ソファに沈み込み、背もたれに肘をかけた態勢でグラスに口をつけた。赤いサングリアが注がれたそれは、アルコールの甘美な匂いがしていた。家主は「ワインはちょお待って」と言ってキッチンへと引っ込んでしまった。おそらくタパスを作っているのだろう。時折カチャカチャという食器がぶつかる物音がする。
つけっぱなしになっていたテレビからは娯楽映画が流れていた。わざわざ映画館まで観に行くことはないだろうと思っていた外国のものだ。美しい景色、中毒性の高いジャンキーな音楽、売り出し中の若い俳優と女優が華麗なファッションを身に纏い、わかりやすく洒落た家を舞台に繰り広げられる恋愛模様。上の空で眺めていた程度だったが、国籍の違う四人の男女が旅先のアンダルシアで出会い一夏を過ごす、というストーリーなんだろうとわかった。それぐらいのわかりやすいものだった。
「お待たせー遅なってもうたな」
間延びした声がかかって顎を上げた。ソファの背もたれから身を乗り出したスペインが、ロマーノの肩越しにテーブルへと皿を並べだした。
ミニトマトとモッツァレラチーズを鉄串に刺したピンチョスとオリーブの酢漬け、きのこと豚肉の胡椒炒めにチョリソのワイン煮込み。小さな皿に盛られた料理が、ローテーブルを埋め尽くしていく。簡単なものばかりとは言え、今の間だけで作るには種類が多すぎる。きっとロマーノが来ると聞いた時から下ごしらえをして用意していたのだろう。ありがたいが、そこまでしくれなくて良かったのにとも思った。どうせ最後にはわけがわからなくなってざこ寝になるのだから、適当につまめるものなら何でも良いのだ。しかしこれはスペインがやりたくてやっていることなので、ロマーノには口出しも手出しもできない。酒の席で凝ったことをするのが好きなのだ、こいつらは。ら、の中には彼の悪名名高い友人達が含まれている。いつもふざけたことばかりしている連中だが、何だかんだと客をもてなしたり騒いだりするのが好きなのだ。
「あ、この映画。面白いん?」
「知らね。つけっぱなしになってたぞ」
「ふうん……俺これあかんわ」
「そうなのか?」
珍しく投げやりな言い方で吐き捨てるように映画への感想を述べたスペインは、再びキッチンに引っ込む。その背中に視線をやると、今度は皿とワインボトルを持って戻ってきた。クリームコロッケ、小イカのフリッターにハモンセラーノだ。彼は今夜どれだけ食べるつもりなのだろう。どれも小さいとはいえ一度にそれだけの皿を持ってくる器用さには感心した。ロマーノとて料理の腕には自信があったが、給仕のほうはさっぱりだからだ。スペインとは器用な男である。少なくともロマーノよりはずっと。
「あーやってもた。コルク抜きどっかやってもうた」
「はっ! どうせ泥酔してなくしたんだろ」
ロマーノの横に勢い良く腰を下ろしながら、手の中でワインボトルを弄ぶ。左右の手のひらで横に振りながら、参ったわー、などとさほど参ってない様子で言っているのでどうするのだろうかと様子を見ていたら、やがてコルクに歯を立てて力任せに引き抜きだした。キュポン、と音を立てて、これまた器用にボトルの口から抜けたコルク。
「うへえ……」
すごいけど、素直に両手放しで称賛できない。そもそもその技術を身につけた経緯を思えば、彼のこれまでの酒の席がどういったものだったか想像できて、あまりのむさ苦しさにうんざりとしたのだ。
スペインはワインを二人分のグラスに注いだ。二つ並べられたワイングラスの内、一方をロマーノの前へと置く。テーブルをグラスが叩く涼やかな音がした。そうしてそのまま流れるような仕草で、自分で置いた皿からオリーブを摘んで口に放り込んだ。親指をペロリと舐めて、うまい、と言う。あまり行儀が良いとは言えないが、ロマーノも人のことは言えないので黙っておく。マナーだ何だというのはここぞという時だけで結構だった。
「あ、この子や。この女の子。スペイン人って設定なんやけどな」
「ああ、なるほど」
道理で一人だけ訛った英語を使うと思った。あまりのわざとらしさに、ロマーノですら首をかしげるほどだった。
「この子が自由奔放な性格で、ほんまもう……彼女おる男にも関係なく迫るし、同性でも良いみたいでめっちゃ引っかき回すねん」
「ぶはっ、マジかよ」
「アメリカが作る映画に出てくるスペイン人っていっつもそうや。ええ加減なやつばっか」
ぼやくスペインには悪いが、ロマーノは思わず吹き出しそうになった。スペインは眉間にシワを寄せて唇を尖らせている。親の眉毛が見てみたいわ、などと文句を言いながら、不愉快であることを隠そうともしない表情を作り拗ねて見せるのがまたおかしくて、声を立てないようにこっそりと笑った。
「あいつ、俺のことどういう目で見てるんやろ。いっつもそんな役ばっかやで。じゃなかったら、嫌味なケチか陽気なアホ」
「あんま外れてねぇぞ」
「どんなやねん」
あまり類似性のない極端な印象だったが、それもまたスペインらしい。それにロマーノだってスペインに対して少なからずそういった印象を抱いていた。
「お前も性別問わずっぽいじゃねぇか」
「どんなイメージやねん! お前この数百年、俺の何を見てきたんや」
「実際気にしねぇだろ?」
「……俺が一度でもそういう意味で遊んでんの、見たことあるか?」
ジトリと細めた目で見られて、思案を巡らせる。
確かに、いかにも奔放そうなスペインが淫蕩に耽るような姿を見たことはなかった。しかしそれはロマーノが彼にとって家族のようなものだからではないだろうか。それにスペインの元で暮らしていた時のロマーノは幼い子どもだった。
「俺はお前にどんな武勇伝があっても気にしねぇぞ。そりゃあちょっとは面白くねぇけど……」
もしも彼に派手な経歴があったならスペインばかりモテてずるいと思うだろう。しかしそれとこれは別なのだ。
普段なら男の恋愛遍歴なんて聞いたって何が楽しいのかと思っていた。しかし一度膨らんだ好奇心は収まりそうもなかった。ロマーノの前では親分然としていて、穏やかな笑みを崩さないスペインが一体どんな恋をするのか、気になりだしたら止まらなくなったのだ。
すぐ隣に座るスペインへとしなだれかかる。彼が持つグラスの足に指をかけて、下から顔を覗き込んだ。
「な、ちょ……ロマーノ?!」
「なあ、スペイン」
狼狽えるスペインに小首を傾げて甘えた声を出す。すると彼は顔を真っ赤にして仰け反った。あからさまに動揺してみせるのが面白くて、つい調子に乗ってしまった。
「あーもう! お前はほんまに……」
「で? 俺の宗主国様はどんな武勇伝をもっているんだ?」
ニヤリ、笑ってみせる。スペインが、うー、と唸りながらグラスをテーブルに置いた。はあ、とため息をつく。ロマーノのワガママを聞いてくれる時の仕草だ。ロマーノは勝利を確信した。
映画のメインテーマなのか、ゆったりとしたピアノ曲が聞こえてきた。物語はいよいよ佳境のようで、男女が絡み合う艶っぽいシーンが続いている。ベッドが軋む音とシーツが擦れる音が、いやに耳についた。
「ロマーノは、俺の恋愛遍歴なんか知って気持ち悪くないん?」
「別に? 気にしねぇよ」
肉親であるヴェネチアーノとは一緒にナンパに繰り出すほどだ。ロマーノは相手が家族であれ、恋愛に関してオープンな性格だった。それこそがラテンの血なのかもしれないが、一方同じラテンの流れを汲んでいるはずのスペインがロマーノにはそれをひた隠しにしているので、あまり関係ないのかもしれない。
「そっか……気にせぇへんのか」
ぼそり、呟いた言葉が上手く聞き取れなくて、え、と聞き返す。しかし不意にスペインに手首を掴まれて、言葉を続けることができなくなった。あ、と思った時にはぐるりと視界が回った。
「ほな教えたろか? 俺がこの数百年、誰を愛してきたか」
目の前には天井を背にしたスペインが、いつもと変わらない穏やかなみどりの瞳を向けてきていた。
「子育てで大事なのは、親の愛と子どもが自立する力を与えることだそうですよ」
「ずっと自分の下で可愛いかわいいではいてくれないってことか」
「そうですね、少しさみしいですが親の手を離れて行くものなのでしょう」
「うんうん、いつまでもうじうじ記念日の度に体調崩しているようじゃいけないってことだね」
それまでマホガニーのテーブルに突っ伏していたイギリスが、フランスの言葉に勢い良く顔を上げて怒鳴った。
「うるせぇ! 言いたいことがあるならはっきり言えよ!」
「あらやだ、俺は日本と話してただけでイギリスに言ってたんじゃねぇよ」
「くそ髭、全身の体毛をむしり取ってやろうか」
「ぎゃー助けて、眉毛ヤンキーが虐待してくるー!」
そもそもパブで飲んでいたらイギリスが自分は子育てに向いていない、と嘆き出したのが発端だった。アメリカとまた何かあったのだろう。知らない間に成長し独立していった彼の本心が理解できないと、ジョッキを片手にクダを巻いた。その姿は全くもっていつも通りだったが、いつもと違ったのは日本がフォローを入れたことだった。
結局イギリスがフランスの胸ぐらを掴んで怒鳴り合いだしたので話は流れたが、日本が椅子に座り直すと同時に、それまで興味なさそうにしていたスペインが身を乗り出す。
「それやったら、イギリスの子育ては成功やったってこと?」
普段は話の本筋を持ち前の天然と鈍感さで逸らしてしまう彼にしては珍しく、日本が元々言いたかったところまで会話を戻した。よく見れば彼も相当酔っているらしく目が充血し顔は赤らんでいる。意識ははっきりしているようなので構わず話を続けた。
「ええ、そういう見方もあるかと」
「ふうん、イギリスがなあ」
「まあ本人たちの受け取り次第ですけどね」
それもそうやなあ、と相槌を打ちながらスペインの視線がふっと宙をさまよった。瞬間的に彼がうわの空になっていることに気が付いて、この会話の内容について何か思うところがあるのだろうことを察する。
子育てといえば彼もまた南イタリアを幼い頃から可愛がっている。イギリスとアメリカとは違い、独立した後も友好な関係を築いていることは日本もよく知っていた。
「ロマーノくんも、しっかり自立していますよ。イタリアくんとよく頑張っていますね」
何かとスペインに頼るロマーノの姿を思い起こしながら、そっとフォローを入れた。アメリカと比べれば自立心が旺盛とは言えないが、彼とて独立した国である。立派にやっているのだからスペインの子育ては失敗ではなかったと、それが言いたかった。
「最近は上手くいかないことが多くてふてくされているようですが、この間も地元で作ったワインを持って来てくださったんです。ようやく世界にも輸出していこうと考えはじめたみたいで、美味しいご飯も教えてくれますし、我が国のみなさまも喜んでいますよ」
美味しいワインができたら自分たちで飲んで消費してしまう、と言っていた頃からは考えられない進歩だ。元々、食にはこだわりのある国だ。自分の得意なところを世界に向けてアピールしていくのは良いことだろう。
まだまだ取り組みははじまったばかりだが、幸先は良いと伝えれば、なぜかスペインの表情は曇っていく。
「せやなぁ。あいつのワイン美味いから、親分なんかあっという間に追い越されてまうかもな」
「す、スペインさんのワインもとても美味しいですよ。デイリーワインとして人気が高いです」
親分としての矜持があって複雑なのか、いつも陽気な彼には珍しいネガティブな発言が放たれ、慌てて励ます。
「うん、日本にはいつも世話になってるなぁ。おおきに」
何だか調子が狂う。やはり相当酔っているのだろうか。
でもなぁ、とぼやくスペインの表情は晴れない。眉を下げ、困ったように笑っている。
「俺は別にロマーノにそうなってほしい思って育てたんとちゃうもん」
はあ、と曖昧に相槌を打つ。
「自立してほしいとか独立してもようやってほしいとか、そんなん全然思ってへん。むしろ反対やもん。ひとりでは生きられへんでずーっと俺に頼ってほしかったのに、何や今は俺おらんでもちゃんとやっとる」
明るく陽気なスペインの印象とは正反対の言葉に、日本は僅かに目を見開いた。
それは深く考えるとあまりよろしくない感情のような気もしたが、すぐにそういうものかと思い直す。誰もがみな、健全で建設的なものだけでできているわけではないのだ。
「でしたら、スペインさんの愛情がロマーノくんを自立させたのですから、結果的に良かったですね」
「そうなんかなあ」
「そう思っておけば丸く収まりますよ」
彼の望みが叶うことはない。それはスペイン自身もよく知っている。だからこそ儘ならないものもあるのだろうな、と思いつつも、日常ではその欲求に蓋をしておくのが良いのだと、低い声でうそぶいた。
あいつのことを少しも見たくない。もうたくさんだ。見たくないから、どうか、出来る限り遠くへやってくれ。イタちゃんと似ているようで全然似ていない端正な、そして愛想のない生意気な顔立ちも、幼い可愛らしさがなくなり男のものへと成長していく体つきも、何をやらせても失敗し上司に叱られるような失態する様も、何もかも、ひとときたりとも見ていられない。あの子の足では戻って来れないぐらいの遠いところ、そして俺が追いかけて行けないような突拍子もない場所へ置いてきてくれ。誰に何と言われたって、もうここにこれ以上置いてはおけないぞ。もう無理だ。オーストリアにでも頼んで連れて行ってくれ。そうだ、オーストリアだ。あいつはちょうどフランスとのことで煩く言っていたから、それが良い。それで良いだろう。
南イタリアについては、どうしようもない子だとしか言いようがない。今まで見てきた子分の中でも一等可愛がって甘やかしたつもりだったが、あんなに手がかかって何も出来ない子は他にいなかった。ローマの孫だからか出会った時から尊大な性格で、小さい手足を組んで偉そうにしていた。お前は一体何様やねんと怒れば、子供らしからぬ冷めた目で見下ろしてくる。扱いにくいわ可愛がり甲斐はないわ、かと言ってスペイン語を覚える気配もなくやる気もない。食事を出せば合わないと泣き喚き、うちの風習に従わせようとすれば癇癪を起こしてまた泣いた。きかん気がなくてワガママで卑屈、要領は取り分け悪いし不器用さは天下一品とくれば、どうしようもないこともわかるだろう。これでもまだ可愛げのひとつでもあれば良いものを、ニコリとも笑わず始終ぶすっとしている。おかげで俺があの子を笑わせるために、どれだけ手を尽くしてきたか知れない。癇癪を起こし手足を引きつらせ泣き喚けばギターを弾いて歌を歌い、さみしそうにすれば膝に上げて抱っこして、いつでもそばにいるよう努力してきた。美味いものじゃないと口にしない贅沢な舌をしているから、必死になって新大陸から持ち込んだ珍しい食い物や南イタリアで採れた野菜なんかを取り寄せたし、かの国の料理に習って少しでもあの子が満足のいくような食事を用意させた。それだけじゃない、俺自らも腕を振るうようになった。パスタもトマトも、あの子を喜ばせようと覚えたし、レパートリーを増やして研究した品々だ。どれもこれも金さえ積めば調達できるというようなものではない。商人に顔をきかせ、人脈ある貴族たちの名を使い伝手を辿って、何の足がかりもない外国にまで出向いてようやくロマーノに食わせられるものなのだ。あの子は未だに俺の作ったもんを他人に聞かれれば、とても食えたもんじゃねぇ、なんてぶっきらぼうに言うが、しかし全然足りないとがっついて何杯もおかわりをするようになった。それもこれも全部、俺がそうやって努力してきたからだ。あの子は本当に不味いものは口にしないし、素材に手を抜けばすぐ見抜く。スパイスやソースでごまかされてくれないから、今日はちょっと良い材料が手に入らんかった、なんて言い訳も通用しない。出されたもんは全部平らげるけど、明らかに落胆した姿を見れば痛々しく、おかわりもしないで、しょげたように食い終わる姿など哀れでかわいそうで仕方がない。だから、やっぱりロマーノをオーストリアにやるのはちょっとだけ不安だ。彼の料理が悪いわけじゃないけれど、ロマーノの味覚に合うものをちゃんと出せるか、あいつにその努力ができるのか、そのあたりは少し疑問が残る。
あの子が不足ないようにするのも大変だ。俺は新大陸で得た利益があったから良かったが、今のオーストリアにロマーノに何不自由ない生活をさせられるだけの力があるのだろうか。俺ならばロマーノに関しては常に良いものだけを与えるようにしてきた。上等の服を着させて良い芸術にふれられるよう最高の環境を整えて、部屋は常にピカピカに磨いていたし、ペンも紙も十分過ぎるほど買い与えて、たくさんの本を読ませるようにしてきた。オーストリアだってイタちゃんにそれなりのものをふれさせるようにしているのだろうが、俺と同じようにちゃんとできるのだろうか。ロマーノは与えれば与える程うつくしく成長する。最後にイタちゃんに会わせた時は、オーストリアも感心しきってほうっとため息を吐いて、ずいぶん発育が良いのですね、と驚いていた。芸術家たちがこぞってモデルにしたがるような彫刻のように完璧な整った顔だち、きめ細やかな肌、肉が削げてきて細くなった顎に切れ長の目。笑わなくたって怒っていたって、いつだってきれいなロマーノのうつくしさは彼が元より持っていたものに加えて俺が手入れしてきたものだ。彼がどんな表情をしていたって、何をしていたって見とれるほどきれいなのは、あの周りに純粋なものしかないからだ。ずっとむかしから楽園を目指して遥かな大地を目指したりパティオを造ったり、享楽に興じたりしたことだってあったけれど、今ならばわかる。ロマーノのいる場所が楽園なんだと。あの子が天国で、天使で、かみさまだ。たとえ笑顔を見せなくたって、何かキラキラとしたものが南イタリアの中にぎゅっと閉じ込められていて、怒ったり拗ねたりぶすくれたり、その度にくるくると表情を変えれば何よりも輝いて俺を惹き付けた。一日中だって見つめていられる。毎日飽きもせず、あの子の中のひかりだけ見とれていたい。
ああ、それなのに。それなのに、あの子は俺を裏切った。あんなに手をかけていたのに甘やかしてきたのに、こっぴどく、それも一番最低なやり方で裏切ったのだ。俺に決して似ることのないあの声も、しなやかな筋肉に成長期特有の骨格がアンバランスさを醸し出す様も、そのわりに幼さを残す子供の表情や仕草による色気も、何もかも全部、もはや今の俺には毒にしかならない。滑らかな陽に焼けた肌は夜ごと誘惑するように真っ白のシーツの中を泳ぎ、日に日に緑みの強くなる瞳がじっと潤んで夜闇の中で瞬く。茶色の中に黄色の色素が沈殿したアンバーの目は光によってくるくると色彩を変え、俺の視線に気付くと一際色濃く輝く。それがダメだ。何てひどい話なのだろう。この世で一番神聖で純粋なものが何よりも魅力的で、抗いがたくも得体の知れない轟惑に満ちているだなんて。そうして俺に囁きかけてくる。あの手この手で誘いかけ、混乱させ、理性を奪い去ろうとしてくる。
だからロマーノを一刻も早く俺から遠ざけてくれ。この手が何かをしでかす前に、あの子が自力で帰って来れないぐらいの遠くで、俺が追いかけられないような突拍子もない場所へ。そうして、この身の内にいる悪魔から世界を遠ざけてくれ。
「新しいiPhone買うねん」
「ふうん」
「もっと俺に興味持って!」
「ようやくパカパカ携帯も卒業か」
「ロマやってiPhoneにしてから一年も経ってへんやん」
「うっせーこの一年の差はでかいんだ、このやろー」
「親分のは最新やで!」
「5Sか?」
「ちゃうちゃう、5やで」
「……俺のと同じになっちまうぞ」
「ロマーノのは4やろ?」
「違ぇよ、5だよ。去年の秋に買ったんだよ」
「え、じゃあ俺が買うのは6?」
「まだ出てねぇよ!」
「せやんなあ。やからロマーノが4で俺が5やろ?」
「お前には4か5しかねぇのかよ! 5Sがあんだよ!」
「???」
「何だよ、その『ロマーノ何言ってんのやろ、携帯のこと難し過ぎてわかってへんのとちゃうかな』って目はよぉ!!」
「親分、プロイセンに聞いて頑張って覚えるからロマーノに使い方教えたるな」
「うっせぇ! 俺はわかっているみたいな顔がむかつく!」
「兄ちゃん、早く行くよー……って、スペイン兄ちゃんも。どうしたの?」
「あ、イタちゃん! これからメシ行かん?」
「ごめんね、これからドイツ達とご飯なんだあ」
「なんやあ」
「兄ちゃんも」
「……行きたくねぇ」
「もう! まだそんなこと言ってるの? 兄ちゃんのためにiPhoneの使い方教えてくれるんだから、ほら」
「……」
「兄ちゃん!」
「あ、俺も一緒に行ってええ?」
「何で? スペイン兄ちゃん、パカパカ携帯じゃなかったっけ?」
「あ、いや! 今度新しいiPhone買うねん」
「え、そうなんだ」
「こいつ5Sと5の区別がつかねぇから、俺のiPhoneのこと4だっつって聞かねぇんだよ」
「え、兄ちゃんって4だっけ?」
「5だ」
「だよねぇ。去年買ってたもんね」
「えーじゃあやっぱり俺が買うやつは6?」
「だーかーら!」
「ああ、なるほど。えっとね、スペイン兄ちゃんのは5.5だよ!」
「えっ」
「えっ」
「だから、兄ちゃんのが5でスペイン兄ちゃんが今度買うやつが5.5だよ!」
「い、嫌やー! 何か嫌やー!」
「ぶはっ、ざまぁ!!」
「.5って嫌やー!」
「良いじゃねぇか、俺のより新しいぞ」
「そやけど、それやったら6が良かったっちゅうか……!」
「……イタリアの兄はいつになったら支度ができるんだ?」
「ケセセ、スペインがそばにいる間は無理だろ」
オチなどない。
「今お時間ありますか? 良ければ一緒にお茶でもどう?」
ずいっと目の前に突き出された花束は赤色一色。この国においてバラは決して珍しい花ではなかったが、両腕いっぱいの大きなブーケにして持って来られるとさすがに圧巻だった。
「いいえ。あんたと話をする時間なんて持ち合わせていませんだ、このやろー」
しかし差し出された花束を押し返してそっぽを向いた。腕を組んで拒絶の姿勢を取るが、男は簡単には引き下がらなかった。
「良いジェラートを出す店を知っていますよ。エスプレッソもここらでは一番美味いんだ」
「そうですか」
「ね、笑ったら可愛いって言われませんか?」
「あいにく、あんたみたいにヘラヘラ笑って生きているわけじゃないんだ」
「それはもったいない! 周りの男たちは何をしているんだか」
「……」
「少しだけで良いんだ。俺なら必ず笑顔にしてみせますよ」
気障なイタリア語に気障な口説き文句。次は天使が天国から逃げ出して来たとでも続くのだろうか。嘆息しつつ目の前の男を睨め付けて、できる限りそっけない声をつくった。
「人を待っているんです」
だからあっちへ行けと手のひらを翻すが、逆にその手を取って両手に包まれた。まるで大事なものを扱うように握りしめられて、瞳を覗き込まれる。無邪気な少年のように、みどりの瞳をかがやかせていた。
「一時間以上もおまえを待たせる男なんかより、俺のほうがずっと見てました。ね、俺を選んで……?」
囁いてくる低い声に眉をひそめた。一体どの口がそんな言葉を吐くのやら。だから思いきり顔をしかめて毒づいた。
「……待ち合わせ時間からは二時間過ぎていますが?」
「……ロマがここに来たのは一時間前やろ?」
「うっせー、何の茶番だよ。俺はベッラをナンパしてジェラート食って帰るんだよ」
さっさと手を離せ、と乱暴に手を振り払った。意外にあっさり離れたが、すぐに肩に腕を回される。
「そんなつれなくせんといてや」
「先に言うことあるんじゃねぇのか」
「遅れてごめん、ロマーノ。怒らんとって、あとナンパは絶対せんといて」
「どさくさに紛れて無茶ぶり入れてくんじゃねぇよ」
連絡もなしで二時間も遅れてくるこの男に合わせて、約束の時間より遅れて出かける癖がついたことをスペインは知っているのだろうか。ご機嫌取りに花束を買って来るぐらいなら、一秒でも早く駆けつけてくれれば良いのに。
はあ、とため息をつくと、すっと目を細められる。
「ほんまにごめんって」
「もういい」
「遅れたことじゃなくて」
「?」
行き交う人の目を盗むように唇を掠め取られて目を見開く。驚き見上げれば、一瞬スペインが考えるようなそぶりを見せた。
その後に紡がれた言葉に、彼の思惑通りに怒るはめになるのだ。
「俺を待っているおまえが可愛くて、ずっと花屋の前から見とった。一時間も前からベッラにも目もくれず待ってくれとったんやね」

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助教授×学生パロ
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