ひとはそれを

 本当はロマーノには優しくしたい。幼い頃からそうであったように、辛いことかなしいことすべてから守ってあげたい。いつだって目の前では笑っていてほしいし、できれば、その笑顔を与えるのがスペイン自身でありたいと願っている。なのに、どういうわけだか彼を目の前にするとその決心は脆く崩れ去って、身勝手な愛情を押し付けてしまうので、スペインの視界に映るロマーノは泣いているか怒っているかのどちらかがほとんどだった。
 けれど、今日は数ヶ月ぶりに会える。ずっとこの日を楽しみにしていた。スペインにしては計画的に、何週間も前から準備を整えて待っていた。ひとりで見て感動した映画を見せようとビデオも用意し、仕事で一緒になったシチリアの女の子がおいしいと言ってくれたシェリーブランデーの銘柄だって取り寄せておいた。食事は彼の好きなものばかりを食卓に並べ、胃に収められる時を今か今かと心待ちにしていた。
 ひとりで過ごしている時はどんな些細なことだって、いちいちロマーノにも見せてやろう飲ませてやろう食べさせてやろうと、いちいちそう思うほどに、彼に囚われている。別々に過ごしていてもロマーノのことが頭をよぎる瞬間、愛おしさに胸が詰まる。
 今日こそは優しくしたい。ただ食事をしたりソファでくつろいだり畑の手入れをしたりするような、そんな穏やかな時間を共に過ごしたい。それは、まだただの親分で子分だったころのようで、それよりも更に甘くやわらかな日常を、安らぎや優しさを、ロマーノに与えてやりたかった。

(何時ぐらいに来るんかなあ)

 メールはゆうべの、起きたら行く、というそっけない返事で止まっている。気まぐれなロマーノはわざわざ時間を決めて会うのを嫌がるので、いつも何時に来るのかはわからない。男同士ならそんなものだろうと言われれば、そうなのかもしれない。事実、スペインだってフランスと会うのに約束を決めたことがなかった(何なら、他の用事を思い出してすっぽかしたこともあるぐらいだ。それはお互いさまで、フランスだってデートをしていて忘れてたなんて言うこともあるのだけれど)。

(せめて、家出る前に連絡くれたらええのに)

 そうすれば、空港まで迎えに行けるのに。出歩いてすれ違いでもしたら目も当てられないから、こうしておとなしく家で待っている。
 ロマーノが着いたら、まずは何をしようか。庭に連れ出してツバメの巣を見せたい。今年はバラを植えたから、花畑を一緒に見に行くのも良い。ああ、でもリモンチェッロを飲ませてひと息つくまで待ったほうが良いだろうか。何度も何度も頭の中で思い描いて、心がふわふわと浮き立つのを感じた。

(早く来んかなあ)

 テーブルの上で手を組んでまぶたを閉じる。ロマーノ、ロマーノ。心の中で呼びかける。愛おしくて仕方がない。この気持ちのまま彼の目の前に立てれば、今日はきっと優しくできるだろう。優しいスペインで、いれるだろう。
 しかし、ローマから海を渡ってマドリードまでやって来た愛しい恋人を玄関先で迎えた瞬間、そんな計画は全て頭の中から吹っ飛んでしまった。
 まだ寒い春先の風の強い日に、心もとない薄着でやって来たロマーノは肩を竦めてむすっとした顔で、よお、とぶっきらぼうに言った。たったそれだけのことで、スペインはどうしようもなく強い感情を覚え彼を扉の内側へ引き込んだ。

「いっ……! ちょ、なにす ンっ」

 言葉を奪うようにキスをした。呼吸さえも飲み込もうとぴったり唇を合わせて、性急に舌をねじ入れた。突然、腕を強く掴まれ口を塞がれたロマーノは少し怯えの色を見せて腰を退いたが、逃がすまいと抱きすくめると、口内を荒らされながらも精いっぱいの虚勢を張ってスペインを睨み上げたてきた。それがまたいけない。

「……っ、……ン ぅ……」

 時折、鼻から抜ける甘い吐息のような零れる声に煽られて、キスはどんどん深くなっていった。薄目を開いてようすをうかがえば、ロマーノが悩ましげに眉間に皺を寄せて目を細めている。たまらなくなって頬に両手を添え、逃げられないように固定して口付けの角度を変えて何度もその舌を絡め取った。
 長いキスに息苦しくなったのだろう。ロマーノが手のひらでスペインの胸を押し返した。そんな些細な抵抗にすら頭に血が上り、思わずカッとなって肩を抱き込み、ロマーノを壁に押し付けた。力を入れすぎたのか、ガツ、と鈍い音がした。

「いった……おい、スペイン、なんだよ急に」

 何でもないように装っているが、押さえつけている肩から震えが伝わってくる。それで理性は煮立って乱暴にカットソーの裾に手を差し込んだ。

(足りない足りない足りない)

 首筋に噛みついて胸に爪を立てると、引きつった悲鳴が上がった。

「ゃ、なにすんだ……ッ?!」

 こわいのだろうか。ふれてもいないのに、すでに先端は立ち上がり尖っていた。いやだ、やめろと拒絶するくせに、その芯を押しつぶすように親指でこね回すだけで罵倒はやんだ。息をつめた呼吸だけが聞こえる。何だ、ロマーノも良いのか。そう意地悪な気持ちになって、硬く育ったそれを人さし指で悪戯に弾いて顔をのぞき込むと、ロマーノが涙まじりの声であえいだ。カリカリと爪で引っかいたが、今度はもう痛がらなかったので力任せに抓ってやる。

「ふっ、あ……ぅ、ん」

 ロマーノが上半身への愛撫に気を取られている間にベルトへと手をかける。半端に寛げて中のものを取り出し、右手をかけた。無理な姿勢を強いることも厭わず、顎を掴んで後ろを振り向かせて唇を塞ぎながら上下に扱く。ずれた唇の隙間から漏れるくぐもった声が苦しそうだとは思った。けれど、それすらスペインを止める力はもっていなかった。
 尿道に爪を立て、強く握り込んで乱暴に擦る。前に、自分でする時は強くはしないと言っていたから、こんなに力を入れては痛いかもしれない、とちらりと頭をよぎった。けれど、セックスの最中に力を加減することがどうしてもできなくて、いつも通り無茶苦茶にした。それでも、ロマーノは体をくねらせて媚びたような甘い声を上げるので遠慮もなくなって、扱き上げる手はそのまま、更に奥へと指を這わせる。
 やわらかな肉の結び目をそろりと撫でると淫猥にひくつくので、まるでスペインを誘っているようだ。何かを期待するようにヒクヒクと開いたり閉じたりする入り口に、目まいがするような興奮を覚えてがっつきそうになるのを、すんでで堪えた。濡らしてもいないから指の爪先だけを挿しこんで、ぐにぐにとほぐそうとする。ただ開かせるためだけに指を動かしていたのに、中の襞が轟いて更に奥へ奥へと誘い込まれた。

「……淫乱」

 久しぶりに声を出したから低く掠れたものになった。それにロマーノは大げさなまでに肩をびくつかせる。捕食される小動物のように身を固くして構えるその姿に唇を舐めて笑うと、己のジーパンも寛げて、今まで弄っていたロマーノのものと同じものを取り出した。
 言葉もなくロマーノの尻へと宛てがうと、ひっ、と喉奥で悲鳴を噛み殺そうとして失敗したような、怯えた声が上がった。それを合図に強引に腰を進めて侵入する。

「ひっ、あっーーっ! はっ、ぁっ!」

 喉が焼けついて無理やりに絞り出したような声を聞きながら、ただひたすらスペインを支配する劣情に任せて、拒絶されないのを良いことに獣のように彼を貪った。服を脱がす余裕もなく、玄関先で立ったまま。壁に押さえつけた手首を掴みなおして、むちゃくちゃに突き上げていった。

 セックスのあとの後悔は、申し訳ないなんて言葉では片付けられない。気を失ったロマーノの隣でがっくりとうなだれた。
いつもそうだ。最中のことは、あとから思い返してもひどいなんてものではない。ロマーノとセックスをする時だけは、なぜかイライラしていて、まるで何かに追い立てられているように焦って傷つけてしまう。
 別に焦らなくたって、ロマーノとは恋人同士であるし既に何度も体を重ねている。それなのに、いつだってはじめての時のような焦燥感に襲われて強引で手荒な抱き方をしてしまう。

(最初の時のがましやったかもなあ)

 どうあっても物理的に先へは進めなかったから、まだ踏みとどまれた。尋常ではないロマーノの痛がりように興奮もすっかりさめて、最後まではできなかったのもある。今でも無理やり押し入っては痛いはずなのだが、多少、彼の中がきつく辛くてもスペインはむしろ悦楽へと変換されて伝わるので、止めるべきタイミングもないまま先へ先へと進んでしまう。最近では前戯もそこそこに、性急に突き入れて泣きじゃくるロマーノを抑え付けることこそがセックスになっている。後ろから腰を強く掴んで尻を突き出させ身勝手に腰を振る。そんな行為を何と呼ぶのか。

(うああああ……)

 頭を抱えてシーツの上をゴロゴロと転がった。ロマーノはひどく泣いていたし、何度もスペインに、もうやめてくれと懇願し乞うていた。
 再生されるゆうべの記憶に罪悪感と、少しの興奮を覚える。こんな時でも懲りていない己の正直さにほとほと呆れてため息を吐いた。
 となりで眠るロマーノは深く寝入っているようで、スペインが居たたまれなさにジタバタしていても起きる気配もない。こんこんと泥のように眠るその肩には、ゆうべ興奮したスペインが噛み付いた跡がくっきりと残っている。今はシーツに隠れていて見えないが、腕にも足首にも、最中に強く押し付けたせいでうっ血ができているのだろう。
 少しはロマーノのことを顧みなければ。毎回、こうやって傷つけるばかりでは行為自体に意味がない。かえって負担になるばかりで、何も育めていないのではないだろうか。
 本当は優しくしたい。彼が恥ずかしがって嫌がるぐらい丁寧に快楽へと沈め、気持ち良さでその感覚をいっぱいにしたい。
なのに、実際には正反対で顔を合わせただけで無理やりに犯すような真似をしている。

(……でも、別れるなんてむりやから)

 こんな関係をやめにしたほうが良い。そう理性が告げたところで、いつも同じ結論に達する。
 彼が離れていってしまうことだけは、何があっても耐えられない。何ヶ月も会えなくたって連絡が取れなくたって、我慢はできる。けれど、ロマーノの特別はすべて自分に向けられていなければならない。でなければ、たちまち渇ききって干涸びてしまうだろう。それは執着なのか依存なのか。そんなことはスペインにはどうだって良くて、ただ己の感情の告げるままにロマーノを求めているだけだった。
 ちらりと視線を移せば身じろぎひとつしないで眠り続けるロマーノの寝顔。泣きすぎたせいか目もとが腫れているし、耐えようとして噛みしめたのだろう。唇が切れていた。
 たいていのことはままならないと諦めもつくが、この子だけは無理だった。手放すことも、遠ざけることも。だから。

(……ロマーノのことは、もう絶対に傷つけへんから)

 サラサラと指どおりの良い前髪に手を通し、ひたいが見えるように掻き上げた。丸い滑らかなそれは子どもの頃からあまり変わっていない。誓いを立てるようにキスをする。ゆうべの乱暴なそれとは違う、やさしいキスをした。

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