SSS

屈服したつもりもない

2017.11.06

※暗いのと念のためのR15。
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彼の絶対的な領域で

2017.07.10

 今になって思えばカッコをつけていたのだとわかる。若い頃のスペインは大して必要のない時でも、よくマントを羽織っていた。後にロマーノもまた同様の憧れを抱くようになるのだが、当時はまだ幼く、彼の心情もあまり理解していなかった。ただ幼いロマーノは度々スペインのマントの中に潜り込んでいた。その多くは身を切るような冷たいからっ風を避けたり、苦手なドイツ兵から隠れたりと自分を守るためであったが、スペインも積極的にロマーノを招き入れた。泣き虫なロマーノが妙な意地を張らずに思いきり泣けるようにと、わざとその身を隠してくれることもあった。
 特に故郷が恋しくて涙を流している時は必ずそうしてくれた。
 遠い自国を思って泣く時のロマーノがスペインのそばを離れ、こっそりと泣いていたからかもしれない。人目を避けて声を上げることもせず、ただやりきれない切なさに喉を震わせる子どもを彼がどう思っていたのかは知らないが、幼いロマーノが持て余し気味の郷愁に胸を詰まらせていると、どこからともなくやって来てそうっとロマーノの体をマントの中へと覆い隠したのだった。
 スペインは決して慰めなかったが、よく歌を聞かせてくれた。意外なことに彼の歌は哀愁がある。聞いていると一層苦しさが込み上げてくるのだが、ロマーノはそれが嫌いではなかった。互いの体温が伝わるほどぴったりと寄り添って、彼のマントに包まれながら感じるさみしさは不思議と優しく、孤独なロマーノの心を穏やかにした。
 だからだろう。ロマーノにとってスペインのマントの中は落ち着ける場所でもあった。分厚い布に阻まれて光の届かぬやわらかな闇とスペインの体温、何より絶対的な安心感が好きだった。これ以上に安全な場所を探すのは難しいと幼心に思っていた。
 
 
 
「なんやあロマーノ。イタちゃんと遊んどったんちゃうん?」

 キョロキョロと隠れる場所を探していたロマーノにスペインが声をかけた。オーストリアは庭にでも出ているのか、そばにはいない。これ幸いと彼の背を覆う濃紺のマントを引っ張った。

「スペイン、ちょうどいい! おまえちょっとじっとしてろ!」
「え、ちょ、どこに……」
「いいか? 俺がここにいることはあいつにはぜったい言うんじゃねぇぞ!」

 そう言って彼のマントの中に潜り込んだ。
 程なくして弟のヴェネチアーノがやって来た。

「スペインにいちゃん! にいちゃんはみなかった?」
「イタちゃん、どないしたん? 一緒に遊んでたんちゃうん?」
「うん、あのねーかくれんぼしているの!」
「あーなるほど……」

 ようやく得心したスペインが感心したように声を上げた。目の前にいる幼い国の化身は、スペインのマントの中に隠れている兄を探しているのだろう。ロマーノも考えたものだ。いつもは家具の影やカーテンの裏に身を潜ませるばかりなので、ヴェネチアーノもそうそう思い至らないかもしれない。

「ロマが見つからんかったらイタちゃんはどうなるん?」
「あのねぇ、ごふん以内にみつからなかったらしょうしゃの王冠をあげるんだあ」
「勝者の王冠?」
「そう。ぼくがシロツメグサであんだやつ!」

 先ほど庭で大人しくしていたが、どうやらそれを作っていたようだ。おおかた上手く作れなかったロマーノが、素直に弟のそれを欲しがれなくてそんな条件を押し付けたのだろう。
 容易に想像できるその光景に、知らず知らずのうちに頬が緩む。ロマーノのわかりやすすぎる強がりが最近のスペインには微笑ましかった。それは幼いヴェネチアーノにもわかったらしく、誇らしそうに胸を張った。

「じいちゃんの王冠みたいに上手にできたんだよ」

 ニコニコと笑うヴェネチアーノを見て、スペインはどうしたものかと悩まされるはめになった。
 ロマーノの居場所を教えるのは簡単だが、この可愛らしい勝負をそんな無粋な形で終わらせて良いとも思えない。もちろんヴェネチアーノが自力で見つけ出したなら構わないのだ。ただスペインが水を差してはいけないような気がした。

「それはええなあ。せやけどごめんな。ロマーノの居場所を教えられへんねん」
「そっかあ。うん、わかった! にいちゃんのことは自分でさがすよ」
「ロマーノは隠れんぼが上手いから頑張ってな」
「うん! じゃあね、スペインにいちゃん。ありがとう!」

 立ち去るヴェネチアーノを見送って、スペインは自身の背後を探った。マントの中でごそごそと身じろぐ気配がする。ほうっと息をつくロマーノにこっそりと笑った。このまま見つからんかったらええな、そう思いつつも、律儀に隠れんぼが終わるまでじっとしていたのだった。
 
 
 
 不意にそんなことを思い出したのは、久しぶりにスペインがマントを身に着けていたからだ。ハロウィンの仮装に彼が選んだのは、いわくのよくわからないゴーストのものだった。

「昔っからそういうの好きだよな」
「惚れ直した?」
「直すってなんだ、直すって」
「せやかてロマーノも騎士好きやろ?」
「ばっ……! う、うるせぇよ!」

 過去のあれこれを思い出して慌ててスペインを黙らせる。この男はロマーノのことをよくよく思いやってくれるが、些かデリカシーに欠けるのだ。

「つーかそれって騎士なのか?」

 聞いても的を得ない返事しか返ってこない。元よりスペインがまともに説明してくれるとは思っていないので、彼の仮装が何かを知ることは諦めて話題を変える。

「昔はよくお前のマントの中に潜り込んだよな」
「せやなあ、あん時のロマーノほんまむっちゃ可愛かったわあ」

 あの時がどの時を指しているのかはわからないが、スペインはニコニコと楽しそうにしている。良かったな、とそっけなく返しても、ほんまになあ、と笑うばかりだ。

「まあ俺が昔から可愛さにあふれているのは当たり前のことだけどよ」
「うんうん、今からでもマントの中で隠れんぼしてええんやで」
「……誰から隠れんだよ」
「イタちゃんが月桂樹でほんまもんの王冠作ってくれるかもしれへんやん!」

 シロツメグサの王冠も似合っとったけどな、そう微笑むスペインをじろりと睨んで、へんっと鼻で笑う。隠れんぼの勝者になったロマーノがヴェネチアーノに被せてもらったシロツメグサの王冠を一番喜んだのはまさにスペインだった。その時のことでも思い出しているのか、でれっと顔を崩している。

「さすがにこの図体じゃあ隠れきれねぇよ」

 あの頃のスペインは若いとは言え、既に青年期に差し掛かっていた。それに引き換えロマーノは幼く、まだほんの小さな子どもでしかなかったので、マントの中に潜り込むなんてことも容易に叶ったのだ。今ではさすがに体勢的に無理が生じる。それだけロマーノも成長した。

「何言うてるん。むしろ今のほうがこのマントも活躍するやろ」
「はあ? ハロウィンの仮装以外で何に使うんだよ」
「そりゃあもちろんロマーノを隠すためやん」

 常々、子ども扱いされていると思っていたが、まさか彼の中では未だロマーノは幼い子どものままなのだろうか。ぎょっとして見上げると、スペインがニッと笑った。それが先ほどまで浮かべていた優男のような笑みとは違い、やんちゃな少年のようで一瞬反応が遅れる。ぽかんと呆けたロマーノを見逃さずに、スペインはマントの裾を引き寄せるとバサリとロマーノの頭から被せた。

「うわ、ちょ、なにす……ッ!?」

 突然暗くなった視界に慌てて布を振り払おうと腕を上げるが、すぐさま手首を掴まれる。びっくりする間もなくスペインの気配が間近に迫って息を呑んだ。と、同時に唇にやわらかなものが押し当てられる。

「……ふ、ぅ……ン」

 ちゅ、と一度吸い付いたそれはすぐに離れて、角度を変えて再び重ねられた。咄嗟のことで抵抗もできずなすがままになっていると、腰を引き寄せられる。スペインの分厚い胸板が押し当てられる。
 はるか昔、ロマーノをあらゆるものから守り慈しんだスペインの絶対的な領域の中で、幼い頃の記憶からは程遠い熱に浮かされる。唇は何度も寄せられては離れ徐々に深くなっていった。やがて簡易的な暗やみに慣れた目が僅かな光を頼りに目の前のスペインの姿を捉える。彼は保護者の顔でも親分の顔でもない、ただの男のそれを見せている。
 なぜ急にこんな展開になったのだろうと考えていると、よそごとに気を逸したロマーノを窘めるかのように噛み付いてきた。僅かに熱を持ち始めた下唇を甘噛されて思わず鼻にかかった声を漏らす。

「ん、ぁ……スペ……っン」

 今さらマントの中で隠れんぼをするはめになるとは思わなかったが、これもロマーノが成長したからこその行為だ。甘んじて受け入れながらそうっとスペインにしなだれかかる。

「ん、っは……なあ、ロマーノ」

 ちゅう、と音を立てて離れていった唇が耳元に寄せられる。ぴったりと引っついた体は熱く、彼が熱を持て余していることを容易に知れた。

「ハロウィンの後、うちに来ぉへん?」

 低い声がロマーノの耳をくすぐる。それに肩をすくめながら、ロマーノは喉の奥を鳴らして頷いた。

Fly Me to the Moon

2017.03.02

 元々スキンシップは多い性質だった。加えて大切な子どもが卑屈になるような暇など決して与えまいと、この数百年間、感情はなるべく率直に伝えてきたつもりだ。可愛いと感じたら大げさなまでに表現して、好きも大切も彼の心へと真っすぐに届くように。
 まさかそれが仇となる日が来るとは思わなかった。

「ロマーノ、好きやねん」
「おう、それがどうしたんだ?」

 首を傾げるロマーノは意地悪さも照れも見せずに真顔で返してきた。俺の一世一代の告白を、ただただ不思議そうに聞いている。本気で言われた言葉の意味をわかっていないらしい。

「どうしたって……えーと?」
「いや、お前珍しく真面目な顔で話があるって呼び出してきただろ。さっきから顔色が悪くなったり赤くなったりで、やっと口を開いたら……その、ほらさっきのやつ」
「ロマが好きやねん」
「それだ。何事かと思ったじゃねぇか」
「はあ」
「話ってのはよっぽど言いにくいことなのか?」
「言いにくいっていうか……」
「まあ俺の機嫌なんか取らなくても、お前とは長い付き合いだからな。今さらたいていのことじゃ驚かねぇぞ」

 ありがとうございます。
 じゃなくて。

「だから、ロマーノが好きやねん」

 三回目ともなれば気負いなく口にできた。そういうところも駄目なのかもしれない。さっきの、口にしたら嫌われるかもしれないけど言わないでいたら死んでしまうかもしれないぐらいの緊張感と切実さがなければ、こういう気持ちは伝わらない。あったところで伝わらなかったのだから。

「そうか。それで?」
「……それで、とは」
「だからどうしたんだって聞いてんだよ、俺の話聞いてんのかカッツォ」

 取ってつけたような悪態を聞き流して、爪の先ほども伝わっていない俺の感情を反芻する。ロマーノの質問はかなりの難題だった。1+1がなぜ2になるのかの証明を求められているような気分だ。

「例えばな、俺が太陽のかけらを手に入れられたら、この心を照らしてお前に見せたいんよ。そうしたらロマーノの世界も俺と同じように、キラキラと輝いているみたいに見えると思う。俺の言うてる好きは、そういう感じの好きやねん。……俺にロマーノの世界を変えさせてほしい」

 昔から自分の内側を探るのは苦手だった。それでもいつになく一生懸命になって、心の中にあるロマーノへの気持ちと向き合い、丁寧に丁寧に言葉にしていく。口にしながら自分でも、ああ、そういう感じの好きやったんやあ、と驚いた。ロマーノに告白すると決めた時の必死さとは裏腹に、妙に穏やかな感情だ。そういう優しい気持ちになれるから、俺はロマーノのことを愛しているのかもしれない。
 真っすぐにロマーノを見つめると、ロマーノは視線をずらして俯いた。唇の端が僅かに持ち上がって、はにかんだような表情を見せる。

「な、何言ってんだよ……恥ずかしい奴だな」
「うん、俺も今気づいたところもあるねん。言葉にして初めてわかることもあるねんな」
「……そうかよ」

 ロマーノが乱暴に首の後を掻く。照れた仕草が凶悪なまでに可愛くて、俺はすっかり舞い上がってしまった。

「ん、でも……その、……あ、りがとよ……俺も、お前のことは嫌いじゃねぇぞ」
「ロマ……」
「でもお前が俺の世界を変えたんだから今さらだぞ、ちくしょ。昔っからてめぇは親分ヅラばっかしてきやがって」

 ああ、雲行きが。

「でも、お前のそういうおせっかいなところも悪くねぇって言うか……また養われてやっても良いと思っているぞ」

 ふふん、と腕を組んで居丈高に笑うロマーノの無邪気な言葉は、今までにも再三繰り返されてきた言葉だ。毎回、鈍感なふりをして聞かなかったことにしている言葉。それは何も養いたくないという意味ではなくて。もちろんそんな余裕があったら、俺だって一も二もなく迎え入れているのだけれど。
 ああ、それでも! 状況が違ったなら今すぐにでも家においでと言ったかもしれない。それが俺に永久就職したいっていう意味ならば!

「アメリカの奴、稼いでいるわりにケチくさいんだよ。掃除しろとかメシを作れとか、普通の仕事ばっかさせやがって。やっぱスペインが一番だな。馬鹿弟も全然頼りにならねぇしよ」
「うんうん、親分はカルボナーラよりもロマの作ったアラビアータのほうが好きやなあ、こう……小悪魔的な感じで。刺激的やし、むっちゃ可愛え味がするわ」
「可愛い……? ふ、ふん! そこまで言うなら今晩作ってやらなくもねぇぞ! 感謝しろよ! ちくしょーめ!」

 一体今のどこに照れる要素があったのかは謎だが、ロマーノが流されてくれたので良しとしよう。
 しかし、そんなことより、こうも言葉を尽くして伝えても伝わらないなんて。そっちのほうが一大事だ。日頃から鈍感だ鈍感だと言われてきたが、もしかして俺の鈍さがロマーノにも感染ってしまったのだろうか。だとすれば責任重大だ。ただでさえイタリアにシエスタを覚えさせたと白い目で見られるのに、この上、鈍感とまできたらドイツに何を言われるかわかったものじゃない。
 いや、でも言い訳をさせてもらうならば、ロマーノの場合は元々そういうところがあった。聡いようで妙に察しが悪い時があるのだ。

「……んー、一体どうすればわかってくれるんやろ」

 歌を歌えば良いのだと、昔誰かが言っていた。その話が本当ならば、俺はすでにロマーノには歌を捧げている。ギターを搔き鳴らしてロマーノのために歌い上げれば、いつも頭突きをお見舞される応援歌だ。
 うーんうーん、しばらく唸って考える。
 直球もダメ、情感たっぷり詩的に表現してもダメ。だとしたら。

「…………なあ、ロマーノ。俺の手を握ってほしいんやけど」
「手? ……何でだよ。何か企んでいるのかよ」
「ロマーノのことが好きやねん」
「さっき聞いた」
「そう、せやから手を握って」

 訝しげな顔をしたロマーノが盛大に眉をひそめる。それを下から覗き込むように見つめていたら、俺がひかないことを悟ったのか、渋々といった風に手を差し出してきた。
 手の甲を向けて突き出された右手を取って引き寄せる。さほど抵抗もなくロマーノの身体が俺の腕の中に収まった。

「何だよ急に」
「うん、あんなロマーノが好きやねん」
「……今日はいやにしつこいな」

 右手でロマーノの背中を支えて、左手でロマーノの右手を掴む。足を一歩踏み出して彼の両足の間に踏み込めば、密着した身体からふわりと香水の匂いが漂った。

「そんでな、キスしてほしいねん」

 ロマーノの目が見開かれる。
 このまま月まで連れて行って、一緒に星の間を遊んでいたいような。そういう、今のロマーノには思い浮かびもしないようなことなんだ。俺の好きっていうのは、そういうあり得ないような類の好きなんだ。
 どうか伝わってくれ。

「つまりな愛しているってことやねん」

やっかいばらい

2017.02.06

「はあああ……今日も何とか耐えたけど、ほんま毎日いい加減にしてほしいわ。……一体いつ俺は殺されるんやろか」
「何だい、スペイン。勇ましいこと言っちゃって」

 ノックはもちろん気配すらなかったが、唐突に声をかけられても驚くことはしなかった。精神がすり減っていて、ひたすらに想い続けてきた彼のこと以外に心を動かす余裕が、今は全く欠片も残っていないのだ。
 ソファに座り無造作に開いた膝に肘を突いて頭を抱えた姿勢のまま、視線だけ上げて扉の方を見やる。予想通りフランスが右肩を壁に寄りかからせて立っていた。その端正な顔立ちを下世話な笑みで歪めて、腕を組んでいる。そうしていると女性受けの良さそうな整った顔が一気に軽薄なものになるのだが、もったいないなどとは言ってやらない。スペインにとってはそれこそがフランスの本質だったし、それにフランスだってスペインにそんなことを気にかけられたくはないだろう。

「生きるか殺されるかだなんて物騒じゃん。どうせロマーノのことでしょ」
「フランス……」
「お前らってまだ付き合ってないんだっけ?」

 答えなんてわかりきっているのにわざわざ聞いてくるから嫌になる。それを確認することで打ちのめされるスペインを見て楽しんでいるのだ。本当に趣味の悪い隣人である。
 スペインがこんなに想っていても、まるで気持ちに気づいてくれない子分とどちらが残酷だろう。

「当たり前やろ。ロマーノが俺のこと好きになるわけないやん」

 殊更きっぱり口にしたのは、人から言われるよりは自分でもよくわかっていると認めたほうが傷が浅く済むからだ。この期に及んでプライドを守ろうとする自分の浅はかが少し笑えた。

「ないかどうかは知らないけど、」
「ないんや」

 余計な期待を持たないよう続く言葉を遮って否定する。

「あいつは昔っからほんまに無防備なんや。そらそうやんな。こぉんな小ちゃい頃から面倒見とった親分相手に、今さら何の警戒がいるねん。リビングでくつろいでたら肩に寄りかかってきたり、俺の前ではひとりで歩けへんぐらい酔っ払ったり……挙句さあ寝ようと思ったら裸でベッドに入ってくるんやで。そんなん、気持ちのある男相手にすることちゃうやろ」

 後半は自分に言い聞かせていた。

「親分やと思っているからこその距離なんや」
「へーよくそんな状態で聖人気取っていられるね。据え膳ってやつ? でもそんな我慢しているからロマーノだってお前のことを親分と思うしかないんでしょうに」
「……俺やって男や。しゃあないやろ」

 彼の信頼を裏切っているのだと暗に責められたような気がしてため息を吐く。
 あの子から親分としか思われていないことはよくよくわかっているのに、未だ未練がましく想いを断ち切れなくて日々理性をすり減らしている愚かさと、そのくせ恋心が美しいだけでは済まされない邪悪さには頭を抱える。それでも、みっともなく叶わぬ恋を嘆くわけにもいかない。だから開き直るしかなかった。

「懺悔なんかしても足りへんのはわかっているけど……」

 言外に、お前も男ならわかるだろう、と含ませたつもりだが、意外にもフランスは優しげな眼差しを向けてきた。

「……何やねん」
「いやあ、お前の不器用さが一周回って可愛く見えてきて。俺もノロケを聞かされすぎて焼きが回ったんだな。このまま胸焼けで気が狂う前に決着をつけてほしいところだ」

 何て? 誰が可愛く見えたって? 気色悪いことを言うなと顎をしゃくるが、続けられた言葉はさらに難解なものだ。誰が何のノロケを言ったって?!
 怪訝に眉をひそめる。しかしフランスはスペインのことをからかうつもりはないようで、妙に穏やかな表情をしていた。それはそれで同情されているみたいで非常に居心地が悪い。

「大事すぎて手を出せないってか。そこまで拗らせちゃうと大変だよねぇ、いろいろ」
「出されへんわけとちゃうよ」
「そーぉ? でもまあわからなくもないんだよ。お前ってば、辛抱堪らなくて襲いかかっても、何やかんやでロマーノが泣いたらやめそうだもんね。甘いって言うかさあ」
「……せやから、そんなええもんちゃうねんって」
「だから大事すぎて手を出せないんでしょ」

 本当にそんな大層な話ではない。
 結局のところスペインの性質がそういう風にできているだけだった。毎日毎日、息を潜めるようにロマーノへの恋心を押し隠して何とか一日を耐えきっているように思えるし、時々本当に堪らなくなって強引なことをしてみたくもなるのだが、その実、実際にはロマーノに何かを強いるような真似なんて絶対にできないのだ。あの子の眉が少しでもひそめられることが耐えられない。嫌われたくないし、そもそも傷つけたくもなかった。それはスペインの恋とは関係のないところでだって、いつだってそうだ。だからこそ、いつも核心に触れられそうになると無理やりはぐらかして、彼には随分と呆れられている。

(……せやけど俺が勝手にやったことに、あの子が負い目を感じる必要もないやんか)

 それをヘタレと言われればそれまでなのだけれど、そういう愛し方しかできなのだから仕方ない。

「それに無理やりどうこうする趣味はないねん」
「はーほんと器用なんだか不器用なんだかわかんないよね」

 フランスが、はあっとため息をついた。それもまたいろいろな人から何度も言われてきた言葉だ。スペインは自分のことを要領が良いとも悪いとも思っていなかったが、周りからの評価によれば器用貧乏らしい。
 顔を上げているのが限界だったので、膝の上で組んで腕の中に埋めた。まるで打ちのめされたボクサーみたいだ、なんて他人事のように思いながら最近は毎日のように感じている精神的な疲弊に浸る。一体いつからロマーノのことを愛してしまったのだろう。何度も反芻するが、どうしても思い出せないのだ。

「……だよな、っておい、聞いてんの?」
「…………聞いてへんかった。もっかい言うてや」

 自分の思考に悪酔いしていたせいで、熱心に語られるフランスの言葉も聞き流してしまった。平然と二度目を要求したが、彼は嫌がるそぶりも見せずにもう一度はっきりと口にしてくれた。それはスペインに聞かせたいからだろう。決して逃げを許さないように。これ以上、自分の目の前で無粋な両片想いなんて見せつけてくれるなと釘を刺すように。強い口調だった。

「なんであいつも誘っているって思わないのかなあ。お前の中でロマーノってそういう子なの? 親分相手にベタベタ甘えるタイプなわけ?」

 どうやら随分と馬鹿馬鹿しい話をしているらしい。

いつまでもこどもじゃない

2017.01.22

 ロマーノは怒っていた。全身の毛を逆立てて、血液が沸騰し逆流するような激しい怒りを抱いていた。その顔は険しく、琥珀色の瞳は狼のようにギラギラと輝いた。周囲を威嚇していることには気づいていた。向かいから歩いてきた人たちが、厄介事に巻き込まれないようにと足の向き先を変えるのが見えたからだ。だからと言って怒りが収まるわけもなく、むしろ募る苛々をどこかにぶちまけたかったのでわざと足音を立てて床を踏みつけた。
 ロマーノの怒りは激怒と言って良いだろう。しかし彼は友のために走ることはなかった。政治がわからないのは事実だが、結婚を控えた妹もいないし、邪智暴虐の王を殴ったわけでもない。正義感によって覚えたりもしない。そもそもロマーノは国だから、処刑を命じられることはないだろう。もしもそんなことを言い出す王がいたら、その残虐さよりも愚かさについて責めなければならなかった。ロマーノだってそんな上司は嫌だ。どうせならロマーノが何もしなくても国内を富ませてくれるような立派な上司が良いのだ。そう、ありていに言えば、馬鹿な上司より利口な上司。誰だってそういうものである。有能なトップがいて自分たちは何も考えずとも流されるままでいたい。弟のヴェネチアーノが聞いたら、まずちゃんと仕事して! と泣き出しそうな持論を脳内に展開して、どうにか理性を引き寄せようとする。
 唯一の救いは飛行機が予定時刻通りにローマ・フィウミチーノ空港へと降り立ったことだろう。快挙だ。幸先の良さに思わず口端を釣り上げた。本人は満足げに微笑んだつもりだが、端から見れば皮肉げで良からぬ類の笑みである。売店の店員が頬を引きつらせたが、ロマーノは構わなかった。空港に着いたその足でスーパーマーケットへと向かう。足を向けたのは市内の中心地、地元民が利用するごく日常的な店だ。規模が大きいわけでも小さいわけでもなく、取り立てて特徴もないような……。平日の午前中だから、客はまばらにしかいない。かっちりとしたスーツを身に纏い、早足で歩くロマーノは場違いだった。実際、店に着いた彼は異様なほどに浮いていた。しかしロマーノだけは何の迷いもなく店内を進む。目的は決まっていた。
 ロマーノは怒っていた。怒りの原因はスペインにある。元宗主国で自称親分のあの男は、今現在、恋人でもあった。わざわざ口にして言わなくても自然に囲い込んめば良いものを、変なところで融通が利かないあの男は、言わなければズルいから、というだけの理由で思い出す度にこっ恥ずかしくなる愛の告白とやらをかましてきた。ロマーノだって断る理由はなかったので、羞恥にどうにかなりそうだったものの何とか頷いて恋人として付き合うことになったのが今からおよそ一年前。そこからが焦れったいぐらいに発展しない。キスはするくせに強く抱きしめてこないし、ロマーノが擦り寄ると大げさなまでに避けようとする。
 彼が何を恐れているのかなんて、ロマーノに想像できるはずもない。だが、こういうことははっきりさせたい、と言って関係を恋人に軌道修正したのはスペインのほうなのに手を出すこともしない、ロマーノからのアクションも許さないなんてどうかしている。馬鹿にされているのではないかと思った。
 だからロマーノは昨夜、彼に突きつけた。今すぐ俺を抱くのか、それともセックスのひとつもできないくせにどうして恋人になろうとしたかを説明するかどっちか選べ、と。それに対する彼の答えが、これだ。

「いやいやそんなん、ロマーノとしたいに決まっているやん! やって俺めっちゃロマーノのこと好きやもん! せやから、あー、恋人らしいこともいっぱいしたいねんで……? でも今日は……ゴムとかないし……、そんないきなりはできへんよ!」

 ヘタレかよ、クソ野郎。

 あまりに腹が立ったので、ロマーノはとりあえず眠ることにした。ここで怒鳴ってもしょうがないだろう。一晩寝て、頭の中がすっきりしてもまだ腹を立てていたら行動を起こす。そう決めてベッドに入ったが、目覚めた時には眠る前よりもより一層怒りが増していて噴火寸前だった。ロマーノのとなりでスペインが間抜けな顔で寝こけていたせいかもしれない。それで雑な書き置きを残して、今朝ひとりでイタリアまで帰ってきたのだ。
 思い出すと再び苛々が込み上げてくる。タイミング良くスラックスの尻ポケットに収まった携帯電話が二回震えた。差出人を見ればスペインだ。小さく舌打ちをして画面を開き、内容を読んで理解する前に返事を打った。パチン、勢い良く折りたたんでポケットに戻す。
 いくつか曲がり角を曲がって店内を突っ切る。“それ”を手に取るのは初めてだったが、どこにあるかは知っていた。ピルが一般的なこの国では、あまりポピュラーとは言えない避妊具だ。それはスペインでも似たような事情だろう。だからこそ品質はあまり良くなくて、価格も高め。いつだったか日本が、アジアではこちらのほうが一般的で……、と言っていたのを思い出す。そのあたりの事情については今度詳しく聞くとして、今は国内で流通している少々割高の品で妥協するしかない。どのみちロマーノが使うものじゃない。彼が質の悪さをどう味わおうと知ったことではないのだ。
 無造作に箱をひとつ手に取ってレジへと向かった。肩で風を切りながら颯爽と歩いて行く。レジは空いている時間だったから、半分以上が封鎖されている。空いているひとつに並んで、キャッシャーの上に商品を置いた。ふとレジの側にあったキシリトールのタブレットが目について、それも掴む。一緒に差し出せば無愛想な店員が眉を僅かに上げた後、バーコードを読み取っていった。いくら、と言われてスーツのポケットでくしゃくしゃになっていたユーロ札を渡した。支払いの時に金を投げる男が嫌いだ。それでも勢い余って押し付けるようになってしまったのは否めない。悪い、言いかけて口を噤む。相手も口ばかりの謝罪は望んでいないだろう。程なくして釣り銭が返ってくる。袋はいらない、と辞退して商品と一緒にスラックスのポケットに突っ込んだ。
 時計を見れば、スペインを飛び出してから三時間が経っていた。あと一時間もすれば、あの男もロマーノを追ってイタリアにやって来るだろう。外で話し合いなんてしようものなら、人前でみっともなく喚き散らしてしまいそうだ。それで足を自宅に向けた。弟と暮らしているほうとは別にある、ローマ市内のアパートだ。スペインに合鍵を渡しているのもその部屋。

『お前の言いわけは聞き飽きたから、俺に手を出す気があるなら家に来い』

 メールを打って自宅に足を向ける。彼が部屋に来たら、さっき買ったコンドームの箱を投げつけてやるつもりだ。
 スペインが家に来たら、なんて仮定で考えているが、ロマーノには確信があった。彼は慌ててロマーノを追って来ているだろう。できれば今までのロマーノとの関係に罪悪感を覚え、背徳に怯えながら神様に懺悔するのは飛行機の中で済ませておいてほしいが。ついでに寝起きでそのまま飛び出して来ただろう彼に、キシリトールのタブレットを噛ませたい。キスの前のオーラルケアはマナーだ。
 なので、情けなくも眉を下げて心なしかげっそりとした顔をのスペインがロマーノの部屋にやって来た時、ロマーノが行ったスーパーマーケットと同じ店の袋を下げていたのには予想外で、思わず笑ってしまった。

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