恋は思案の外

埃っぽい居酒屋で、安っぽいビールを啜りながら下らない話を聞いていた。スペインの長い長い話は、何度も脱線したり、フランスからの茶々が入りったりしつつ、つまりはこういうことだった。

「日本は俺に気があると思う」

大真面目に告げられた一言が、想定を遥かに上回る斜め上方向にすっとんだ意見だったため、盛大に笑ってやったが、間髪入れずに、んもう!冗談ちゃうよ!とうるさく本人が否定したので、どうやらそれは本当に真面目に考えて出した結論だったらしい。
一週間に渡った世界会議が終わって、打ち上げと称したいつもの飲み会に繰り出した。いつもと同じではあったが、三人で集まるのは久しぶりだったし、朝方まで羽目を外して呑むつもりで意気込んでいたところにこれだ。笑うしかないだろう。

「あいつは誰にでもああいう態度とってんじゃねえか」

目を細めて足と腕を組む。男同士には狭すぎる三人掛けのテーブル席だったので、少しでも隙間を求めて体を斜めにしたが、そのせいで、フランスがちょっと詰めてよ、と嗜めた。

「そんなんとちゃうよ。ハグしただけで、あんな顔真っ赤にして」
「アメリカ相手にも赤くしてたぞ。スキンシップに慣れてないだけじゃねーの」
「責任とってくださいって言われたし」
「イタリアちゃんも言われてたな。文化が違うんだろ」
「せやのに、家に遊びに来たいって!」
「社交辞令だろ。そんなん言っても実際に来るこたねえよ」

じゃがいもをフォークの背で潰しながら聞いてやる。なんていうか、馬鹿だ。愚かだ。こいつといい、フランスといい、情熱だかアムールだか知らないが、色恋になると周り見えてなすぎる。外交とか国の仕事では、けっこうちゃっかりやってて一見まともそうなのに、ちょっと可愛い子に言い寄られただけで勘違いして好きになるなんて馬鹿馬鹿しい。だいたい、恋愛だとかにロマンスだとか、そんな何のたしにもならないような女々しいことに現を抜かして、そんなのでお前らは男なのかっていう。

「なんや、プロイセン。さっきから日本のことよう知ってるなあ」

じとっと据わった目で見られてどきりとする。

「は、はあ?何言ってんだ!見てりゃわかんだろうが!」
「何そんな焦ってんねん?あやしいなあ」
「あー、その話、おにーさんも興味あるんだけど」

なぜかフランスも参戦してきて、両脇を固められた。がしっと二人がかりで肩を組まれ押さえつけられたせいで、脱出するのは困難だ。席が狭いせいで、暴れようにも迂闊に体を動かせない。

「あれ、ってかちゃんと食べてる?がりがりじゃん」

フランスに、胸から脇にかけてをぽんぽんと触られて気色悪くて身をよじる。

「うっせー!お前と違って鍛えてんだよ!」
「これは筋肉なの!」

フランスはこういう時、いまいち距離感がないというか、とにかくスキンシップ過多なので鬱陶しい。スペインも人間大好き!触るの大好き!に見えるが、何気に可愛い子やお気に入りの子にしかしないあたり、全部ポーズなんじゃねえのかと疑っている。

「そんなん、どっちでもええよ!プロイセンは日本のこと好きなん?!」

けれど、やいやい言い出したフランスをぐいーっと押さえつけて、スペインが身を乗り出して近寄ってきた。いや、訂正だ。こいつも距離感ねえよ。男同士なのに顔近づけるなって気持ち悪い。

「そこんとこ、実際どうなん?!」
「プロイセン、吐いちゃいなよ。お兄さん、ノーマークだったんだけど?」
「ん?さっきからちょいちょい入ってくるけど、フランスも日本のこと好きなん?」
「まあまあ、今はプロイセンが先決でしょ」

フランスは、そう言いつつもぶつぶつと、こっちからしてみればスペインだって、とかなんとか、呟いていた。いったんはそれに納得したのか、スペインがしつこく詰め寄ってくるので、少しでも体を離そうと右手をつっかえ棒代わりに支えた。なんやかんやで、重量系のスポーツが好きなこいつは変に力があるので、こうやってもみ合うと必要以上に疲れるから嫌いだ。

「で、どうなん?」
「……何がだよ」
「日本のこと好きなん?」
「ってか、お前のほうこそどうなんだよ。日本のことなんか今まで全く気にしてなかったじゃねえか」

まさか惚れられてると勘違いして好きになったんじゃねえだろうなあ、と自分の事は棚上げにして横目で見やると、スペインは、うっと言葉を詰まらせたまま暫く黙った。なぜか、同じタイミングでフランスも気まずそうに視線を逸らした。つまるところは、まあ心当たりでもあるんだろう。
ようやく開放されたので、椅子に座りなおしてビールジョッキを呷った。馬鹿力に圧し掛かられていたから背骨が変に痛い。先ほど潰したじゃがいもをナイフで寄せてフォークの背に乗せ、口に運んだ。その間も二人は静かだったので、今日は長引きそうだと苦く思った。
よりにもよって、この三人が三人とも誤解するんだから、日本のほうが思わせぶりなんだろう。取れかかったボタンをつけてあげたり、やたら人のこと凄いすごいと持ち上げたり、警戒心もなく家に泊めたり、そんなことするから、男はみんな勘違いするんだ。或いはこちらが単純すぎるとも言える。

「いつまで落ちてんだよ」
「なんで、プロイセンはそんな元気なん?ほんまは好きちゃうの?」
「年季が違うんだよ」

ってかお前らが甘いんだよ。頬を染められて責任とってくださいだの、上目遣いだの、家へ遊びに行きたいだの、それで俺の事好きかもっていうなら、俺が百年前に捕まえてる。けれど、そうしたらこいつらは日本のことを気に留めないままだっただろうか。そのほうが良かったと思うし、それが悔しいとも感じる。自分だって、初めは本当にただ時間を守れる良い奴だけど地味だし興味ねぇぐらいにしか思っていなかったくせに。けれど、それがいつのまにか、勤勉で真面目で見所がある奴に変わって、些細な日常の変化を捉えて愛でる繊細な感性に惹かれ、そうして一緒に居ると居心地がいいになって、それで、それだけなんだ。全部、誤解で期待で勘違い。それはきっと初めての恋だった。そのくせ、それに気付いた時には絶望なんだか、希望だかわからない惨めな状態。

「まさか、プロイセンのほうが先だったとはねえ」

フランスがやれやれ、といった態度をとる。わかったような口をきくのが少し(いや、かなり)いらっとするのだが、何か納得しているようなので放っておいた。

「いやいやあ、あれは絶対俺のこと好きやって」
「まだ言うか」

フランスが赤ワインを注文して、スペインはシェリー酒を唇につけた。相変わらず、頻繁に飲み会をしているとは思えないぐらい、三人とも嗜好がバラバラだ。

「はああ、全然思うようにはならんなあ」

ぽつりと。飲み干した透明な液体を嘆きに変えて腹の底から吐き出したように、ずっと深いところに抱えていたのだろう言葉を零した。聞いてほしかったのか、独り言だったのかも判別しかねる呟きだった。そりゃあな、とフランスが曖昧に頷いて携帯を弄りだす。人と話しているときにメールをする奴は悪だと思っているが、一応、仕事の可能性もあるので気にしないようそちらを見ないふりをした。

「ほんまに、きっかけってこんなもんなんかなあ」
「何がだよ」
「いやあ、なんか運命とか、ロマンティックなもんやん」

気色悪い。今日何回、こいつにそれを告げればいいんだろうか。男がくねるな、恋を妄想するな。

「ほんまは、こう…パリの大通りですれ違う間際、目と目が合った瞬間に!とか、雷に打たれたみたいな!とか、そんなんやん」
「ありえねえな」

どんだけの人が通ると思ってんだよ、いちいち、んなもん見てられっかと言えば、わかってないなあ、だからいいねんやんか、と唇を尖らせた。そういうものなんだろうか。
ふっと想像しても、思い浮かんだ顔が良く見知った人間だったので考えることをやめた。いつもどおり、不毛なことを考え始めるところだった。現実から逃避するための、実際からはかけ離れた甘ったれた妄想だ。いちいち相手の一挙手一投足に緊張して、後から裏側を想像するような軟弱さが自分にもあるなんて認めたくない。

「あ、にほーん!待ってたよ!」

唐突にフランスが大声をあげた。その名前に今までしていた会話の内容が内容だけに、どきっとする。

「フランスさん」

けれど、日本はちょうど店の入り口からこちらを見つけたところ、といった風で手を上げた。全く会話など聞こえてはいなさそうだ。

「あれ、日本やん!なんでここに?」
「今日近くに遊びに来ていたのですが、先ほどフランスさんからメールをいただきまして」
「誘ったの。ちょっと狭いけどこっち座りなよ」

さり気なく自分に近い席を誘導するあたり手際が良い。それを苦々しい目で見ているスペインに噴き出しそうになったが、黙っておいてやった。感情がすぐ表に出るから、ポーカーとか弱いんだよなあ。

「スペインさん、プロイセンさん、本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」

相変わらずの律儀な挨拶とお辞儀。当たり前だが昨日の会議で会った時から何も変わってない。話の内容から、フランスのメールが俺たちが誘っているという書き方をしたんだろうとは察した。

「日本やったらいつでも大歓迎やで!」
「ありがとうございます」

じっと二人のやりとりを観察したが、やはりいつも通りのようだった。スペインは少しばかり、意識しているのかと思ったが、日本のほうが全くいつも通りだ。さっきは否定したが、スペインの唐突さから少し心配していただけに、しかし、この様子では何もなかったのだろう。恋する人間の愚かさとはすごい。

「この辺にいたって一人でかよ」

けせせと笑ってやると、日本が子どもっぽく拗ねた顔をした。

「だってプロイセンさん、誘っても来ないじゃないですか」
「お前の買い物長えんだよ」
「プロイセンさんがせっかちなんです!」

むっとした表情をしていたので、そんなに俺に来てほしかったのかよ、とからかってやる。そんなことはありません!とムキになって否定するのが、全然そんなことなくない態度で、それが何というか気分が良かった。ちらっとスペインを見やれば、そちらもむっとして口を曲げている。けれど、そこへフランスが割り入るように体を寄せた。

「日本、買い物してたんだ?」
「はい、お洋服を見ていて」
「だったら俺が付き合うのに!」

今日は何の予定もなかったんだよ、と早速抜け駆けが始まる。俺たちの関係なんてそんなもんだ。今日は早い時間から呑み始める約束だったのだが、恐らく日本に誘われていたらそちらを優先させていただろう。まあ、フランスだけを責める筋合いはないが。なぜなら三人ともそうだから。

「俺も!買い物とかお茶とか好きやでー」

そういえばあの角のところ、パンがめっちゃ美味いねんて!ロマーノが言ってたーと、スペインが唐突に割り込んできたくせに、そうなんです!すごく人気があって、でも一人では入りにくくて困ってたんですよ、と日本の関心を買うことに成功する。さすが、イタリアちゃんのお兄様。そんな話題、普段のスペインからは絶対出ないであろう。とはいえ、スペイン自身も全く話聞いてないように見えて、要点だけ抑えてくるから侮れない。

「パンなら俺のほうが詳しいよ」
「フランスさんはお菓子もパンも料理も、どれもとても素晴らしくて、かねがねグルメ旅をしたいと思っていたんです」
「ぜひ!おいでよ、案内するぜ」

この八方美人が!そういうふうに感じるのも、結局俺が馬鹿だからだ。こっちが勝手に期待しただけだというのに、そんなことで苛々するのだから本当みっともない。騎士の精神は失われている。

(だから、都合の良い解釈が可能ともいえる)

逆も然りだ。そのはずなのに、良いほうへ捉えようとしてしまうのは、もしかすると全部こいつの策略かもしれない。

「狸め」

伝える気のない言葉が、何も考えずに唇から零れ落ちた。それに対して三人が、きょとんとした顔で振り向いた。どうしたん?プロイセン、とか、何の話?とか。説明ができなくて、鼻を鳴らしてあしらった。日本だけが何も言わなかった。暫く目を大きく瞬かせて、言葉を失くしたように黙っている。ああ、傷ついたかもなと気付いてフォローを入れるような気のきいたことなんて、思いつきもしない。けれど、スペインとフランスが何事もなかったように別の話を始めたので、あれこれ返事に追われたようだった。結局、それについては深堀りできなかった。
遂にはバカンスの話にまで及んだ三人の話に参加せず、じっと眺めながら、どうやってスペインとフランスを潰してやろうかと策略する。酒はある程度入っている。お互いにだ。フランスはまだしも、スペインは手ごわい。手っ取り早いのは呑み比べをけしかけることだが、そんな単純な手は流石に通用しないだろう。
じっと考えている間、全く周りが見えていなかったようだ。気がついたら、日本が隣へ寄ってきていた。突然、小さな声で話しかけられ現実へ引き戻される。

「私、狸じゃありませんよ」
「じゃあ、何だよ。こうもりか?」

動揺を見せたくなくて普通を装った。

「いいえ。……そうですねえ、どうせなら猫にしてくださいよ」

猫は人間に媚びねえよ、と小突いて、ああでも、野良猫はそうかもしれないなと思った。餌をもらうためだけに近寄ってくる猫みたいな奴だ。利口で警戒心が強くて、どうすれば人間が絆されるかを知っている老成した猫。

「じゃあ、化け猫か」
「そんなんじゃありませんよ」

ふうん、と頷いて、そうだろうなあ、ともわかっている。ただ理不尽に感じるのだ。期待させておいて、こっちが勝手に舞い上がって、でも本当はそういうつもりじゃありませんっていうのが。本当、ままならない。俺がなんで狸と呼んだかも、きっと本当の真意までは気付いていない日本が、また八方美人とか考えていたのでしょう、と口を尖らせた。思考がだだ漏れで良い気がしない。

「ちげーよ。まあ、確かにお前に言うことじゃねえし。なんていうの、あれだ」

なんとかは思案の外って言うだろ、と言えば、フランスがいいこと言うね、とウィンクした。

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