ハードワーカー

 もうそろそろ休暇に入っていても良さそうなものなのに、一向にロマーノからの連絡がない。クリスマス前からロマーノがスペインの家へやって来て年越しまで一緒に過ごすというのが、ここ十数年の二人の恒例になっているので、当然のように今年もそうするのだろうと思っていただけに肩透かしを食らったような気分で困惑した。
 数日前から落ち着きなくそわそわして、見逃していないかと携帯電話の着信を確かめたり、何かあったのではとテレビや新聞から伝えられるイタリアの情勢に注意を払っていたが、どれだけ心配したところで、やっぱり携帯には何の音沙汰もないし、イタリアにも特筆して変わったことが見当たらない。
 さてはて、一体どうしたものかと考えて、しかし携帯電話でちまちま連絡を取るのももはや面倒だ。それならばいっそイタリアまで迎えに行けば良いのではないかと思い付いてしまっては居ても立ってもいられなくなって、突然行っては迷惑になると止めてくれる友人達もいなかったため、スペインはその勢いのままローマ行きの飛行機を手配し空港まで向かう電車に飛び乗った。
 もしかしたら風邪を引いているのかもしれないと気付いたのは、ローマチャンピーノ空港に着いてマスクをしている日本人を見てからだった。彼らは実に律儀である。周りに拡散しないためにと言ってはマスクを着け、外国から余計なウイルスをもらって帰らないようにと予防するためにマスクを着ける。スペインにはなかなかない習慣だ。

(看病したったほうがええかな)

 弟のイタリアがいるから大丈夫だろうとは思ったが、彼もまたのんびりしていて頼りないところがある。兄弟揃って寝込んでいるかもしれないし、意地を張ったロマーノが弟の助けなどいらないと追い出してしまった可能性も否定できない。
食材的に看病するのに不足はないだろうと踏んで、ローマにある彼の自宅へと向かう道中でトマトとゼリーだけを買った。風邪でなくとも置いていて困るものではないだろう。
 かくして何のアポイントも取らずにイタリアへとやって来たスペインだったが、自宅の玄関先で出迎えてくれたロマーノは不機嫌極まりない疲れきった表情で、元親分の突然の訪問を喜びはしなかった。

「……何の用だ」
「え、えーと」

 なぜかスーツをきっちり着込んでいてネクタイまでしている。おしゃれな彼は女の子をナンパしに行く時にもスーツを着て行くことがあるが、そういったファッション性の高いものではない。会議の時などでも見る仕事用のものだ。

「なんでスーツなん?」
「見てわかんだろ。仕事中だ」
「え! もうクリスマスやのに?」
「……休み返上してやってんだよ。ここんとこお前の家に入り浸りだったから、溜めに溜めた仕事が終わんねぇんだ」
「あー……」

 最近、ロマーノのことが好きだと気付いたスペインは、何かと口実を作って自宅へと呼んでいる。知り合いからハモンセラーノをもらったから一緒に食べよう、庭のカメリアが元気ないので見に来てくれないか、リーガエスパニョーラのチケットが手に入った、などなど。
 週末の休みの日に少し滞在するぐらいなら仕事にも差し支えがないのだろうが、幼い頃からずっと一緒にいただけあってロマーノと過ごす時間は居心地が良い。今更、気を遣う間柄でもないし、共通の話題や共にした思い出話がいくらでも出てきて、一緒にいるととても楽しいのだ。しかし、楽しい時間は過ぎ去るのも早い。一日二日も経てば彼はイタリアへと帰らなければならなくなるのだが、それがどうしようもなく寂しくて。別れ難く、つい長々と引き止めてしまう。
 特に先月は離れるのが辛くて、留守番を頼みたいからまだいてくれなんて、無理のありすぎる理由を作って家へと留めた。まさか、それが原因で仕事が溜まっていたなんて……イタリアにほとんど帰っていないのだから考えれば当たり前のことなのだけれど。

「けど、そんな頑張らんでも……いつもやったら適当にサボるやん」

 子どもの頃から手を抜いたりサボったりさせたら右に出る者はいなかったぐらいだ。今回もどうにか適当にやるのではないかと思ってしまう。

「そうはいかねぇんだよ……上司がめちゃくちゃ怒ってて、このままじゃ年末年始も返上しなきゃなんねぇんだ」
「えぇ?! ロマーノ休まれへんの? 俺、一緒におれるんやと思って準備してたのに」
「……だから、その休みを取るために今頑張って働いてんだ。ちったあ協力しやがれ」
むっと唇を突き出して怒った顔を作ったロマーノが、こんな無駄口を叩いている暇もないと家の中へと引っ込もうとする。
「え、あ、ちょ、待って! それってロマーノも年末は俺と一緒にいるつもりやってこと?」
「……悪いかよ」
「全然! 嬉しいで!」
「そうかよ」

 扉の隙間に体を捻じ込ませ家の中へと入り込んだが、ロマーノは黙って見ているだけで文句を言うこともなかった。スペインが室内へと入ったのを見届けて玄関の扉を閉める。がちゃん、と重い音が響いた。

「連絡なかったから俺だけが楽しみにしとったんかなって思っててん」
「ふうん」
「勝手に恒例行事みたいに思ってロマーノが全然そんな気なかったら寂しいなって」

 廊下を歩く間も喋り続けるスペインを邪険に扱うでもなく「そっか」とだけ返す。ロマーノは決して言葉が少ないわけではないが、スペインやイタリアのようによく喋る者が相手の時は短い相槌が多くなる。そっけないと思われがちだが、相手の話をちゃんと聞いていて続きを促しているのだと知っているから、スペインもほとんど一方的な会話でも気を悪くすることなく続けられる。

「でも、仕事溜まってもうたんやんな……ごめんな」

 好きだから一緒にいたい、一緒にいたいから引き止めるなんて、自分の身勝手でロマーノに負担をかけてしまったと落ち込めば「別に」と興味なさそうに呟いた。

「どうせ、俺もそんな……仕事やりたいわけじゃねぇし。お前と遊ぶのは嫌いじゃないから」

 疲れているせいだろうか。珍しく素直なことを言うロマーノに感激し、ふるふると肩を震わせた。何て可愛いんだ、うちの子分は。今すぐスペインに連れて帰って「よく頑張ったなあ! 今日は好きなもん作ったるからなー」と撫で回し思いっきり気が済むまで甘やかしたい。

「あ、せや。ゼリーとトマト買ってきてん」
「おお、気が利くじゃねぇか」

 袋を差し出すと嬉しそうにロマーノが受け取った。褒めて褒めて、と顔に書いているスペインに「よくやった、褒めてやる」と笑う。

「ロマーノ、嬉しい?」
「おう、嬉しい」
「ほな仕事見ててええ?」
「いいぞ」

 多少、機嫌が良くなったのか仕事場について行くことの許可を得てスペインは「ありがとー」と緩く笑った。ここは、全身でこの喜びを表現しなければならないだろう。

「だが、俺は今壮絶に忙しい。絶対に! 何があっても邪魔だけはすんなよ」

 しかし、せめて抱きつこうと考えたスペインが両腕を広げたところで、人差し指を突き出し上から見下ろすように首を逸らし、寝不足なのだろうか。凶悪なマフィアのような怖い顔でロマーノが宣言した。

「え、えーと、親分、邪魔せぇへんよ?」
「抱きついたり、ツッコミが必要なことしたり、そういうことが仕事の邪魔だからな」
「……はい」

 返事が小さくなったスペインに「もし約束破ったらすぐに追い出す」と念を押した。

 ロマーノの家にも書斎があって、休みの日などは自宅で作業することが多いらしい。らしい、というのは長い付き合いでそんな部屋があったことすらスペインは知らなかったのだが、初めて足を踏み入れたそこはなるほど惨状だった。
 一番目に付くのは部屋の中央にある大きな机で、みっちり書類が積まれていて今にも雪崩を起こしそうだ。ペンが数本、消しゴム、定規といった文房具類と数冊の雑誌(何かと思えば専門誌である。テレビ番組表ではなかった)、そして新聞が乱雑に散らばっていて、机の横には分厚い書籍が何冊も置いている。

「ほんまに頑張ってるんやね……親分が元気の出るおまじないしたろか?」
「いらねぇ! そういうのが邪魔だって言うんだ!」

 即座に返ってきた返答にしゅん、と落ち込んだ顔を作るも「今回だけはそんな顔したって無駄だからな!」と怒鳴られてしまった。

「ほな、邪魔にならんようにしゃがんで待っとくわ」
「……仕方ねぇな。絶対にすんなよ」
何だかんだと言いながらも追い出しはしないロマーノは、結局のところスペインに甘いのだけれど、その事実に二人とも気付いていないので照れたロマーノが怒ることも、感激したスペインが場の空気をぶち壊すこともなく平和に話はまとまった。そもそも、どうして仕事をしている間、側にいなければならないんだなどと言ってくれる者はここにはいない。
 静かになった室内で、ロマーノは即座に書類へと向き合った。相当、切羽詰まっているらしい。躊躇いもなく紙にペンを走らせ仕事を進めていく。

(普段から真面目にやったらええんやけどなあ)

 事実、ちゃんとしていた時期もあったのだ。ただ、時代が変わっていく中で上手く時流に乗って効率良く生きることが苦手なだけで。努力しても大した成果が得られない。それが不器用で要領の悪いロマーノのやる気を削いでしまっている。
 けれど、今スペインの目の前で仕事をしているロマーノは迷いもなく目の前のやるべきことに集中していた。時々、考え込むことがあってもすぐに雑誌や書籍を捲り、文字を追って何度か頷くと書類に書き込んでいく。溜め込んだ書類は結構な量になっていたが、この調子ではあっという間に終わるだろう。それこそ、明日の朝には解放されてスペインの家へ行けるのではないか。

(……なんか、面白くない)

 仕事を早く終わらせれば晴れて休暇を取れてスペインの家に来れる。そうすれば、いつも通りの年越しだ。一日遅れのクリスマスをやって、街へ買い出しに行き、年末はカウントダウンをしながらぶどうを食べる。家でだらだらと過ごすロマーノを存分に甘やかす準備ならもうしてある。ゲームも買った、見たいと言っていたDVDもある、美味しいワインもフランスから譲ってもらった。
 なのに、普段のやる気のなさからは打って変わって別人のようにテキパキと書類を片付けるロマーノを見ていると、なぜだか胸のあたりがつっかえて、どうにもつまらないような気持ちになってくる。立派に国をやっている子分の姿を見れて良いことのはずなのに、何かが気に入らない。
 当のロマーノは、ほとんどスペインの存在すら空気のように意識していないだろう。一心不乱に手を動かしている。試しにロマーノのスーツの裾を手遊びに引っ張った。あれだけ邪魔をするなと念押しされていたから怒られるかもと思ったが、集中していて気付いてもいないようで、カリカリとペンを走らせる音がやむことはない。
 こてん、と椅子に座っている彼の足に首を寄りかからせてみた。それには、ちらりと視線を寄越すという反応を返してくれたが、じっと上目遣いで見詰めるスペインを見て、はあとため息をひとつ吐いただけで何も言わずにまた書類へと向き直った。なんやねん、それ。

(つまらん……)

 子どもじみた独占欲だ。それは何かにつけてスペインへと呼び付けたり、なかなかイタリアに帰さず何日も引き止めたりするような気持ちと同じ。
 けれど、スペインがそれに気付くことはなく、ただ嫌な気持ちだけが胸いっぱいに広がった。

(邪魔はしたらあかん、邪魔はあかん……)

 わかっているのに、彼の気を引きたくていらぬちょっかいをかけてしまう。さくさくと腿を指先で突ついても、靴を勝手に脱がせてみても、スペインを振り返ることなく仕事のことで頭がいっぱいのロマーノ。何て面白くないのだろう。

「……」
「…………」

 静かすぎて耳鳴りがするようだ。血が流れる音がうるさいぐらいに響いている気がする。二人で一緒にいて、そこまで静かなことも珍しい。一体、ここに来てからどれぐらいの時間が経っただろう。ほんのちょっとだと言われそうだが、ずいぶん長いこと真面目な顔をしているロマーノを見ている気がする。
 スペインのことを見ないロマーノも、怒ったり呆れたりしてくれないロマーノも、何だか違う。

「ふそそー」

 小さな小さな声で呟いた。それはスペインができる精一杯の小さな声だった。自分への励まし、という意味も一応はあったのだけれど、ほとんど構ってほしくて出た言葉だ。
 ロマーノは即座に反応し、鬼のような形相できっと睨み付けてきた。

「すんなっつただろ!!」
「やってやって、ロマーノ構ってくれへんねんもん!」
「だあ! お前、自分の言ってることがおかしいって自覚あるか?! いいから黙ってるか部屋から出てけ!」
「出て行くんは嫌や!」
「だったら黙ってろ!」

 眉を下げて落ち込むスペインに「だからその手には乗らねぇぞ!」と喚く勢いで声を荒げ、バンバンと机を叩く。なるべくその視界に入れないようにしているのか、目を細くして遠いところを見ているのがポイントだ。

「今日という今日は仕事をやるって決めたんだ! 絶対に邪魔すんじゃねぇ!」

 しかし、30分後には再び書斎からロマーノの怒鳴り声が聞こえてくるのだが、それでもスペインを追い出すという強硬手段は取られることなく、何とかかんとか仕事を終わらせ無理やり休暇をもぎ取ったことが、この一年で一番頑張ったことだと後に彼の上司は言う。

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