはないようだが、引っかかるものがあったのだろう。
 二人の仲を知る者たちがこぞって眉をひそめながらおめでとうと口にする姿は滑稽ですらあったが、皆が言いたいことはわからなくもない。はじめから拒否されることがないとわかっている恋愛はひどく不公平で、その心の重さがあまりに釣り合っていないことはスペイン自身よくよく自覚させられていた。ロマーノがスペインを拒絶することはありえない。だからこそスペインが気づかってやらなければいけないのだ。
 いつだったかヴェネチアーノに言われたことがある。

「俺ね、時々兄ちゃんとケンカしているのかスペイン兄ちゃんとしているのか、わからなくなる時があるんだ。あんまりにも兄ちゃんがスペイン兄ちゃんみたいなことを言うものだから」

 確か前の晩に兄弟喧嘩をしてへそ曲げたロマーノが世界会議に欠席し、イタリアはヴェネチアーノだけが参加していた時のことだ。ロマーノとは連絡が取れないし、ヴェネチアーノは目を真っ赤に腫らしている。その事実がその時の喧嘩の激しさが物語っていた。

「ロマーノはロマーノやで? 俺があいつに何か言わせているわけちゃうよ」

 珍しくスペインに突っかかるような物言いに眉をひそめて返すが、ヴェネチアーノも食い下がる。

「うん、そうなんだけど……」
「それにあいつが素直ちゃうのは今に始まったことやないからなあ。俺が会った時からああやったで」
「でも兄ちゃんってばスペイン兄ちゃんのことなら何でも受け入れちゃうんだもん」

 面白くなさそうに続けられて、そんなことはないと否定しきれなかった。
 口が悪く素直でないことに変わりはなかったが、スペインの影響に晒されて成長してきた影響か、ロマーノの価値観や文化は弟よりもスペインとのほうが似ているところがあった。その違いが兄弟間の摩擦の一端となっていることも知っていて、気軽なことは言えそうにもない。この兄弟が言い合いをしている場面は何度も見ている。

「……俺がロマに受け入れられているっちゅうか、考え方が似ているだけや」
「うん、でもさ、どこまでが兄ちゃんでどこからがスペイン兄ちゃんなのかもわかんないんだよ」

 そんなものは恐らくロマーノにすらわからないだろう。それぐらい長く深い付き合いなのだ。スペインだってロマーノといることで変化したものもたくさんある。変わらざるを得なかったことならまだしも、長い時間をかけて自然と移ろいだものなんて影響を受けたという自覚すらない。それを今いる自分を切り分けて、どれが元から持ち合わせていたもので、どれが変化させられたものなのかと明確にすることなんてできるわけがなかった。
 返答に困ってしまって眉を下げて笑えば、ヴェネチアーノはバツが悪そうに首を竦める。

「こんなこと言ってもしょうがないのにね。でもね、やっぱり兄ちゃんはスペイン兄ちゃんのことを信じすぎだと思うんだ」

 そう言って苦笑を浮かべるヴェネチアーノの声色にはスペインに対する非難めいた響きが含まれていて、僅かに尖らせた唇や眇めた瞳から拗ねているのだとわかった。

「兄ちゃんはスペイン兄ちゃんに言われたら観光地のハリボテだろうがマフィアの抗争だろうが、考えなしで顔を突っ込んじゃうの。だから、お願い、どうか無茶はさせないでよ。あんなのは愛でも優しさでもないよ。ただの刷り込みみたいなものなんだから」

 冗談混じりで言ったつもりが失敗したような、少し早口のヴェネチアーノの言葉をぼんやりと聞く。確かにロマーノの狭い世界ではスペインは絶対だった。スペインなら助けてくれる、スペインなら何とかしてくれる、だってスペインはロマーノのことを愛しているからーーーそれはロマーノの中では揺るぐことのない確かな理で常識だ。その根拠のない信頼は、本来ならば重いと感じるものなのだろう。

「ロマーノのことは大事にしてきたつもりやけど……信用ないんやなあ」

 しかしスペインだってロマーノだから恋い焦がれ、特別な存在になりたいと願ったのだ。決して好意を寄せられたからと流されるままに愛したわけでもない。だからスペインなりの精いっぱいでロマーノには優しくしてきたつもりだった。ロマーノもそれに応えるようにスペインへと心を預けてくれている。
 ヴェネチアーノが眉を下げる。

「うん、わかっているよ。疑っているわけじゃないんだ」
「これからも大事にするよって」
「うん……うん、そうだね。ありがと」

 あの時ヴェネチアーノに言った言葉に偽りはなかった。スペインには長年ロマーノを守り、誰よりも彼を可愛がり甘やかしているという自負があった。確かに何でも受け入れられているが、だからと言ってそれに甘えて好き勝手をするつもりはない。決してロマーノのことをないがしろにしてきたわけでもない。ちゃんと思いやってきたつもりだったのだ。
 けれど、スペインが思っていた愛情は的外れだった。それを指摘されて動揺する程度には何もわかっていなかった。
 ロマーノの愛情が刷り込みでしかなくて、二人の付き合いによって彼の幸せになっていないなんて、そんなことはあってはならない。そのために薬局へと駆け込んだのだから。

◆◆◆

 数日後、約束通りロマーノがスペインの家に遊びに来た。

「ほんまにロマーノが飯作ってくれるん?」
「何度もそう言ってんだろ。しつこいぞ、このやろー」
「やってー珍しいんやもん! ロマーノ料理上手いんやからもっと作ったってくれてもええのに滅多にやってくれへんやん」
「うっせぇ、面倒くせぇんだよ。今日は誕生日だから特別だ、特別!」

 基本的に誕生日や記念日のお祝いは、一緒に食事を食べて花束を贈るぐらいしかしていない。それも最近は小旅行も兼ねて外食に出かけることが多かったのだが、今年は面倒がりのロマーノが自らキッチンに立って料理を振舞ってくれるのだと言う。掃除はてんでダメな不器用な彼だが料理の腕は他国も認めるほどで、前々からとても楽しみにしていた。

「何作ってくれるん?」
「ピッツァとパスタ。デザートはティラミスだぞちくしょー」
「んん、フルコース?」

 面倒だと言うわりに、面倒そうなメニューである。それを指摘するとロマーノの眉が跳ねた。

「……飯はちゃんと食わなきゃ気がすまねぇんだよ!」

 怒鳴りながらもその頬はほのかに赤くなっていた。それが可愛らしくて、照れんでもええのに、と指先でつつけば邪険に跳ね除けられる。彼はスペインとは違って恥ずかしがりなのだ。
 料理の支度をしている最中リビングで待つように言われたが、せっかくロマーノが来ているのにひとりでいるのもさみしくて、度々キッチンに顔を出してはちょっかいをかけて怒られた。

「邪魔するなら出てけよ、このやろー!」
「嫌やー外寒いんやもん」
「じゃあ、大人しくしてろ!」

 背中をバシバシと叩かれて情けなく声を上げる。客観的に見ればバカップルのようなことをしている自覚は、残念ながら二人ともになかった。

「腹が減ってんならこれでも食っとけ」

 いい加減同じやり取りを繰り返すのが面倒になったのだろう。ロマーノがプチトマトを口もとに押し付けてきた。それを躊躇なく口に入れて、美味いわあと間延びした声で褒めれば、俺が作ったんだから当たり前だと返ってくる。スペインの家にもトマトぐらいたくさんあるのに、わざわざ南イタリアから持ち込んだらしい。
 ああ、可愛いなあと思った。それで図に乗って鼻の頭にキスをすれば、真っ赤な顔をしたロマーノに頭を押さえ付けられる。

「痛い痛い! もーちょっとは手加減してやあ」
「う、うるせぇ! てめぇが変なことするせいだろ!」

 キスどころか、もっと変なこともしているくせに今さら何を恥ずかしがるのだろう。すぐに照れるロマーノが可愛くて仕方なかった。可愛えなあ、と言えばまた怒られるのだけれど、そうやっていちいちスペインの言うことなすことに大げさな反応を返してくるのが楽しくて、また構ってほしさに手を出してしまう。
 そんなことをしていたせいか、料理ができるまで普通よりも時間がかかっていた。予定では夕飯どきに間に合うはずだったのに、すっかり遅くなったとロマーノに文句を言われる。
 けれど、さすがと言うべきか。ロマーノが作ってくれた料理はどれも美味かった。特別なことは何もしていないと本人は言うが、スペインが作るとこうはいかない。彼の潔いまでに食材の味を活かした手のかけなさは、やり過ぎてダメにしてしまう自分とは正反対だ。

「美味ーい! ほんまロマーノ天才や!」

 惚れてまうー、と口にしながらテーブルに並べられた料理を平らげていく。それに対してロマーノはむすっとした顔をしながらも満更でもないようで、ちゃんと味わえこのやろー、と小さな声で文句を言うだけだった。目もとが僅かに赤くなっているのは見逃さない。それに幸せを感じながらワイングラスを傾けて、ひとりの食事とは違う賑やかなディナーを楽しんだ。
 誕生日なんだなあと実感させられたのは、食事の後の片付けもロマーノがやってくれると言い出した時だった。

「え、えーと。俺がやるよ、ええで」
「それじゃいつもと変わんねぇだろ。俺がやる」
「えー……うん、あ、明日にしよ」
「今やっとかねぇと嫌になるだろ」

 渋るスペインとは対照的にロマーノは珍しくやる気のようだ。しかし彼が片付けた後は結局スペインがやり直さなければならなくなるので、正直言って二度手間だった。

(そんなことしてくれるぐらいやったら、いちゃいちゃしてたいんやけども)

 スペインの切なる願いは届かない。そうこうしている間に雑に洗い物を済ませるロマーノが食器を並べていく。洗剤をつけたきり泡だてもしていないスポンジで適当にぐしゃぐしゃと皿を擦る様を見て、明日ロマーノが帰った後にやり直そうと誓った。
 洗い物からは無理やり目を逸らして、とにかく一刻も早くロマーノが片付け終えるよう今度は大人しく待っていた。それでも漸くリビングで一息ついた時には、時計の針は22時を指していた。
 食べる物も食べて酒も飲んで、あとは寝るだけだ。
 ソファに腰かけテレビを見ているロマーノの首の後ろにそっと腕を回す。彼から文句が飛んでくることはなかった。熱心にテレビへとかじりついている。画面には前に彼が好きだと言っていた女性歌手が映し出されている。派手なパフォーマンスと衣裳が話題の歌姫だ。
 その横顔を確認して座り直し、彼との間にある距離を詰めた。
 隣から伝わる体温は普段よりも少しだけ高いように感じた。ちらりと視線を落とせばロマーノの瞳が僅かにこちらを向いた気がして、見られているのかと思い首を傾げる。しかしロマーノからの反応はない。それを少し残念に思いつつ、さてこの後どうやってなだれ込んでやろうかと考えはじめた。
 用意したものは寝室に置いてある。ということは、不自然に思われないようロマーノをベッドへとお誘いしなければならない。勢いでリビングや浴室で事に及んでしまうのも興奮するのだが、今日はそういうわけにはいかなかった。情事の最中に席を外してコンドームを取りに行くなんて、想像すると間抜けな気がした。
 明け透けに声をかけようか、優しいキスから始めようか。どちらにしてもロマーノをその気にさせるのなんてわけない。
 そんなことを、特に興味もない音楽番組を聞き流しながら真剣に考えていると

「おい、スペイン」

 不意にロマーノに呼びかけられた。自分の思考に沈みかけていたので聞き逃すところだった。慌てて顔を上げる。

「ん? なに、ロマー、ノ……ん」

 返答は途中で遮られた。唇を押し当てられたせいだ。口の端に吸い付くやわらかな感触に咄嗟にまぶたを閉じれば、横向きに体を捩ったロマーノがしなだれかかってくる。
 ちゅ、と音を立てて離れていったそれを目で追いかけながら問いかける。

「……急にどうしたん?」
「そういうこと聞くの、野暮って言うんだぜ」

 拗ねた口調にはたと考える。もしかしてロマーノもスペインと同じようにこの後のことを考えていたのだろうか。そうであるならば嬉しいと、自然と頬が緩んだ。

「そのかおむかつく」
「いだだ、鼻摘まむんやめてー」

 じゃれあいながらもロマーノの腰に手を回す。すると彼が顔をしかめながらスペインの腕に身を委ねてくれた。
 近付いたベルガモットの匂いを吸い込んで唇を尖らせれば、ふっと息を吸い込む気配がした。喉の奥がクツと鳴らされる。笑われたのだと思って眉をひそめる。構わず、ん、と催促すれば、漸く啄ばむように口付けられた。戯れのように吸い付いては離れていくロマーノの唇はしっとりと湿り気を帯びていて、ふれ合ったところから心地良さが生まれる。早くじくじくと熱を孕んだ強烈な刺激を与えたくて、けれどまだ性急に動くには早すぎる気もして焦って戸惑った。ちゅ、ちゅ、と吸い付かれたところが音を立てる度に、脳の芯がじりじりと燃え上がる。首の後ろに回された彼の手のひらは湿っていて少しぬるい。この手をシーツに押し付けて抑え込んで、首をもたげ始めた欲を叩き付けたくて。激しい衝動が体内を暴れ回る。
 ああ、でもダメだ。この欲求のままに行動をすれば、またロマーノを傷付けてしまう。
 ぐっと堪えて踏み止まる。ぐうっと喉奥が鳴った。
 そろり、目の前の瞳を覗き込めば、ロマーノもまたスペインのことを見つめていた。琥珀色の眼が物欲しそうにしているのに、どうしようもなく泣きたくなる。

「は、ロマ……」

 鼻先がふれ合うかふれ合わないかのギリギリの距離で名を呼ぶ。ひどく掠れた声になった。口の中がからからに渇いている。そのくせ瞳はじっとりと水気を持っていて、手には汗が滲んでいた。
 左手で彼の頬をなぞる。ロマーノの肩がびくりと震えた。それが合図になった。
 顔を傾けて唇を重ね合わせる。自然と薄く開いた隙間に舌をねじ込んで口内へと忍び込んだ。下唇に軽く歯を立てて、彼の歯列をなぞる。ついでにぺろりと唇を舐めれば、ロマーノの体が強張った。構わず吸い付いて、わざと音を立てる。味わうように角度を変えながら貪って、舌を絡ませた。執拗なまでに彼の舌を吸って噛んで、表面のざらついた襞を擦り付けると、ぞわぞわ背筋が痺れる。先の行為への期待感から腰がぞくぞくと震えてしょうがなかった。

「ん……ッ、ふ」

 どちらからともなく鼻にかかった声が漏れる。二人とも徐々に呼吸が荒くなっていた。濡れたその声に余計に興奮を募らせながら、頬を撫でていた手を耳の後ろに滑らせ、耳たぶから首筋を愛撫する。ロマーノの弱いところだ。くすぐるようにイタズラな動きで指先を泳がせば、ロマーノはびくびくと体を跳ねさせスペインへと縋り付いてくる。身を捩りながら微妙な快感に悶える姿が何とも言えず扇情的で、頭の中が興奮で煮立っている。
 その間もキスは深くなっていく。味わうように角度を変えながら貪ると、それに応えるようにロマーノの舌がスペインを誘いだした。先を尖らせて突ついてくるのに鳥肌が立って、堪らなくなって彼の体を抱きすくめる。回した腕にぎゅうぎゅうと力をこめると、苦しそうなうなり声を上げられる。

「ふ……ぁ、ん………」

 上顎も頬の内側も容赦なく攻め立てて、息継ぎする暇すら与えなかった。時折漏れる喘ぎ声すら呑み込んで深く口付ければ、反射的にか逃げるようにロマーノの腰が引けた。それすら許せずに体を抱き寄せ抑え込む。

「ん、ぅ……ぐ ぅ……っ」

 ロマーノから漏れ出る声が苦しそうだ。嗜虐心が煽られる。もっとひどいことがしたくて舌の根を抑える。途端ロマーノがどんどんとスペインの胸板を叩いた。
 それで唇を離した。名残惜しくて唾液まみれにした口の周りをぺろりと舐める。ぐったりと力の抜けたロマーノは虚ろな視線を投げかけてくるだけで、罵倒する元気もないようだ。
 互いに肩で息をついて、熱い吐息を零す。離れてもなお唇は熱を持っていて、じんじんと疼いている。腫れかけているのだとわかったが、その疼きが口さみしく感じて再び貪りつきたくなる。ロマーノの口もとは赤く濡れていて、スペインを誘っているようだ。目の前がくらくらとした。

「はっ……もう、寝よか」

 ロマーノが濡れた瞳を向けてくる。それにすら背中がぞわりと粟立つのを感じて、思わず唾液を飲み込んだ。喉が生々しいほど大きく鳴った。

固定ページ: 1 2

PAGE TOP

close