ベッドタイムの恋人たち

 寝苦しい夜というものがある。まぶたをぎゅっと閉じても何度寝返りを打っても眠気は遠く、人けのない邸が昼間にはないほど静かだと気づいて恐ろしく感じるような夜だ。気を紛らわせるようなものは部屋にはないし、水を飲もうにも暗い廊下をひとりで歩くのはこわい。どうしようもなく毛布に包まって羊を数えるだけの時間はいつになく長く感じられた。夜がいつまでも明けないのではないかと思うほどに。
「ロマ、起きてる?」
 そんな時、決まってスペインがやって来る。彼は控えめなノックとともに部屋の扉からひょっこり顔を出した。
「ああ、やっぱり。何やゴソゴソしとるなあって思った」
「ちょうど寝れそうだったのに、じゃますんなよ」
「そうかあ。そら悪いことしたなあ」と全然悪く思ってなさそうに言いながらベッドまで寄って来るので、ロマーノも渋々といった体で体を起こした。目は冴えきっていたから夜中でもすんなり起き上がれた。「何か用かよ」ぶすっと問いかけると、彼は親分らしからぬ少年じみた笑みを浮かべた。「夜食食わへん?」
「夜食?」
 耳慣れない単語だ。怪訝に思って聞き返すと、スペインはますます笑みを深めて頷いた。
「そう、干しぶどうと昼間に焼いたチュロスがあるねん。温めたミルクでロマと夜会。楽しそうやろ」
 夜会が何かなんて社交界デビュー前のロマーノにはわからないが、それが大人たちの楽しみであることは知っている。めかしこんだスペインを見送ったことだって何度もあった。
 魅惑と憧れの夜会。しかもお菓子が食べられるとあっては誘いを断る理由などない。
「……しょうがねぇな」
 どうせ眠れなかったのだ。ぴょんとベッドから飛び降りるとスペインが笑ってランタンを提げている手とは反対側の手を差し出してきた。その手を握ろうとすると逆に腕を掴まれた。そのまま反動もつけずに軽々ロマーノを抱き上げる。
「わっ、ちょ、スペイン!」
「シー。もう夜遅いから静かにしてや」
 急なことに慌てて抗議すれば、片目を瞑って囁かれる。内緒って、だったら一言声をかけてくれれば良いのに。唇を尖らせて大人しくスペインの腕に収まった。
 抱き上げられたまま連れて来られたのはスペインの寝室だった。
「到ー着」
 ロマーノの子ども用ベッドとは違って大人が三人は乗れそうな大きなベッドの真ん中に下ろされる。ころんと転がると想像よりやわらかなシーツに体が沈み込んでしまう。
「……お菓子は?」
 ジタバタ手足をバタつかせて顔を上げる。夜会と聞いて来たのに、どうしてスペインのベッドに寝かされなきゃいけないんだ。もう寝転がるのにも飽きていたこともあって不満を露わに訊ねる。
「今持ってくるからちょっと待っててなー」
 スペインはベッド脇のろうそくにランタンから火を移すと部屋を出て行った。常に話しかけられているわけでもないのに、彼がいなくなった途端しんと室内が静まり返る。いるだけで賑やかな男だ。すぐに戻ってくるとわかっていても不在を思い知らされるのはあまり良い気がしない。
 ゴロゴロとベッドを転がってシーツに潜り込む。そうやって狭いところに入っていると体に何かが密着して安心する。
「ロマ?」
 しばらくそうしているとスペインが戻ってきた。
「あれ、マジでどこ行ったんや。ロマーノー?」
「なんだよ」
「わっそんなとこに潜り込んどったん?」
 びっくりしたーと間延びした声を上げるスペインはお盆を持っていて、その上には干しぶどうとチュロス、湯気が立ち上るカップが乗せられていた。
「それが夜食か!」
「せやでーミルク温めてきたからちょい時間かかったけど」
 彼はそのままベッドへと上がり込んで来る。ずりずりと膝立ちでロマーノのそばまで這い寄ってきて、シーツにお盆を置いた。
「……ベッドに食べ物もって入っちゃだめなんじゃねーのかよ」
 日頃ロマーノにベッドで飲み食いするなとか、お菓子を持って入るなとうるさいのはスペインだ。それなのに夜食をシーツに置くなんてどういうことだろう。怪訝に思い眉をひそめれば、彼は歯を見せて笑う。
「ええねん、今日は夜会やから。特別やで」
「……夜会ってベッドでするもんなのか?」
「うーん、まあ、そういうこともある」
 あんなにめかしこんで出かけておいて、まさかベッドで寝ているなんて。じゃあわざわざ着いた先でパジャマに着替えているということか。スペインはいつも服のままベッドに入っちゃ駄目って言ってるもんな。……何だか妙な作法だと首を傾げる。ロマーノも社交界入りすればわかるようになるのだろうか。
「親分はそういうことせーへんけどなあ」
「ふうん」
 ごろりとスペインがベッドに寝そべる。それに習ってロマーノも横たわった。
「でも今日はちょっと楽しみや。はい、ロマ。ミルクやでー」
 熱いから気をつけや、と手渡されたカップを受け取る。ずっと起きていたから喉は乾いていた。シーツに肘を突き両手でカップを包み込む行儀の悪い体勢で、ふーふーとミルクに息を吹きかける。甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「……こんなのベルギーに言ったらおこられそうだな」
「せやなあ、みんなには内緒にしとってな」
「スペインしだいだな」
「えっ何それ! ロマも共犯やん、協力したってよ」
 スペインの焦った様子を見て、本当に人に言われたら困ることなんだろうと察しがついた。何だかんだではぐらかされることも多い中で、こうやってちゃんと共犯扱いされるのは何だか気分が良い。楽しい気分のままカップに口をつけた。甘いミルクは少し熱いぐらいだったが、ロマーノにはちょうど良く感じられる。
「また誘ってくれるなら考えてやる」
 ふん、と鼻を鳴らす。スペインは「せやなあ」と干しぶどうを摘みながら頷く。
「ロマがええ子にしとったら、眠れへん時にまたやろか」
 スペインもシーツに肘を突いて笑っていた。

 /

「ロマーノー、まだ寝ぇへんやろ?」
 寝付きの悪い子どもをあやすためのベッドでの“夜会”は、ロマーノが大人になり独立してからも続いている。変わったことと言えばロマーノを寝かしてくれなくなったことと、いたずらに誘う少年の笑みを浮かべていたスペインが少し悪い顔を見せるようになったことだろうか。
「……いったんシャワー浴びさせろ。まだ寝ないから」
 行為後の気だるさを洗い流したくてノロノロと起き上がる。リビングのソファで絡まり合うようにもつれ込んだのはかなり早い段階だった。テーブルには開けたてのワインボトルと、手もつけていないタパスが何品も置いてある。
「えーそれやったら俺も一緒に入ろかなあ」
「……余計なことしたら叩き出すぞ」
「そこはロマ次第やなあ」
「何でだよ、お前の理性で何とかしろ」
 言っている間にもスペインの腕が腰に纏わりついてくる。どうせこの後ベッドに移動してまたヤるくせに、眉間に皺を寄せて睨みつける。それが嫌なわけではないが、スペインの好きにさせていると体力がもたない。インターバルは重要だ。
「せやったら風呂上がったら寝室いこ」
「気が早ぇよ……だいたいワインとタパス、全然手ぇつけてねーじゃねぇか」
「あれ持ってベッド行ったらええやん。楽しそうちゃう?」
 風呂場へと向かう道中、今夜の予定を語りだしたスペインを止めずに放っておいたら「せっかくだからもう一本ワイン開けて、ベッドでおしゃべりすんねん。いつでも寝れるし絶対ええやん!」と話が発展していく。子どもの頃、ロマーノに口うるさくベッドに食べ物を持ち込むなと言い聞かせたことなどすっかり忘れているのだろう。ロマーノも大人になったので今さら教育への悪影響を気にする必要はないのだが。
「……そう言や、昔、夜会だっつってたもんな」
 ふと思い出して口にする。あの内緒の習慣はロマーノが独立するまで続いていた。幼い内はスペインが来るまでベッドでゴロゴロ過ごしていたが、ある程度成長してからは自分から彼の部屋へと訪ねて行ったこともある。その過程で夜会がどういうものかを知り、実際にスペインと一緒に参加したりもした。思い描いていたものとはかけ離れていて、あまり楽しくはなかったが。
「俺がちびだった時。寝付けないとベッドで夜食食ってたの。ってお前覚えてるか?」
「それはもちろん覚えてるよ。でも夜会かあ。えー俺そんなこと言うたっけ?」
「言ってたぞ。俺から言うわけねぇだろ」
「……せやったっけなあ。やってベッドで夜会やろ?」
「おう、ウィンクして言ってた言ってた」
「えぇ!? ほんまにー?」
「ほんまほんま」
 笑いながら連れ立って風呂場に入る。ふたりで洗い合ってシャワーを浴びる間、存外大人しくしていたスペインの計画通りベッドで飲み会の続きをするために。

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