あいになる

 スペインが変だ。
 いや、あいつはいつでも変だ。トマトとか牛追いとか、俺とか、俺から見てもなんでそんなもんが夢中になるほど好きなんだ?って思うようなことに全力を挙げている、それでいてその他はそこそこ何とかなればそれでいいというのが、スペインという国だった。それを変だと思うのは俺だけじゃないらしく、奴の親しい(ちゃうちゃう、腐れ縁やでー)フランスやプロイセンも呆れながら、それの何が面白いわけ?とか何とか、たまに言われていた。変態大国からもお墨付きの変人スペインだったが、しかし、今回に関しては常とは違うと言う意味で変だった。
 何がきっかけかはわからない。気がついたら変になっていた。俺が誰かと会う用事があれば、どこからかそれを聞きつけて、今日は親分もついてくわーと言ってひっつき回る。基本的に俺の用事は、あいつの知り合いとのやりとりが多かったので、先方もまあいいか、と適当にあしらってくれていたが、一応仕事で来ているにも関わらず、俺の周りでちょこまかと邪魔をしてくるので迷惑と言える。フランスのところへ恐る恐る出かけて行った時なんか、なぜか既にフランスの家にいて、終始むすっとしていて感じが悪かった。なんなんだ、一体。フランスもフランスで、ごめんねー折角、来てもらったのにスペインが来てるんだよね、と大事な用事だと呼び出したわりには、だんまりを決め込み用件があるわけでもないだろうスペインを受け入れているので、お前が俺を呼んだんだぞ、と怒った。大体、なんなんだ用事って。けど、その時は本当に大事な仕事の話だったから、ふて腐れているあいつを無視して軽くランチミーティングを進める。その間、地味な嫌がらせを延々とフランスにしていて、例えばナイフを隠したり髪をひっぱたり子どもみたいなやたうだ、俺は別にどうでもいいんだけど、なんだよあいつは一体、邪魔だろって一回言ったが、当のフランスは、んー、まあそうなんだけどね。と、すっげぇ何かあるような思わせぶりな態度をとりながら、結局最後まで核心に触れられるようなことは言わず、怒っているみたいなスペインとは対照的にずっとにやにやと笑っていて、二人して嫌な感じだ。

 それだけじゃない。やたらと遊びに誘ってくるようになった。以前からイタリア兄弟だいすき!な奴だったけど、最近は本当に頻繁で、頻繁に会ってるのに俺の用事にくっついてくるから、俺はずっとスペインと一緒に行動しているようなものだった。

「おい、スペイン」
「んー?なに?」

 パエリア食べにおいでやーとゆっるい笑顔で誘われて、その日はたまたま弟がドイツの家に遊びに行くっつって一人だったから、一人用の昼食を作るのも面倒だし、わざわざ家まで来てやった。あいつが作ったパエリアを食って(変な話、お袋の味があるなら俺の場合、スペインのパエリアなんだろう。なんやかんや言っても安心してしまう)、さてシエスタしようと客用のベッドに横になっていたら、なぜかあいつが俺の上に乗ってやがる。馬乗りになったスペインを睨み上げながら大きな溜息をつく。

「なに?じゃねえよ。そこをどけ」

 重いだろうが。
 つんけんとなるべく冷たく言っても、むしろにこにこ笑って、いややーって抱きついてきた。心なしか体温が高い。暑いんじゃねぇか。
 スペインは、俺が自分のことを好きだってわかってて、なぜか思わせぶりな態度を取るような男だった。いや、鈍感すぎるから、何も考えていないのかもしれない。こっちから好きって言わなきゃあいつには何もできないし、それをいいことに俺は百年単位で勝ち目のない片想いをしていた。一方通行の想いが叶えられない切なさと、俺以外の誰かと普通の恋愛をしているスペインに焦がれる苦しさと、けれど諦めるもできない臆病さで俺は恋をしている。せめて、こいつを想うだけで俺がきらきらとするような、優しくなれるような、そんなおとぎ話みたいな気持ちになればいいのに。健気にも初恋を引きずった俺は、いまだスペインに対しても、スペインへの恋心に対しても夢を見ている。

「ん?なにー?」

 じっと考え込んでしまった。また緩い声でまとわりつかれて、吐き出しそうになった溜息を飲んだ。こんな、だって今俺が何を考えているかなんて、知ろうともしてないのに。
不毛すぎる片想いの相手に、寝るためとはいえ全裸になっているところを襲われて、胸が跳ねるのを誤魔化せないが、それでもどうせ他意はないのだ。こいつには。今までだって何度もこういうことはあって、恐らくは寂しいとか人肌恋しいとか、そういう感情から俺に甘えてるに過ぎない。親愛を越えた口と口をくっつけるキスをしておきながら、期待と疑問と興奮とで混乱しきりの俺に、ロマーノがしてほしそうやったから、とへらっと笑って言ってしまうようなそういう男なんだ。
 どう考えてもだめな男なのに、それでも俺はなんやかんやで最後にこいつのことを許してしまう。

「はあ、もういい」

 ふっと俺がどうしようもなく哀れなんじゃないかって気付きそうになって、その言葉を脳内から追い出した。考え出したら終わりだ。今まで何のために耐えてきたのかわからない。
 現状何のために耐えてるのかって聞かれても全く答えようがないけれど、せめてけれど、俺が苦しくない恋愛の仕方をしているっていう言い訳だけは残したいんだ。俺はスペインのことを考えるだけで幸せになれて、想いを通じ合わせる必要もないぐらい幸せで、こいつの一挙手一投足の全部を受け入れられる。そうそれがイタリアの愛だ。スペインとは違うんだからな!

「もういいって言うの、俺それ嫌や」
「そうかよ」
「なあ、諦めんといてや」
「おう」

 もう寝てしまおう。そう言えばスペインには最近、特定の恋人がいないようだ。だからだろう。欲求不満を仮にも子分として従えた国にぶつけるんじゃねえ。
 やけに真剣な顔をして名前を呼ぶスペインに、懲りもしないでときめく愚かな心臓。全然惑わされてんじゃねぇか、頼むからおさまってくれ。愛になってくれ。

「もう寝てまうん?」
「そうだよ」
「えー」

 不服に唇を尖らせて拗ねるみたいに、もっとお話しよって擦り寄ってくるので、ちょっと可愛いなって思ってしまう。けれど、夜までこっちにいるし明日も休みをとってるから何なら泊まってもいい。続きは起きてからでいいだろう、と俺は目を瞑った。まだまだ夏の暑さが残る。昼間には動くのもだるいほどに気温が上がり、照りつける太陽の光が皮膚を刺してくるように痛い。そんな堪らないほどの外を窓から見やって、クーラーの効いた過ごしやすい部屋でうとうとと誘われる。楽園やんなあ、こんちくしょう。

「今がええの。俺の話、聞いてや」

 熱いてのひらで俺の頬を包み、間近になった濃いみどりの瞳を爛々と輝かせて小首を傾げるスペインを、薄ら開いた眼で見詰めた。ばかだな、いつでも俺はお前の話、聞いてやってただろう。なんて、既に霧散した思考でぼんやり浮かんだばかみたいな台詞を、けれど唇に乗せることはなく再び瞼が閉じられていく。習慣には抗えなくて、あっさり夢に落ちていった。

 シエスタから目が覚めるとスペインは既に起きていて、カプチーノを淹れてくれるのだと言う。気が利くなって思って、素直に礼を述べたのだが、そこでふと機嫌が悪いことに気がついた。ぶすっとした表情で、声のトーンはいつも通りだったが、責めるような眼でじとっと見てくる。なんだよって聞いても、別にと返されてもやもやした。別に、ロマがどうとかちゃうくて。うーとか、んぅとか、よくわからない音で唸りながら、結局はだんまりを決め込んだスペインが、けれど俺の側に寄ってきて俯いた。大体、直情型のスペインが怒る時は言いたいことを言って、少し席を外して、暫くしたら元通りってことが多いから、こうやって何も言われず沈黙されることに慣れない。それだけ機嫌が悪いのかと思ったけど、でも確かに寝落ちしたけど、そこまで怒るほどのもんじゃねぇだろ。

「言いたいことあるんじゃねぇのか」

 そう言えば寝る前にそんなことを何とかかんとか。俺が促せば隣に来ていたスペインもぱっと顔を上げて(顔近ぇ)、けど、あ、いや、と歯切れの悪い返事を返す。相変わらず意味わかんねぇな。

「なんだよ」
「うー…今は、まだええ。晩ごはんの時に…」

 もごもごと口の中で呟いた。さっきまでの勢いがしおしおに萎びたみたいに、元気がなくなっていくのが見てとれる。怒っているというよりは、落ち込んでいる感じだ。寝る前のご機嫌なような、興奮しているような、そんなテンションの高さはどこへやら。今はもじもじと何か言いかけては、言い出せないような、そんな態度。

「そうか…トマト取ってくるぞ」
「おん、ありがとう…あ、あのな、今日泊まるって」
「ああ、泊まってもいいけど、都合悪いなら晩飯の後でも帰るし」
「いや!いやいやいや、全然悪くない!泊まってき!」
「おう、なんだお前最近変だぞ」

 ふっと息が抜けて、悩んでることあるならさっさと吐いちまえよ、と笑った。よく見たら耳まで真っ赤で、いつからこんなに顔を赤くしてたんだろうって可笑しくなる。そう言えば、あんまり顔を見てなかったと気づいてじっと観察すれば、いっそう赤くなって焦ったように、あんま見んといて!と手を振り回した。その反応が、珍しくスペインを困らせているみたいで、多少の優越感めいたものを感じる。大体いつも振り回されるのは俺のほうだし。珍しさにもっとからかってやりたくてによっと顔をが緩むのが止められない。これは、きっと弱味なんだろう。
 何だろう、俺が怒るようなことでもしたか。相当恥ずかしい内容、もしかしたら人に言えないような。
 恋心に気付いてからはずっと弱味を握られているも同然だったし、気分が良い。二の腕をひじでつついて、見上げてくるスペインに、さて何て言って聞き出そうか。企みは、けれど叶わなかった。

「はあー…とんだ小悪魔ちゃんやわ」

 唐突にしなだれかかるように抱きつかれ、ぎゅうぎゅうと力を入れられる。

「人のこと鈍感鈍感って自分もたいがい鈍いやん」

 なぜか怒ったみたいな早口で言い切って、更に力を込められるから背骨が悲鳴を上げ、もしかして拗ねてしまったのだろうか。

(からかいすぎたか?)

「今日は笑顔でいたかったんに、先に寝るし話は聞いてくれんし今も年上をからかって…なんそれ、襲われたいんか?」
「な!?はあ?何言ってんだよっ」

 聞き捨てならない一言に暴れてみるがびくともしない。スペインは優男に見えてけっこう馬鹿力で、俺だって普通に男だし普通に力はあると思うけど、スポーツ以外の例えば喧嘩とか小競り合いになった時の体の使い方を知らないから、本気でやり合ったら負けてしまう。それをわかってても忘れさせてくれる程度にスペインは俺に甘いから、圧倒的な力の差でねじ伏せられるのが怖くて堪らない。

「やっ……!」

 苛々したみたいなため息が耳にかかる。思いのほか熱くて、嫌悪感に似た恐怖が襲う。自分では何もできない、スペイン次第でどうとでもなる状況に、顔から頭から冷えていく。血の流れが鈍くなったみたいに頭が真っ白になって、心臓だけが危ない感じでうるさく脈打った。

「やっやってー、かわええなあ」

 耳元で内緒話をするみたいに声を潜めたスペインが意味わかんねぇ。わかんねぇのにドキドキしてしまう。距離が近くて、あとなんか耳が熱い。俺もたいがい熱いけど、俺に触れてくるスペインのてのひらも、くっついたお腹とか、時々当たる息が、全部熱くて体中が緊張してぴんと張ってしまう。なんだ、なんだってんだ、俺は別にびびってねぇぞ!ちょっと怖いだけだ!

「なあ、あんなあ」
「ん、だよ。離せよ、お前なんか怖い」
「怖くて結構。むしろ危険を感じてもらわな、俺自信なくすわ」

 俺が怯えているというのに、スペインはむしろ嬉しいって言ってくすくす笑う。なんだ、さっきまでの可愛いのは演技か?こいつのうなじにかかる後ろ髪を睨みつけて素数を数えながら意識を逸らそうと試みていたが、スペインが突然体を離して視線を合わせる。超至近距離で頬を大きなてのひらで覆われ、捕まえられた。なんか、あんまり理解できない妙に真剣なような、笑みを含んでいるような、見ちゃいけないような目で見詰められて俺は目を合わせられない。無理矢理、視線だけ逸らしてみるが、顔を固定されているのでちょっと視界に入ってくる。

「ロマーノ、強引な男のほうが好き?」
「な、にが」
「とぼけんといてや、なあ、好きやねん」
「そうかよ」

 俺はもう何が何だかわかんねぇよ。でも、スペインの好きはいつだって、家族としての好き、イタリアが好き、だったから、今更そんなことで勘違いなどしないのさ。子どもの時にそれで散々、傷ついた。

「そうやって信じてくれへんのも、真剣に取り合ってくれへんのも、俺が今まではぐらかしてたせいなんやろ」
「なにが」
「さっきも、大事な話って言って、ベッドで裸で抱き合っててもロマーノは平気な顔して、本気で受け取ってくれへん。そんだけ俺がロマーノの気持ち踏みにじっとったんやね」

 前髪をかきあげられた。優しい手つきに、そういえば力づくのホールドからは解放されている。恐る恐る視線をスペインに戻したら、これ以上ないほどに顔を真っ赤にして、でも優しい表情で俺を見ていた。

「もっかい俺の事欲しいって思って?」
「…だよ、んだよ、勝手すぎる」
「うん」

 ゆっくりと状況が脳内に浸透していって、でも素直になれないのは、さっきまで怯えていた自分の態度をどう変化させたらいいかわからないのと、今までの気持ちをどうとも整理つけられないからだ。だって、せっかく心乱されることがなくなってきたのに。お前がどこで誰と何していようと、心のどっかにロマーノっていう席を置いていてくれて、何らかの特別を与えてくれるなら、それで満足していようと決意したのに。
 こんなのは愛ではない。迫られて今もみっともなく動揺している。きっと、またスペインが誰かと親密になれば嫉妬するし、夜になればどうしているんだろうって気になるのだ。それは愛ではない。

「せっかく、愛になるのだと」
「うん、それもええけど」
「ほんとうの愛してるを誰かに」
「うん、でもまだ恋しとって」

 あっさり陥落した俺は、きっとまだ違った。
 勝ち目のない恋を百年単位でしていた俺は、それでもまだ早かった。きっと一人では愛を育てられないのだと、スペインは囁いた。

「だから、俺と」
「……最後まで責任取れよ」
「もちろん」

 きっと二人なら、あいになる。

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