子どもの庭

 スペインの思った通り、数日続いた雨は春の穏やかな陽気を連れてきた。日に日に空気が暖められていくのを感じる。昼間の良い時間帯なら、上着がなくても出歩けるぐらいだった。
 久しぶりに晴れたその日、朝のうちにオーストリアたちは発った。せっかく天気が回復したのだから今のうちに、ということらしい。今度こそ家の門の前まで馬車を呼んで、ふたりを見送った。ベルギーとオランダも里帰り中なので、しばらくはロマーノとふたりきりだ。
 午後から手の空いたスペインはロマーノを離れへと連れて行った。中庭で遊ぶつもりだったのだ。

「スペイン! すごいぞ、とりの巣ができていた!」
「えーほんまに? いつの間に居着いたんやろなあ」

 駆け寄るロマーノからバスケットを受け取り、空いているベンチに置いた。膝かけを上に被せておく。ロマーノは小さな両手を精いっぱいに伸ばしながら、今見てきたものを興奮気味に伝えてきた。

「あっちにあったんだ! すげぇぞ、ちゃんと木のえだ集めて作ってて……あっ! あんまりうるさくしたら逃げちまうかな」

 おそらく先日、スペインが作った小鳥の巣を見つけたのだろう。歌うようなさえずりが可愛らしくて、ロマーノも気に入るかと思ってのことだった。彼はその声を聞く前からすでに大興奮だ。はしゃぎながら自分で、しぃっと鼻の前に人差し指を立てる。子どもらしい仕草に頬を綻ばせた。そんなに慌てなくても、小鳥は逃げないのに。

「巣の周りで騒がんかったら大丈夫やで」
「そうなのか?」
「でも巣の前では大人しくしたってな。鳥さん、びっくりしてまうから」
「わかった」

 神妙な顔で頷く幼児に吹き出しそうになる。ロマーノは顔立ちが整っていて、子どもながらに凛々しい表情をするから余計にギャップがおかしかった。

「なあ、どんなこえで鳴くんだろうな」
「せやなあ、ロマーノがええ子にしとったら聞けるで」
「俺、いい子にしているぞ!」

 普段ならば、ばかにするな! こどもあつかいしてんじゃねぇぞ! と怒り出すところだが、小鳥の存在に気を取られているロマーノは素直にスペインの言葉を聞いた。いつもこうならば可愛いのに。……いや、素直じゃなくてもロマーノは可愛い。むしろ本人は精いっぱい意地を張っているつもりなのに、その意思に反してぽろっと素直になるところが堪らないのだ。

「えらいなあ。ほなそんなえらいロマーノは、シエスタの準備しと間ええ子で待っとってな」
「おう」

 返事をしながらもすでに駆け出している。生意気なことばかり言ってマセた表情をするくせに、やはりまだまだ子どもだ。はしゃぎながら駆け回る姿を見て笑った。子どもだ、と言えば、ロマーノはきっと怒るだろう。トマトのように頬を膨らませて真っ赤になって怒る姿を想像して、スペインはどこか遠くを見るように目を細めた。
 数日の雨はハンモックをすっかり濡れさせてしまった。紐を張り替えなければ、いくら暖かくなってきたとは言え眠ることはできないだろう。柱にくくりつけていた紐を外していく。慣れた作業ではあったが、濡れていることもあって結び目が固くなっていた。ナイフの刃を入れて傷をつけ、ゆとりを持たせる。たわんだ隙間に指を入れて、解いていった。
 濡れた紐を外し、新しい紐に張り替えている間にロマーノが戻ってきていた。あと少しやから、そう声をかけると、彼は椅子の上に座って待ってくれていた。どこもかしこも濡れているから、転げ回ることもできないだろう。
 張り替えた紐に毛布を敷いて完成だ。今日は暖かいから、これで十分だろう。
 ロマーノのほうへ視線を向けると、彼は机に肘を突いてぼんやりとしていた。

「んん……」

 子どもじみた仕草でまぶたをこする様子を見て、彼の変化にようやく気づいた。

「あ、もしかして眠いん?」
「んー……」

 思い至って訊ねてみれば、やはり気のない生返事。よく見れば目がとろんとしている。当たりだろう。
 スペインは椅子のそばまで歩み寄ると、ロマーノの手を取り引き寄せた。子ども特有のふくふくとしていて丸い手は温かく、常よりも温度が高く感じられた。ロマーノは睡魔に襲われると、手足が温かくなるのだ。

「ほなこっちおいで。そこで寝たら寒いやろ」

 半分夢の世界に飛び立っているロマーノにはスペインの言葉は届かない。そのうち、うつらうつらと舟をこぎ始めた。仕方がない。

「ほんまロマーノはすぐ寝るなあ」

 今にも机に頭をぶつけそうになっているロマーノの脇の下に手を差し込んで、小さな身体を抱え上げた。

「んんぅ……しゅぺい……」

 眠りに落ちかけていたところを揺すられて起こされたとでも思ったのか、ロマーノが不機嫌そうにむずがる。不明瞭な言葉で文句を言っているロマーノの背を、決して起こすつもりはなかったと優しく撫でてやる。トントンとリズミカルに手を動かせば、一定のリズムを刻む大きな手のひらに安心したのか、再び眠りに落ちていく。とろんとしたまぶたが完全に落ちたのを見て、スペインはバスケットにかぶせていたブランケットを取った。

 ピチチ……ピチチ……

 遠くから噴水の音に合わせて小鳥のさえずる声が聞こえる。そういえば、この声をロマーノに聞かせたかったのだ。ロマーノの顔を覗き込むが、まぶたはぴくりとも動かなかった。彼はもう聞いたのだろうか。それともこの鳴き声によって眠りに誘われてしまっただろうか。
 だが、そんなに急ぐ必要はない。スペインにもロマーノにも時間はたっぷりあった。いつか聞かせられたらそれで良い。それよりも、今はロマーノの穏やかな眠りのほうが大事だった。

「んぅ……よ、っと」

 ロマーノの小さな身体を抱いたまま、ハンモックへと上がる。麻の紐がスペインの体重を受けてギシギシとしなった。構わずごろりと仰向けに寝そべって、片腕を自分の頭の下に敷く。そうして腹の上にロマーノを乗せてやった。ころころとした小さな身体が、スペインの腹の上で寝息を立てている。出会った頃から寝付きの良い子だった。その分、目覚めも良いらしく朝が早い。朝食の催促のために体の上に飛び乗ってくるのは困るなあ、と苦笑しつつロマーノの肩を冷やさないよう上からひざ掛けを被せる。ついでに背中を撫でて、まろやかな身体のラインをたしかめるように何度も往復させた。
 爽やかな風が吹き抜けていく。カラッとしていて気持ちの良い風だ。

「寝る子は育つって言うけど、ロマーノの背ぇはいつになったら俺と同じぐらいになるんやろなあ」

 ぼやく言葉を聞く者は誰もいない。
 ロマーノの子どもでいられる門は固く固く閉ざされている。そうしてその扉はスペインではない誰かによって守られていた。決して開くことのないように、誰にも踏み荒らされることのないようにと。
 自分ではない、何か大きな存在がその後ろに隠れているような気がして、スペインはひっそりとため息をついた。

「……せやけど、俺は今さら子どもには戻られへんから」

 何とはなしに呟いた言葉でようやく自覚する。

 ああ、そうか。そういうことか。

 そのあまりの情けなさに思わず手のひらで顔を覆ってしまった。急に動いたせいでロマーノが少し身じろいだ。起こさないようにと抱き直して、すっぽり腕の中に収まった小さなロマーノを目を細めて見やる。その頭頂部に唇を落としながら、途方もない願いに気がついた。

「俺は……ロマーノと一緒でいられるイタちゃんのことが羨ましかったんやなあ」

 本当に自分はどうしようもない男だ。それで、ついらしくもなく自嘲してしまった。今さら叶わないことだからこそ、願いは甘美なのだ。

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