素直になれないのはお互いさま

 最近、スペインに避けられている。電話をかけてもずっと上の空で俺の話なんか聞いちゃいないし、一緒にいてもため息をつくことが増えた。連絡だけは頻繁にくるけど二人きりになった途端、逃げるように他の奴らと電話をしだしたり部屋から出て行ったりする。そりゃあ、俺と一緒にいたって面白いことなんかねぇんだろうけど、そんなあからさまにされるとさすがにちょっとヘコむっつうか、まあ、ヘコむ。
 最初は疲れてんじゃねぇのかって俺らしくもなく心配したりもした。けど、誰に聞いても特別仕事が忙しいかってわけでもないらしいし、不況の影響にしては様子がおかしい。風邪にしちゃ長引きすぎてるし、何より、あいつが体調悪いのに俺に会うはずもない。
 だから、たぶん、俺が何かやらかしたんだ。
 細かいことにこだわらないスペインは、ケンカをしても次の日には忘れてケロッとしていることがほとんどだけど、何かのタイミングで一度火がつくと引きずるしとにかく後が長い。そういう時は何かしたかって聞いても別にばっかりではぐらかすし謝ったところでなかなか許してもらえないので、俺はただ嵐が過ぎ去るのを待つことしかできないのだ。

「スペイン兄ちゃんが怒ってる? ヴェー、それはないんじゃないかなあ。先週も遊びに行ってたじゃん」

 春物のジャケットに袖を通しかけた中途半端な態勢で振り返ると、馬鹿弟がテーブルに両肘を突いてきょとんとしたマヌケ面で不思議そうに首を傾げていた。出かけ際にスペインの家に行くから飯いらねぇって言ったら、スペイン兄ちゃん元気にしてる? って聞かれて、そんなもん自分で見て来いって思いながらも兄の親切心からわざわざ正直に答えてやったと言うのにこの反応。弟のくせに生意気だ。

「遊びにっつうか、あれはスペインが留守番を頼む相手がいないって困ってたから行っただけで」
「あはは、留守番頼まなくても鍵かけて出かければ良いだけなのに、どうしてわざわざイタリアから兄ちゃん呼ぶ必要があるのさ」

 兄ちゃんも面白いこと言うなあと、ついには笑いだしたこの失礼な鈍感二号をどうにかして黙らせたい。お前が聞いたから答えてやったんだろうが。

「最近、あいつの家も物騒だからな」
「ずうっと一人暮らししてるんだし、物騒って言ったってもっと不安定な時もあったでしょ」
「そりゃあ……」
「何もなくてもおかしいのに怒っている相手に留守番させるなんて普通じゃないよ」

 肩を竦めて呆れた顔をする。いかにも困った奴らだみたいな、そういう顔をされるとムカッとくるけど、まあ確かにそう言われたらその通りで、正直に言うと俺も何で留守番をわざわざ俺に頼むんだとかはちょっとだけ思った。けど、しかし、だがしかし。スペイン相手に普通だとか常識なんて求めてはいけない。元気になるおまじないやでふそそーとか言っちゃって笑ってる成人男性だぞ。常識があったら恥ずかしくてやってらんねぇよ。
 そもそもスペインが俺のことを怒っていたとしてもそんな急に態度を変えて突き放すようなことは、まああまりしない。困っていることがあれば深く考えずに頼ってくるのだろうし、時間が合えば互いの家を行き来する。連絡してくんのだってそのひとつ。もう顔も見たくねぇって思ってたって離れられなくて一緒のベッドで寝てるんだ。これだけ長い付き合いで今さら嫌いも好きもあったもんじゃない。
 やっぱりヴェネチアーノはわかってないなってムッとして黙りこめば、弟も兄ちゃんはわかってないなあと同じようなことを言う。双子でもないのにシンクロってやつみたいで不気味に思って顔を上げたら、眉を寄せて口を尖らせた子どもみたいな表情で、あーあーとわざとらしい声。

「なんだよ」
「わかってないと言うか、鈍いと言うか」
「なんのこと言ってんだ」
「天然だよねぇ」

 さらりと言われたが、それは相当失礼なことじゃねぇか。

「……うっせー、お前とスペインには言われたくねぇよ!」

 これ以上は付き合ってらんねぇと部屋を出た。
 
 
 
 ヴェネチアーノの馬鹿のせいで出かけにバタバタしたために、前もってメールで伝えていた時間よりも三十分ほど遅れてスペインの家に着いた。長い時間をかけてわざわざやって来たって言うのに俺を迎えた家主はぶすくれた顔をしていていかにも機嫌が悪そうだ。別に、会いたかったでー! って、うざいぐらいハグされるのを期待してたわけじゃないけど、やっぱ不機嫌さを隠しもしないその表情に出くわすと心臓が縮こまるし、変に強がってケンカ腰になっちまう。

「遅かったんやね」

 責めるような声色につい悪いのかよって突っかかる。こわいものには強がるってのは、俺にとってはもう癖みたいなものなんだけど、目を細めたスペインが視線を寄越してくるので、ますます縮こまって肩を竦めてしまった。

「別に、何も悪ないよ」

 ほら出た、別に。全然別にって顔じゃないくせに、むしろどうぞ気にしてくださいって言わんばかりのそんな態度で、一体誰が言葉どおりに受け取れるだろう。なんだよそれって捻り出すようにつぶやいた声は、小さかったけどちゃんと聞こえていたみたいで。それに反応したスペインが癇癪を起こした子どもみたいな、そうだ、まさに怒り出しそうな真っ赤な顔で俺のことを睨みつけてくるから(嘘じゃねぇって、先にあいつから睨んできた!)、俺も負けじとカバンを抱きかかえて盾を作り、精いっぱい眉間にシワを寄せて睨み返してやる。俺はお前のことなんかこわくねぇぞ! って威嚇のつもりだったのだけど、なぜかスペインは目元を赤くし口を曲げて変な顔になってチラチラこちらを見た後、はあっとため息を吐いた。

「疲れたやろ? コーヒー飲むか」

 急に話題を変えられたことに拍子抜けして、お、おうと戸惑いながら返事をすれば

「リビング行ってて」

 短く言うと、俺の返事も待たずにそそくさ家の奥へと行ってしまった。ひとり玄関先に残され、そりゃあねぇだろって呆然と立ち尽くす。
 今日は庭の花壇に種を撒くから手伝ってほしいと頼まれた。これも弟からは、今まではひとりでやってたのに何で今年に限って兄ちゃんに手伝ってもらわなきゃいけないんだろうね、なんて言われたんだけど。今になって、ちょっとだけ頼まれごとを引き受けて来てしまったことを後悔している。気まずいのはわかってたことだけど、やっぱこうもあからさまな態度を取られるのは、けっこうきつい。
 暫くそこでぼーっとしていたら、コーヒー豆の香ばしい匂いがしてきた。どうやら、本当にコーヒーはいれてくれるようだ。いくら暖かくなってきたとは言え外へと続く玄関は肌寒い。今さら後悔したってもうどうしようもないので、重いため息を吐いてリビングへと向かった。

 俺がリビングに入ったのと同時にスペインがやって来て、コーヒーカップを渡された。こんな状況でもいつもの癖で隣同士に座っちまうんだから習慣ってやつはおそろしい。

「今日泊まってく?」

 いっそ白々しいぐらいの棒読みに、お前が迷惑なら帰ってやるよって言ってやったらそれが当てつけがましくなっちまったのか、そんなことない! と必死な反論をされた。俺だって気まずい思いをしてまで滞在したいわけじゃないのでそのへんわかってほしかったんだけど、こちらが言い方を間違えたんだから強くは言えず、この空気読めない鈍感一号を恨めしげに睨みつけるしかない。

「いや、俺は別にどっちでも」
「俺もロマーノがええなら、泊まってったらええから」
「そ、そうか」
「……ほな、イタちゃんに連絡しとくな」
「おう、頼む」

 おいおいおいおい! そこは素直になれよってか、お前の良いところなんて馬鹿正直で社交辞令も言えないとこぐらいなんだから、適当に今日は帰りーって言ってくれ。今二人きりとか気まずい以外の何ものでもねぇだろうが! なんて、焦る脳内とは裏腹に口だけは穏便に泊りを決めていて、スペインが携帯の液晶画面に何かを打ち込んでいるのを黙って眺めてる。前々から俺はこの素直じゃない性格で人生の八割は損しているって思ってたけど、今日ばかりは心底、自分のことが嫌になった。ちなみに残りの二割は不器用さで失敗してる。良いことねぇな、本当。

「よし、イタちゃんも出かけるからちょうど良かったって」
「どうせ、いもやろうのとこだろ」
「ははは」

 乾いた笑いが響いて変な沈黙。妙にぎくしゃくしていて落ち着かない。ああ、もうスペイン何でも良いから何か喋れ。空気を壊すってお前の得意技だろ!
 奥歯をギリギリと噛みしめて念じていたら、スペインが、あ、とわざとらしい声を上げる。

「今日は急にごめんなあ。一気にあったかくなってもうて」
「あ、ああ。俺のとこもだ」
「今週中にやってやらんとあかんねんけど、どうしても時間とられへんくって」

 確かにまだ冬は終わらないと言わんばかりの寒い日が続き季節外れの雪まで降ったのに、今週に入って急に初夏のような気温に上がったもんだから、俺も自宅の裏にある畑を慌てて耕したところだ。わかるぞ、わかるとうなずいて見上げれば、明らかにスペインの視線が俺の後ろへと逸らされた。二人がけのソファに隣同士というこの至近距離で、微妙に目が合わない。

「どうかしたか?」
「い、や……」

 じわじわとヨーロッパの中では濃い色をした肌が赤くなっていく。やっぱり、調子が悪いんだろうか。調子を見るために瞳をのぞき込もうと近づいた分だけスペインの背が反って顔を背けられる。逃げられないように肩を掴んだら、ひっと喉奥に擦られたような悲鳴が上がって目を丸くする。

「スペイン?」
「あ、いや、今のは違うくて。えーと……今日、実は話が」

 訝しがって眉間にシワを寄せて凄んでも、こっちを見ないから全然通じてない。

「話したいことが、あって」
「種まきじゃなかったのか?」
「それもやし、聞いてほしいことがあるん」

 いつになく緊張している硬い声にまるで拒絶されているような気になって、耳の奥がキーンと鳴った。ピンと張り詰めた空気は雨降りの夕暮れのように重く、どくどくと痛いぐらい鼓動が響いた。それに苦しくなって表情を歪めたらスペインが目を伏せて、だから、その、と切り出しにくそうに落ち着きなく手遊びを始めたので、俺もつられて視線を下げる。短く切り揃えたまるいツメが視界に入った。

「……わかった」

 何とか絞り出した声はごまかしようのないぐらい深刻な色味を帯びていて、スペインの緊張が移ったみたいに指先が震える。
 だって、こんな改まって言いたいことだぜ。相当、きついことを言われるに決まってる。スペインとこんな感じになったのがいつからかは覚えていないが、少なくとも一二週間の話じゃないし、怒られたくはないけど、いい加減そろそろハッキリさせて楽になっちまいたい。俺は覚悟を決めて唇を結びスペインへと向き合った。

「……」
「…………」

 なぜか、ヘラっと笑顔になったので、そうじゃねぇってイライラしながら下から上目に見上げる。

「言いたいことってなんだ?」

 このまま黙っていてもラチが明かないと踏んで切り出せば、スペインがあからさまに動揺して首を横に振った。

「へ?! い、いやそれは、後でもうちょっと良い時に」
「はあ?」
「泊まってってくれんなら夜でも全然ええし!」

 俺はよくねぇんだ! そんなもん、宣告を引き延ばされて夜までの間を悶々と過ごすはめになるだけだろ。右側の頬がピクピクと引きつって変な形に歪む。

「後ででも良いなら今でも良いだろ」
「いや、こういうのはタイミングとか、空気とかが大事やん」

 どの口が言うんだこのやろー! でも怒られる側のくせにここで怒鳴ってしまったらあとあとが気まずいので、よっぽど言ってやりたいって思ったけど言葉を飲み込んでぐっと我慢する。偉そうなことを言ったあとでダメなとこ指摘されんのって、カッコつかねぇし恥ずかしいから。キュッと口を結んで、もじもじくねくねしているスペインをジトッと見やった。そんなに見つめんといてーだか何だか言っている。
 正直、子どもでもなければ可愛い女の子でもない、立派に大人の男であるスペインがまごついている姿なんか、あんま見たくねぇしちょっとイライラしてくる。もとシャキッとしろよって普段のヘタレを棚に上げて揺さぶりたくなるんだけど、それは瞼を薄く開くことで極力、見ないようにすることで耐えてやった。冷静に考えれば、なぜか耳まで真っ赤にしてうろたえているスペインと目を細めて睨んでいる俺とじゃ、どっちが怒られる側か分かったもんじゃないんだけど、それがスペインだからなっていつもの結論。いいから言いたいことあんなら言っちまえよって脅すように低い声で問いかけた。瞬間。

 リンゴーン ゴーン

 家の中にベルの音が重々しく響いた。それに、せやったと焦ったようにスペインが立ち上がって、ちょっと待っててと声を張り上げ、俺か客かあるいは両方に言った。口出す暇もなくバタバタと玄関へ走って行くので、今度はリビングに取り残される。

「あいつ、ほんと人の話聞かねぇよなあ」

 誰に聞かせるでもなしにつぶやいた声が妙に大きく反響した。
 五分ほどで戻ってきたスペインは、まるでいつもと変わらない調子で、今日は近所の人に頼まれてお使いに行かなきゃいけないのを忘れていたと言い出した。わたわたと、せっかく来てもらったのにごめんと謝罪の言葉を重ねるので、だったらいない間に花壇はやっておいてやるよって言ったら、少し驚いたような顔をする。

「ええの?」
「今週中にやっとかなきゃいけないんだろ」
「ロマーノ……」
「そのほうが効率良いじゃねぇか」

 確かにそこそこの広さのある庭だが、どこぞの英国紳士とは違って凝ったものではない、普通の花壇だ。どれぐらい出かけているのかは知らないが、ひとりでも一日あれば十分終わると見越して頷く。

「そっか、せやな。うん、ありがとう」

 うんうん、と何度も首を縦に振りながら、スペインがようやく今日はじめての笑顔を零す。いつもならば頬ずりして、ロマーノがええ子に育ってくれて親分嬉しいわあ! なんて、大げさに喜ぶところなんだろうけど、まぶたを伏せてけれど勝手に口元が緩む、みたいなそんな顔で、ほんなら頼むでと控えめな声音。調子が狂うけどそれで俺も少しだけホッとして、おう、と返した。

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