コインランドリー

 アントーニョと会う時はいつも雨だったが、彼からは不思議と日向の匂いがした。太陽が暖めた土の匂い、あるいは瑞々しい草木の匂い。よく笑う男だったから、その印象がなおさらロヴィーノにそう記憶させたのかもしれない。
 彼はスペインからの移住者で、観光客相手にガイドをしたりイベントで司会などをしたりするのが主な仕事らしい。それは三回目に会った時に彼が勝手に喋っていったことなのだが、妙な馴れ馴れしさや人懐こい笑顔はそれで身に付けたものなのだろうか。あるいは、生来そういった性質をもつ者によってこの国の観光は成り立っているのかもしれない。
 いつも明るいアントーニョだったが、その日は珍しく静かだった。

「よう」
「……あーロヴィ、久しぶりやんなあ」

 長椅子に腰掛けて思い詰めたように俯いていたが、ロヴィーノから声をかけられて顔を上げた。緩慢な動作でいかにも元気がなさそうだ。よく見れば目の下にはくっきりとした隈が刻まれていて、疲弊した頬は力ない。

「ど、どうしたんだ?」
「えーなにが?」
「元気がないぞ」
「何でもあらへんよ」

 アントーニョの座っているところから一人分空けて荷物を置いた。それをちらりと見やって、無意識にかため息を吐く。一体どうしてしまったのだろかと気にしながら洗濯機に服を放り込んだ。

「女にでもフられたか?」
「いや、まだフられたわけじゃ……」
「なんだ、ほんとに女のことか」

 スタートボタンを押して振り返ると、うぅっと言葉を詰まらせしおしおと黙り込んだ。人のことは言えないが、恋愛沙汰でこうも落ち込んでいる男というものは憐れだ。女の子なら、慰めてやろうと思えるのに、ただただ鬱陶しいとしか思えないのだから。

「ロヴィ、彼女とは上手くいっとるん?」

 気弱になっているのか、助けを求めるような弱々しさでロヴィーノを縋るように見上げてくる。すっかり憔悴しきっているそのようすに調子が狂うのを感じながら、しかし、正直に言うのも癪で曖昧に濁した。

「俺のことなんかどうでもいいだろ。お前、大丈夫なのかよ」
「どうでも良くはないんやけど……俺、もうここ一週間ぐらい寝れてへんし、ご飯もろくに食べれてへんねん」
「そりゃあ重症だな」
「せやねん、重症やねん……」

 力なく項垂れるので最後のほうは聞き取れなかったが、もごもごともうだめだ、といったようなことをつぶやいている。やはり人のことは言えないが、たかが一つ二つ恋が終わったぐらいでこの世の終わりのように嘆くなんて、どうなんだろうか。

「せやからロヴィ、助けてや」

 そのまま絵画の主題にでもなりそうな、あるいは映画の主人公として成立しそうなぐらい落ち込んでいる彼に名前を付けるなら「恋に敗れた男」なのだろうか。しかし、ロヴィーノがいくらイタリア男で、先日、大失恋をして漸く平静を取り戻しているところだと言ったって、彼の傷は癒せないだろう。

「俺にどうすることもできねぇよ」

 正直に言えば傷付いたような顔をする。非情だって? けれど、ロヴィーノにはどうすることもできないのだ。仕方がないから立ち上がり、彼から少し距離を取ろうとした。離れて見れば何かわかることがあるかもしれない。

「あ、待って!」
「うわっ」

 しかし、腰を浮かしたロヴィーノの腕をアントーニョが掴んだせいで足が縺れて倒れこみそうになった。転ぶ、そう覚悟した。目の前には洗濯機と乾燥機。あれに頭をぶつけるのは痛そうだ。瞼をきつく閉じて身を固くしたその時、右肘を引かれた。

「あっぶな……!」

 慣性に従って後ろへと倒れ込む。背中には柔らかい感触。そこで漸く事態を把握した脳が警告を出して、心臓はばくばくと胸を破りそうなほど煩く脈打ち始める。

「きゅ、急に掴むからだぞ、このやろー!」
「そんなん言うたって」

 離せと言うつもりで後ろにいたアントーニョを振り仰いだ。アントーニョはアントーニョで、この期に及んでまだ暴れようとするロヴィーノを窘めようと口を開いたのだが、吐息すらふれ合うほど体が密着した状態で、目と目がかち合って途端に言葉が出なくなる。
 今時、そうないような蛍光灯の青白い光が黄色の壁に反射し、二人に強い影を落とした。窓もないからここはいつも薄暗い。彫りの深い瞼が瞬きをする度に、きらきらと輝くみどりの目が黄色みを帯びてロヴィーノをじっと見詰めた。
 アントーニョの第一印象は最悪だった。馴れ馴れしくて間が悪くて、いちいちデリカシーがない。ロヴィーノは恋人にフられたばかりで、彼もまた失恋しそうになっている。

「ロヴィーノ」

 先に沈黙を破ったのはアントーニョだった。だから、これはアントーニョが仕掛けたことだ。
 呼びかける声にからかうような色はなかった。鼻にかかった甘い声、それ以上の言葉はいらない。躊躇いながらもその瞳を覗き込むように顔を近付けると、いつの間にか後ろに回っていた手のひらが恐る恐るロヴィーノの首の後ろにふれようとしてくるので、そっと体の力を抜いてその手に身を委ねた。
 ロヴィーノが寄りかかってきたと知るとアントーニョも遠慮がなくなったのか、そうすることが当たり前のように慣れたようすで唇を寄せてきた。緩慢な仕草で首を傾け近付いてくるのを、ぼうと眺めていた。キスされる、その距離で一度動きを止めて非難めいた視線を投げてくるから、漸く瞼を落とす。
 その乾燥していて分厚い唇は、決して女性のようには柔らかくなかったが、ロヴィーノが今まで探し続けてきた足りないパーツのように馴染んで合わさった。意外とぬるくてロヴィーノよりも温度が低い。
 ロヴィーノがキスをする時は一度合わせてから何度か啄んで、徐々に深くしていくのが常なのだが、アントーニョは始めから離さないとでも言うようにしっかりと首の後ろに回した手で抑え付けて、全部食べてしまうような激しさで求めてきた。

「……っぅ、はっ」

 息を吸い込む音が静かな店内に響いた。しつこく音を立てて吸い付いてくるので、胸に手を突っぱねて間を作り、少し唇がずれたその間に息を吸い込む。けれど、息継ぎの間すら惜しいのかロヴィーノが離れようとするのを力づくで押さえ込まれ、左手が頬にふれてきて二度三度、優しく撫でられた。その手のひらの熱に油断して力を抜くと、急に力を込められ無理やり顔を傾けさせられる。薄く開いた隙間から舌がねじ込まれた。
 ロヴィーノが苦しげに喘いでもやめてくれる気はないようで、性急に舌のざらざらとしたひだを擦り付けられ、粘膜と粘膜がふれ合う。漏れる吐息と唾液の混ざり合う音が静かな店内へと響いた。
 酸素を求めて隙間を作ろうと後ろへと身を引くロヴィーノと、それを追いかけてくるアントーニョとで段々と後退していって、しまいにカツンと乾燥機に後頭部をぶつけた。逃げ場を失ってずり下がっていくと、自然、キスを交わすのに顎が上向きになった。後ろに回されていた手がロヴィーノの耳へとふれる。
 耳殻をなぞり耳たぶを摘まむ。そのうぶ毛を一つひとつ確かめるようなふれ方にぞくぞくと鳥肌が立った。耳の裏へと移動した指先がもったいつけて撫でてくるので性感を刺激された。

「はっ……ぁ」

 いよいよ息苦しくなってきて頭の中が真っ白になる。重たい瞼を無理やりこじ開け薄目を開くと、目の前にあったアントーニョのみどりの目がこちらを見ていた。人には目を閉じるように促しておいて、観察するようにまじまじとこちらを窺うアントーニョに、相変わらず空気の読めない奴だと眉を寄せた。
 半分浮かされたままの意識が途端に白けてしまって抗議の意を込めて睨み付けた。いったん離れろと視線に乗せて、しつこく絡み付いてくる舌に軽く歯を立てた。
 けれど、そんな態度をどう取ったのか、アントーニョはやめるどころかむしろ興奮したようすで、目をすっと細めてロヴィーノに覆い被さり荒々しく肩を掻き抱いた。背が弓なりにしなって息苦しさに呻く。声すら良かったのか、きつく抱き締めて唇をぴったり合わせてくる。
 焦点のぶれる視界に映ったもえ上がるようなみどりの目は、ギラギラと輝いていてまるで怒っているようだ。間近で見詰めているロヴィーノのほうが怯みそうになったが、かと言ってここで逸らすのも悔しくて挑みかかるように睨み上げた。

「はっ、……あかんて、ロヴィ、それは」

 大げさな音を立てて吸い付いて漸く離れていった唇で、ほとんど吐息のような低い声でアントーニョが囁いた。力が抜けたロヴィーノがだらりと腕を垂らして視線だけを持ち上げると、目は合わせたままシャツに手を入れてくる。了解も得ずに傲慢にロヴィーノの背をまさぐる熱い手のひらに、ぶるりと身を震わせた。
 背骨を辿るように擽られて肩が大きく揺れた。感じた衝撃をやり過ごそうと目をきつく瞑る。すると行き過ぎようとした手が意思を持って同じところに戻ってきて、再びゆるゆると撫でていく。続けざまに肩を跳ねさせたロヴィーノを見て、アントーニョが唾を飲み込む生々しい音が聞こえた。
 瞼を開こうとするとロヴィーノの顔の横に頭を倒し、その首筋に吸い付いてくる。チリッとした痛み、続いてぬるぬるとした舌に舐め上げられる。
 お世辞にも掃除が行き届いているとは言えないコインランドリーの室内の一番奥、窓もない狭い角の乾燥機に押し付けられ、二人して床に座り込んでいる。飄々としていたアントーニョが忙しなく呼気を荒げてロヴィーノの首に熱い息をかけてくる。

「くっ、……ぅ」

 抑えた声が喉の奥で噛み殺しきれずに漏れ出た。右手の甲を口に当てる。ロヴィーノの首筋に吸い付いていたアントーニョが、ボタンを外しながら鎖骨、肩、脇と降りてくる途中で、ちらりと見上げてきたが、与えられる快楽と自身の羞恥に溺れて息継ぎもままならないロヴィーノに何も言わず先へと進んだ。
 言葉もなくシャツは肌蹴させられ、ベルトを抜かれる。荒っぽい仕草は余裕がないようだ。時々、肌を固い爪が掠めていく。その度に非難めいた声を上げて抗議したが、肩を押さえ込まれ宥められ、あっという間に下着の中に手が入り込んできた
 既に立ち上がりかけていたロヴィーノの自身に指をかけられる。つつ、と形を確認するように撫でられて目を見開いた。自分以外の男にそこをふれられるなんて初めてのことだったが、それでも不快感はなかった。

「ぅ、あ っ……ンぅ!」

 抑えようとした声が自然と上がった。頬がぴたりと引っ付けられているせいで、耳元に唇が当たり彼の荒い呼吸が聞こえてくる。
 それを握り込まれて腿に力が入り、びくと体が跳ねた。飛び上がった膝が彼の股間に当たるが、気にしていないのか、むしろロヴィーノの足に擦り付けてくる。
 そのままゆるゆると手を動かされてビリビリと痺れるような快感が走った。

「ぁ……ぅ、ん」

 膝に当たったそこは硬くなっていた。ジーパンを履いているので随分ときついことになっていそうだった。アントーニョのベルトに手をかけ解放してやろうとしたが、態勢的に上手く力が入らなくてカチカチと金属が鳴るだけで、なかなかベルトを抜けない。そんなロヴィーノに焦れたのかアントーニョも身を起こし、一度ロヴィーノから離れると自身のベルトを外してジーパンと下着をずり下げ、そそり立った性器を取り出した。根元を支えなくてもしっかりと立ち上がっているのが嫌でも目に入る。
 はっと息を吐いてロヴィーノに口付けてきた。同時にそれをロヴィーノの性器に擦り付けてくる。アントーニョがそれらを一まとめにして右手で包み込んだ。

「ぅ、あ……!」
「はっ、あ」

 互いに吐息に混じって薄く空いた隙間から声が漏れる。頭の中がドロドロに溶けて何も考えられなくなった。
熱いそれは後から後から透明な雫が滲み出してぬるぬるとした。アントーニョが手を動かす度にそれが広がって滑りが良くなっていく。尿道に爪を立てられ、感じやすい少し膨らんだ部分に人差し指をかけられる。背を弓なりに逸らせてビクビクと反応するロヴィーノに気を良くしたのか、始めはゆるゆると扱いていた手の動きがだんだんと早くなっていった。
 熱に浮かされるまま腰が揺れる。アントーニョも強く押し付けてくるように動かすから、擦れ合って更なる性感を呼んだ。止められないまま、むっとむせ返るような熱気に包まれる。
 振り落とされそうでアントーニョの背にしがみ付いていた。息苦しかったが互いの唇を求めて雑なキスを交わす。動いているから何度も離れて、唇の端に掴まっているだけの状態だったが舌を伸ばして互いを求め合った。
 思考が真っ白に塗り潰されていく。息を詰めて全身を強張らせた。頂上の予感を感じた。

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