だって君が好きだから!

 フェリシアーノの反応はごく普通のもので、きっと同じ学科の学生やアントーニョよりも偉い教授、誰に相談したって同じことを言うだろう。ロヴィーノだって、一年まではそう思っていたのだ。実際、あのようすでは大学に寝泊まりしているのだろうし恋人もいなさそうである。かと言って大学内でも女性絡みの浮いた噂はとんと聞いたことがない。
 わかってはいるけれど、例えば自身の講義の最後にロヴィーノだけを指名して残らせ、後片付けを手伝うよう言われると、やはりどうしても身構えてしまう。

「え、と……俺だけですか?」
「うん、そんなにやることないから」
「あー……」
「大丈夫やで、すぐ終わるから。ほな、みんな解散ー」

 ロヴィーノの返事も待たずに勝手に話をまとめてしまい、アントーニョは講義の終わりを告げた。待ち兼ねていたとばかりに昼休憩へと飛び出して行く学生たちの騒ぎに、ロヴィーノの声は掻き消されて断れなくなった。どういうわけだか、ロヴィーノはアントーニョを上手くかわせたことがない。相手が先生だから、と言う気負いがあるせいか、気が付けば場の空気に呑まれ、思っていることもはっきり言えないまま手伝うことになるのだ。

「悪いなあ、このコマで知っとるのロヴィしかおらんねんもん」

 一般教養の選択科目になっているためか、この授業は文系学科の生徒が受講していることが多い。ロヴィーノと同じ学科の者たちにとっては似たような授業が必修科目であるから進んで受けることはないのだ。ロヴィーノだって、アントーニョが勧めるから選択しただけ。

「片付けって、座学なのに一体何をすればいいんですか、このやろー」
「いろいろあんねんって。後で昼飯奢るやん」
「け、結構です。弁当持って来てるし」
「弁当? ええなあ、フェリちゃんが持っとるの見たことあんで。せやったら研究室で一緒に食お」

 やってしまった。それならまだ人目のある食堂のほうが安心して食事ができたのではないだろうか。
 ロヴィーノが全身で警戒しているというのに、アントーニョは全く気にしていないのか気付いていないのか、何かと研究室に呼び付けるし一緒に食事だの何だのと誘ってくる。

「ロヴィーノ、ガード固いからなかなかご飯一緒できへんしなあ」

 ははは、と笑うけれど、こちらとしては笑い話にならなくて困る。頬が引きつって硬直している間にも、アントーニョはテキパキとプロジェクターのコードを抜いてパソコンの電源を落とし、講義で使った資料をまとめていく。

「……ガード固いって、女子に言うんじゃねぇんだから」

 ぶつぶつ聞かせるわけでもないひとり言をつぶやいて俯きながら、手持ち無沙汰になって机の端を指でなぞった。そういう言い方をするから嫌なんだ。好意的に見れば研究一筋でやってきて人との距離の取り方が少しずれているだけなのだろうけれど、そうは言っても男から言われたところで気持ち悪いだけだ。
 顔を顰めて机を睨んでいたロヴィーノだったが、ふと、講義室が静かになったことに気が付き顔を上げた。

「ど、どうかしましたか?」
「ううん、何も。あ、その本とって」

 アントーニョが妙に真面目な顔をして、じっとロヴィーノのことを見ていた。実験する時のような観察をする目だ。さっきのひとり言に引っかかったのかと気まずくなって、言われた通りに無造作に置いてある本に手を伸ばす。

「……っ!」

 咄嗟に声を上げて殴りかかりそうになるのを止める。アントーニョがロヴィーノの脇の下から腕を回し、本を取ろうとした手の上から握り込んできた。背中に感じる人の温度、耳にかかる生ぬるい吐息。近すぎる距離に全身が強張る。

「あはー、ありがと。早よ、ご飯行こ」

 しかし、何かを言うよりも前に、すっとロヴィーノの手の甲を撫でて離れていった。

 手伝いという名目で残したくせに、結局、ロヴィーノは中に何も入っていないんじゃないかというぐらい軽いカバンを一つ持たされただけで、他の仕事は与えられずに研究室まで行く。こちらの都合も聞かずに当たり前のように昼食を一緒にすることを決めたアントーニョは機嫌が良さそうで、弾む足取りでロヴィーノの前を歩いている。
 最近、こういうことが増えた。
 妙な言い方でロヴィーノに迫るような真似をしたり、食事に誘ってきたり、さっきのように必要以上に引っ付いてきたり。しかし、それはただ単にアントーニョが、気に入った生徒に対して少しばかりスキンシップが激しいだけ。ロヴィーノは同性からベタベタされたくないと思っているから、そのために意識をし過ぎているだけなのではないかと言われればその通りなのかもしれない。

(俺が変なのか……?)

 友人があまりいないから余計に気になっているのだろうか。本来は親しい間柄ならば、同性同士でも抱き付くぐらいは普通なのか。胸の中を立ち込めるモヤモヤとした気持ちが晴れないまま、講義室のある新棟から研究棟へと移動する。

「そう言えば、ロヴィ。来年のゼミは俺のとこやんなあ?」

 パソコンやプロジェクター、授業で使用する資料の束を両腕に抱えたアントーニョが嬉しそうに言った。

「楽しみやわあ。研究もやけど、今年はゼミの子らで旅行行ってん。ロヴィも一緒に温泉、めっちゃええわあ」
「いえ、まだ決めてなくて」
「え、なんで?!」

 廊下の真ん中で立ち止まって勢い良く振り向き詰め寄られた。

「ロヴィーノの専攻やったら当然うちやろ?」
「いや、まあ」
「就職のこと気にしてるんやったら推薦も出すやん」
「えーと」
「院も行くやろ?」

 ロヴィーノの返答も待たずに矢継ぎ早に問い詰められ、近くまで迫った顔から少しでも離れようとのけ反る。

「いや、まだ大学院に決めたわけじゃ。文系就職も、考えてて」
「……なんで」

 いつも陽気な彼には珍しく低い声だった。むっと拗ねたように唇を尖らせ、じとっと目を細めている。癇癪を起こした子どものようなその表情は初めて見るものだった。

「なんでって」
「ロヴィ、要領悪いし文系なんて向いてへんよ。求人も営業がほとんどやし、そういう人と会う仕事苦手やろ。だいたいゼミやってめっちゃ厳しいんやで? 論文書きながら就活に専念できる文系の奴らに敵うと思ってるん?」
「う、それはその……、その」

 ロヴィーノ自身も不安に思っていたことを指摘され言葉に詰まる。言われなくたって自分に向いているとは思っていない。文系の就職を考えているのならば、今から真剣に動いたほうが良いとはわかっているが、結局決めかねているのは家族からも学費のことは気にせずに大学院に進学したら良いと勧められていて、それを突っぱねてまで就職する自信がないからだ。教授や助教授にまでそう言われれば、途端にロヴィーノの心は萎む。

「やから、うちに来たらええやん! わからんことあったら教えたるし」

 黙り込んで目を泳がせるロヴィーノの不安を読み取ったのか、アントーニョはニコニコと屈託ない笑顔で手を叩き、話をまとめると「決まりやー」とそれがとても素晴らしいことであるかのように言った。

「後で教授には俺から言っとくし」
「え、」
「何か問題あるん?」

 あるなら納得できるよう説明しろ。小首を傾げてやんわりと、しかし簡単に引き下がる気のない意思の強さで見つめられて、そこまでの思いをもたないロヴィーノは流されるまま「……ありません」と頷くしかなかった。

 去年までアントーニョは博士過程にあったから、教授の研究室に籍を置いていた。院生やゼミ生達が入り浸る広いその研究室に行けば、親しい同級生がいなくても周りの目を気にする必要もなく昼食を摂れるので、入学してすぐのロヴィーノもよく通っていた。ほとんど毎日のように顔を合わせていたせいか、いつしか研究生だったアントーニョから構われるようになった。自分の祖父ほど年の離れた教授とは違い、年齢の近いアントーニョと親しくなるのに、そう時間はかからなかった。
 ロヴィーノが彼に対して警戒するようになったのは、アントーニョが助教授へと就任してからだ。授業や研究で、不器用なロヴィーノが何か失敗する度に、嬉しそうに「しょうがないなー」とフォローする。その度に体を触ってくるのが、最初はあれ、と思う程度だったのに、どんどんひどくなっていって今では気になってしょうがない。

(女っ気もないってのが、また)

 引っかかる原因の一つなのだろう。いつだったか、研究室にいる学生たちに恋愛話を振られ、真顔で人を好きになったことがないと答えていた。その時は、やっぱり恋人は微生物なのかと笑い話になったのだけれど。

「ただいまー」

 アントーニョの研究室には何人かの学生がいて、カップ麺を食べながらレゴブロックで遊んでいた。二人きりを恐れていたロヴィーノはその姿を見て脱力する。教授の研究室に通い詰めていた頃の面子とそう変わらない顔ぶれに、何か納得してああ、と思った。

「先輩、なにしてんすか」
「よお、ヴァルガス久しぶりだなー」
「教授のとこでも最近、見ないから死んでるのかと思ったぜ」
「ロヴィはお前らと違て忙しいからな。そんな積み木やっとる暇ないの」
「カリエド先生、積み木じゃなくてレゴですって!」

 アントーニョの言葉の何が受けたのか、先輩たちが大声で笑って盛り上がっている。

「何でもええやん。ロヴィ、カバンそこに置いとって」

 言われた通りに荷物を置いた。
 自分の机で何かごそごそやっているアントーニョを放っておいて、ブロックを広げている机の隣の島に座り、弁当箱を広げる。今朝、弟が作ってくれたそれは、中身が色とりどりで華やかだ。

「それがお弁当?」

 ロヴィーノの背中にのしかかってくる。大型犬に背後から襲われように情けない声を上げて、離れるように訴えるが、当のアントーニョは「うまそうやなあ」と聞いちゃいない。

「重いんで離れてください」
「えー、ええやん。あ、ミニトマトちょうだい?」
「……どうぞ」

 首に腕を回され頬が引っ付くほど近くでニコニコと笑っているアントーニョの姿に、ロヴィーノは強くは拒否せずに弁当箱を差し出した。が。

「あー」

 なぜか口を大きく開き、ロヴィーノに何かを求めている。

「だから、どうぞ」
「あー」
「……食べさせろと?」

 伝わったのが嬉しかったのか、満面の笑顔でこくこくと頷く。弟相手ならば甘えたこと言ってるんじゃねーと突っぱねたのだが、同じように返しても良いものかと悩んで硬直する。動きを止めたロヴィーノに焦れたのか、口を開けっぱなしにしているアントーニョが再び催促するように「あー」と声を上げた。

「……はい」

 渋々、ミニトマトを摘まんで口の近くまで持っていってやる。期待に満ちたきらきらした目で見詰められた。背後から抱きつかれている状態でしっかりと距離感を掴めないが、それでもその唇には絶対にふれないようにと恐る恐る身を捩り指を近づけていく。
 しかし、ロヴィーノの努力は虚しく、アントーニョはその指ごとミニトマトを口の中に入れた。

「な、て、てっめ……!!」

 思わず地が出て怒鳴りつけそうになったが、ロヴィーノが声を上げる前に指を離し「ごちそーさん」と告げられる。男に咥えられた己の指を見て気が遠くなった。

「うまーい、やっぱロヴィーノのトマトは特別やんなあ」

 うっとりしたようにほうっとため息をついて体に腕を回した抱きすくめる。呆然としていたせいで反応が遅れたのがいけなかった。

「な、ちょ っと、やめろってば!」

 回された手が不穏な動きで腹と胸の辺りを撫で回していく。さすがにこれは悪ふざけの域を超えているとロヴィーノが怒って声を上げた。しかし、それに対してきょとんとしたアントーニョは、一瞬後にはニヤニヤと笑って「なんて?」と返す。

「なんでって、こんなベタベタベタベタ触るなんて、せ、セクハラだぞ!」
「えーちゃうよー。俺ロヴィのこと好きなだけやもん」
「てっめ、だったらなおさら気色わりぃからやめろ!」
「ロヴィってばひっどいなあ。なあなあ、俺ってセクハラー?」

 隣の島で盛り上がっていた学生たちにわざとらしく声をかける。何のことだと顔を見合わせている彼らに今のやり取りをかい摘んでアントーニョが説明する。

「ロヴィーノが俺のことセクハラやって言うねん」

 それを聞いた先輩たちが、アントーニョに抱きすくめられているロヴィーノを見て状況を把握したのか、ああ、と頷いた。

「確かにカリエド先生ってセクハラっすよねー」
「ヴァルガスかわいそー」
「なんでなんで! 可愛がってるんやん」
「ははは! だってもう手付きが」
「訴えられない程度にほどほどにしといてくださいよー」

 冗談だと受け取られたらしい。全員が腹を抱えて笑いだした。「困ったことがあったら先輩たちに相談しなさいね」と軽口を叩かれ、からかわれたと知ったロヴィーノが顔を真っ赤にして睨むも、それも冗談だと取られて真剣に取り合ってくれない。

「んもー失礼しちゃうわーあ、てか次の時間大丈夫なん?」

 アントーニョの声に学生たちも時計を見て、「あ、次コンピューター棟だから遠いんだった」と言って荷物をまとめ、あっという間に机の上を片付けていく。

「それじゃ、先生。またあとでー」
「お疲れ様ー」

 その間もアントーニョはロヴィーノを離すことなく、「遅刻すんなよー」と送り出した。

「俺も」

 学生が去って二人きりになった研究室は静かで、居心地悪くなったロヴィーノはアントーニョの腕の中から逃げ出そうと身じろいだ。

「なあ、なんで俺のこと避けるん?」

 突然、真剣味を帯びた声色で耳元で囁かれる。気付いていたのか、と動きを止め身を固くした。

「避けてなんか」
「今年の始めぐらいはようここに来とったのに、最近は教授のとこにも行ってへんらしいなあ」
「図書館とか、用事があって……」
「なあ、みんな俺とお前やったらどっちの言うこと信じると思う?」

 いきなり何を言っているんだと振り向こうとしたが、後ろからがっしりと腕を回されているため体を動かせず、首を僅かに上に向ける。頭の上から覗き込んでくるアントーニョのみどりの瞳が楽しそうに細められている。

「ロヴィーノが何言っても、さっきの連中みたいに笑われるだけやで」

 だから余計なことを考えるなと、悪意のない無邪気な眼差しで傷口を抉るように言う。

「なんで」
「やってロヴィーノのことが好きなんやもん」

 理解できなくて限界まで瞼を見開いたロヴィーノの頬に、優しく手の甲でふれてくる。眼球だけを動かしてアントーニョを見詰めると、うっとりしたように微笑んだ。

「すぐ真っ赤になるところとか怖いくせに強がって意地張ってるとことか、ほんま可愛いし、ちょっと仲良うなったら困ったような目で俺のこと頼ってくるの、堪らんわ」

 背筋をぞわぞわと嫌な寒気が這い上がっていく。限界まで目を見開いて信じられないものを見るようなロヴィーノに、首を傾げてアントーニョが、好きと繰り返した。

「せやから、携帯の番号教えて?」
「……やだ」
「ゼミやったら担当教授に教えなあかんのやで」
「お前言ってることむちゃくちゃだ」

 もはや先生に対する言葉遣いなんて気にしている余裕もない。しかし、言われたアントーニョはと言えば気を悪くした風でもなく「なんで?」ときょとんとしている。

「俺のこと好きって言ったり、こんなベタベタ引っ付いたり、嫌って言ったら先生ぶるのおかしいだろ」
「やって、どれも本当のことやで?」

 俺はお前の先生でーロヴィーノのことは好きでー、何もおかしくないだろうと言い切るアントーニョを見ていると、散々振り回されるばかりだったロヴィーノもふつふつと怒りが湧いてきた。

「なんででもだ! す、好きなら相手のこともちょっとは考えろ、このやろー!」
「相手のこと? ロヴィーノのことはめっちゃ考えとるよ! それが好きってことやろ?」
「ちげぇよ。俺の都合を聞け、嫌がることはすんな!」
「え、俺のこと嫌なん?」
「ったりめーだ! 離せ、あと先生の立場使って脅すんじゃねぇ!」

 えー、と声を上げて回した腕の力を緩める気もないアントーニョの顎に頭突きを入れる。不意打ちにびっくりしたのか、「いたっ」と大げさな声を上げてひるんだ隙にその腕の中から抜け出し、怒りに任せて高らかに宣言する。

「てめーは、ちょっと研究以外のことを知ったほうがいいみたいだな」

 もはやどっちが先生で生徒なんだかわからないその態度に、アントーニョがまたも意味がわからないと首を傾げたが、この救いようのない研究馬鹿をどうにかしなければ自分の貞操が危険だと燃えるロヴィーノは怒りこそすれ、その指を引っ込めることはなかった。

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