家においでよ

昨夜からそわそわして、この部屋を行ったり来たりと落ち着かない。睡眠だけはしっかりとろうと無理矢理寝付いたものの、最近は仕事もろくろく手につかず、頭の中は今日のことでいっぱいだった。あれこれ考えては、やっぱりじっとしていられなくなり忙しなくうろうろと家の中を歩き回る。
日本がスペインの家に遊びに来ると約束してくれたのは二ヶ月前だった。しかも、一週間も滞在してくれるという。普段は人使いの荒い上司も、これを機に観光地として売り込んで来いと諸手を挙げて賛成し、入念な滞在プランを会議を開いてまで話し合った。ごくプライベートな訪問とは言え、公的にも仲良しておきたい国ではある。地理的に離れていて歴史的に接触が少ない、というのも、妙な先入観がなくて付き合いやすいはずだ。そのためか、仕事中に上の空になっても珍しく怒られずに済んで、それどころか明日の準備はどうなんや、とつついてくるほど、つまりスペインは自分でもわかるほどに少し浮き足立っていた。
日本が長期休暇をとってドイツ、フランスと観光したと言う。ずいぶん楽しかったらしく久しぶりに会って会話した時、スペインがついていけなくてもお構いなしにフランスと日本がその話題で盛り上がっていた。その姿に、ずっと自国へ遊びに来るよう誘っていたスペインだったから、いまだ自分の希望は叶えられていないと言うのに、よりにもよって悪友といえる二国に先を越されて、さすがに酷く落ち込んでしまった(そう、例えドイツの家に遊びに行くついでだったとしても、だ)。絶対に今回は引き下がるまいと、何度もしつこく来てくれと頼み込んだら、今度はイタリアの家に遊びに行くのでそれに合わせて、という約束をしてくれた。プライドなんか遠くへかなぐり捨てて情けなく泣きついた甲斐があったらしい。
国内の情勢や経済のことでボロボロだったスペインが、他国と人付き合いする余裕ができてきたのは漸く最近になってのことだった。ずっと気になっていた日本との付き合いは、初めて出会った時からの年数だけを無駄に重ねてしまった。多少なりとも昔は交流があったというのがネックになり、他人ではないのに他人としか言えない距離感が多少の気まずさになって、今の関係に影響している。それでも、そういった過去を振り切ってやり直そうと、勇気を振り絞って誘ったせっかくのディナーは、腐れ縁の悪友たちのお陰で台無しになった。わいわいと酒を飲んで美味しいご飯を食べて、それはそれで楽しかったけど、いらないことを日本に吹き込まれたり(そう例えばペドだの、はげだの。日本、あいつは小さい子大好きな変態性欲者だから気をつけろよ、と変態の代名詞に言われ否定した時なんかは、いいんです大丈夫です差別しません、という日本の慈愛のような諦めのような笑顔で返されて泣きそうになった)、うっかり飲まされ過ぎて酔いに任せた失態をするところだった。あの二人は笑顔で人の足を引っ張るので油断ならない。
どうにか紳士的なまま日付が変わる前に日本が泊まるホテルの部屋まで送り届け、自分の部屋へ帰った時は、心身ともに疲れ切っていてスーツのままベッドへダイブした。ちなみにプロイセンとフランスは潰して店に置いてきた。最近の彼らは酒に弱い。特にこの二十年ほどは、とんと駄目になっている気がする。

今日は絶対に誰にも邪魔をされたくなかった。日本には、サプライズパーティーを一緒に企画しようと言って二人には内緒にしてもらったし、念のため、プロイセンはオーストリアに、フランスはイギリスに足止めさせるため手を回してある(イギリスー知っとった?フランスが不味いって言うのはお前のつんでれと一緒やで☆ほんまは定期的に手作りスコーン食いたくなるイギリススコーン症候群なんやで!)。特に近所のフランスは念を入れてあるので一週間どころか一ヶ月は大丈夫そうだ。全ては日本とのデートのため、多少の犠牲は厭わない。

(もう十分、仲良しやろ)

お前らは、と。
だからたまには自分に譲れ、と何回目になるかわからないことを願う。自分が死の淵を彷徨っている間に、どうも他の者とは仲良くなっているらしい。お互いの家を行ったり来たりするどころか、スペインにはわからない話題を共有する程親密に。自分だって、きっかけがあれば、もう少し距離を詰められれば、きっと仲良くなれるのに。ここ数年、ずっと考えていることを悶々と思う。それでも少しは仲良くなれただろう。こうして家へ呼ぶことができたのだから。

約束の時間まで30分。ちらちら時計を見ては何度目になるかわからないため息をつく。
―サグラダファミリアを見たいって言っとった。グラナダもゲルニカのオークの木も見せたい。ゲルニカの雰囲気は好きそうや、きっと楽しんでくれる。
見せたいもの、食べさせたいもの、教えたい話に彼に聞きたいこと。一つ一つ思い浮かべるだけで幸せな気持ちになる。別にやましい気持ちがあるわけではない。ちょっとは期待しなくもないが、そうだ、好きなものを知って、何に興味があるか、彼が語るのを聞いて、そんな時間を過ごせればそれで良い。

(はあああ、空、飛べそ)

机に突っ伏して吐き出すため息は、ふわふわと部屋へ積もっていく。

けれど、スペインが空を飛ぶことはなかった。
十時を回った頃、昼過ぎとは言ってたけど何時に着くのだろう、と、メールを打とうとした。空路だとは思ったが、すれ違いになっては嫌なので返事を見たら迎えに行くつもりで携帯に文章を打つ。空港からバルへ向かい、ランチを食べてからマドリードを案内しよう。シエスタの時間に帰ってきて、一緒にのんびり過ごしたい。普段、忙しいと零す彼はゆっくり昼寝もできないらしい。せめてスペインにいる間はこの国の時間で過ごしてもらいたかった。
だが、送信ボタンを押す前にベルが鳴らされた。しまった、もう着いたか、と、玄関まで走って行ってドアを開ける。
「待っとたんやでー!オーラ、日本!言ってくれたら空港まで、行った…の、に?」

声が小さくなっていったスペインに対して日本はとても元気だ。

「スペインさーん!私も会いたかったです!」
「わわわ、どないしたん?」

会うなり満面の笑顔で抱きつく小さな体に戸惑う。いや、ハグはとっても嬉しいし、いつでも大歓迎なのだけれど!挨拶としていつでも取り入れていきたいぐらいだが、スキンシップが苦手な日本が嫌がるので普段は我慢している。それが解禁されるのは願ってもないことだ。日本が今約束どおり、一人で来ていたのならば。
なぜか呼んでないはずの客もいた。普段は嬉しい二人のくるんは、日本をひっぺがして自分たちの後ろに隠すよう、スペインの前に立ちはだかった。

「日本にイタリアがうつった」
「ヴェー、スペイン兄ちゃん、久しぶり~」

イタリア兄弟は好きだ。結婚してもいいと思ったぐらい可愛い。しかし、今日だけは空気を読んで欲しかった。

「せやかあ…一言、言ってくれたらよかったんに、」

チュロスとか用意したで、と気を遣う振りをして、せめてこんな期待を裏切られたような気持ちにならないよう覚悟を決めさせて欲しかったと思う。前回の悪友たちとの食事といい、今回といい、どうも自分は日本と二人きりになることが出来ないらしい。

(あるいは避けられているのかも…)

いや、今回のは不可抗力のはずだ。うっかりネガティブな方向へ逸れていく気持ちを取り戻そうとする。前回も、上手いこと誘いをかけたつもりがフランスの姑息な手に落ちたのだ。
単純に、自分の楽しみにしている、と、日本のスペインさんの家に行くのが本当に楽しみです、には大きな違いがある。だから余計なことが気になるのだ。主に本人たちが抱く感情という点で。

(眼中ないからなあ)

微妙な心持が表情に顕れることを気にせず三人をじっと見る。それに気づいたイタリアとロマーノがにっと笑って、

「昔っからイタリア大好きの変態だからな」
「念のため、だよ!」

むしろ空気を読んだ結果らしい。

観光は後にして、朝食の支度をすることにした。いろいろ食べさせてあげたくて、たくさん用意してある。常より小食の彼には多いかもしれない。それぞれの量を少なめにしていろいろ食べれるよう種類を増やす。
「おいこらヴェネチアーノ、食べ物を粗末にすんじゃねぇ!」
「にほん!見てみて!」
「パスター!」

きゃいきゃい騒ぐ三人をちらちら気にしながら失敗しないよう大急ぎで仕度する。

「日本も遊ぶな!」
「これロマーノ君ですよ~」
「…ぐぅ、俺はそんなんじゃねぇ」
「うわあ、すっごく上手にできてるよ!」

(なんなん!何が何それ絶対可愛いやん!)

見たい見たい見たい。
欲求に気が逸るも、先ほどランチの支度を投げ出しリビングへ駆け込んだスペインをイタリア兄弟はこの上ないほど冷ややかに一瞥して追い出した。次は帰国すると言われては大人しくしているしかない。しかし、なぜ二人はこうも警戒するのだろうか。ちょっと部屋着に着替えると言うから顔を出しただけだというのに。

ランチは楽しかった。二人きりになりたかったとは言え、やって来た弟分の二人のことも大好きなスペインだ。日本とはまた違う―家族の慕わしさで愛してる。
ニコニコ笑顔で素直に楽しい美味しい大好きと言う日本は可愛かった。こんな楽園をずっと夢見ていた気がする。あれこれ用意していたスペインの独特のもの、花とか絵とか音楽とか、そのどれもが彼を喜ばせて普段より些かはしゃいだ様子で惜しみなく賛辞をくれる。「す、すばらしいです、スペインさん!この色彩感覚、鮮やかで大胆なタッチ、まさにスペインさんの陽気な人柄が出ていて、大らかで見ているだけで幸せな気持ちになります!一方でこの音楽、どこか郷愁を思い起こさせる美しいメロディーと切ないギターが素晴らしく、どれもわが国にはないものです!」と、自分を認めてくれる(褒めすぎとも言う。気恥ずかしくて、スペインのほうが言葉少なくなっていった)。それだけで、また空も飛べるような高揚感を味わうのだ。BGMに流していた、ボサノヴァ音楽にすら異常なまでにテンションが上がっている、その源は、さっぱり想像もつかないのだが。

「スペイン、ん」
「あ、取り分けてくれたん?ロマーノってば気ぃきくなあ。おおきに!」

一緒にいる時間が長いからだろう。ロマーノは何も言わなくてもちょうど良いタイミングで立ち回ってくれる。日本にスペインの時間を感じてもらいたい、という目的もあったから、ロマーノの気の遣い方は非常に助かった。

「スペイン兄ちゃん、このトルティーヤすっごく美味しいよ!兄ちゃんの言ってた通りだね」
「余計なこと言ってんじゃねぇよ、バカ弟」

にこにこ笑顔のイタリアが言えば、間髪いれずに怒るロマーノ。そういうところは昔から変わらない。

「ロマーノのトルティーヤもむっちゃ美味いやろ?」
「スペインさんが作ったほうがもっと美味しいって言ってらしたんですよね」
「ねー!」
「え、何ほんま?」

珍しい。そして、それを日本に言ったということも普段ならありえないことだった。日本は、まるで孫を見るように微笑ましくて仕方ない、といった笑顔で二人を見ていた。それがなぜか心に引っかかり、じっと見詰めてしまう。なぜだろうか。こんな風に優しく笑う姿を、あまり見ない気がする。いつもはちょっと緊張していて、あるいはアメリカの我侭に振り回され疲れた顔をしていて、だから、かもしれない。

「ったく…、それでお望みのスペインの手料理は満足かよ、日本」
「はい!本当にとっても美味しいんです!私の家で食べられるスペイン料理よりも更に繊細で少しイタリア料理に似ていて…」

つらつら語る彼に、やはり若干の違和感がないとは言えない。何だろう、違和感というよりは。

「はは、なんか照れるなあ」

何とは明確に言えなくて、結局、まあいいかで流してしまう。

「いえ、本当に、これは日本へ帰っても食べたいです」

食事にちょっとうるさい彼は、基本的に食べ物に弱いところがあって、イタリアの性格がうつったという今ならいつも以上にそうなのだろう。よくフランスが美味しいワインと手作り料理で家に呼んでいることは知っている。俺の家もワイン、けっこう有名やで、って言いたくて、でも今まではそこまで踏み込めなかった。次からは、もっと堂々と誘えるのかもしれない。パエーリヤはライスやで、とか。

「そっかあ、ありがとう」

ゆるい幸せにどっぷり浸かってへらへらと笑う。眼が甘く垂れ下がっていく自覚はある。スペインは気が緩むと相手の顔を覗き込む癖があって、特に礼を言うときは近すぎる距離で目を見詰める。美点とも言えるし、男同士だと気まずいとも言われる。特に男嫌いな子分と暮らしていた経験上、気持ち悪いと言われないためにもなるべく気を付けているが、子どもや甘やかしの対象には癖が出やすい。日本には対等に接してると思われたいし、実際にそうでありたいのに、なぜか彼の一見すると子どもに見える外見のせいか。ついシルクのようにつるっとした、或いは上等のボタンみたいな黒い瞳を不躾にも上目で覗き込んだ。

「っ!」

ばっと赤面した彼が音を立てて顔を背ける。一秒もスペインと目を合わせられないというように俯いてしまった。

(あれ?)

黒い髪の隙間からちらちら見える耳たぶが真っ赤だ。影になった頬をてのひらで包んで視線から逃げようとする。こんな彼はよく知っている。いつもの、普通の日本だ。

「なんで?」

自分でも残念な気持ちになるほど間の抜けた声が出た。状況が掴めないで束の間、ぽかんとしたスペインだったが、すぐにイタリアとロマーノへと向き直って目だけで問いかける。これは、どういうことなん?と。

「あ、あの…」
「日本…、ふだんの日本みたいやけど……」

呼びかけて確認しようと考える。今日はイタリアがうつっていて、それでだからイタリアとロマーノも来ていて、常より笑顔が多くて挨拶にハグもして。何がどうなっているのかわからなくなって、その場にいる全員へと視線をきょろきょろ動かし見渡した。イタリアとロマーノが、はあ、と溜息をつく。

「ヴェー」
「ちっ、普段はニブニブのくせに」

とにかくお前ら、落ち着けよと言ってお茶を催促された。

お茶を淹れて少しだけ落ち着こうとする。改まって四人が席につき直して、スペインはじっと説明を待った。観念したように日本が口を開く。ぽつりぽつりと零される言葉。
曰く。前に会った時の会議でスペインに対して照れてしまい、それ以来なんだか会うのが気まずい。ヨーロッパに行くときも何となく避けてしまった。まっすぐ好意を示してくれるのは嬉しいが、妙な勘違いをしてしまう。それのせいで余計に会いにくくなったのに、何も言わずに家に遊びに来いと言う。押しに負けて頷いたものの、社交辞令だったのでは、迷惑なのかもと悩んでいた。イタリアに滞在中も思い悩み食事が喉を通らない、心配した二人に相談したところ、ついて行こうか?と。なるほどスペインお気に入りの二人がいれば彼も楽しく過ごせるだろう、ついでに自分もイタリアみたいになったら多少は馴染むかもしれない、とのことだった。
長いような短い説明をさくっと聞き流しスペインは一つの結論に至る。

「つまり俺のこと意識してくれとったん!?」
「い、いいい意識というか」
「プロイセンやフランスの家には遊びに行けたんやろ」
「まあ…いつものことですし」

それに男同士、今更気兼ねするのも変だし、ともごもご唸る。
俺も男同士なんやで!の言葉は呑み込んだ。ふるふる震えそうな体を押さえるのに精一杯だったからだ。確かに以前の会議ではスペインが日本に対して、もっと仲良くなりたい、というようなことを言った。なぜか日本がそれに対して照れたらしく、会議室の前の廊下のど真ん中で二人して顔を真っ赤にして立ちすくんだのだ。それがきっかけで、その日のディナーに誘えた経緯があるので、スペインとしてはそれで良かったのだが。

「そういう意味じゃねぇぞ!」
「日本はヨーロッパ的なスキンシップに慣れてないだけだよねー」

もう何も言わない二人をイタリアとロマーノが騒がしい程に構う。いつもなら、そうだった。スペインの過剰すぎるスペインに日本が怒ったような、困ったような反応を返すのはよくあることで、正直、たまにそういうところが苦手だと思われて仲良く鳴れないんじゃないか、と気にしていたりもした。プロイセンは意外と人と接触するのを好まないし、フランスは気が利くから、そういうのを好まない日本にずかずかと踏み込んでいくような真似をしない。
けれど、だって、今回は違う。

(やって、俺別に触ってへんもん)

だから、これは期待してもいいんじゃないか。そう自分に都合良く結論付けて、スペインも赤くなった頬を冷やすためにテーブルに顔を押し付けた。

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