恋のおせっかい

「……ってことがあったんだ」
「おやおや、フランスさんも随分と憎いことをされますね」

フランス旅行に行っていたと言うある少女の話を、デリで偶然耳にした。旅行中にあった少し不思議なできごとを、母親に楽しそうに語る少女は無邪気で、それでいてどこか恋をしているかのようでもあった。
彼女がモンサンミッシェルで出会った自らをフランスと名乗る奇妙なガイドは、歴史に詳しいわりにまるでその場にいたかのような口ぶりで語るので、全く堅苦しくなかったらしい。むしろ、百年戦争のことをいけ好かない知人とちょっと喧嘩したぐらいに話すせいか、遠い過去のできごとが身近に迫って興味を引いた。ただのふざけた男とは言い切れない真剣さに、気が付いたら呑まれていた。
その話になった時、ふっとアメジストの瞳が翳った。フランスの誇り、奇跡の少女の話だ。どう見たって30には届かないぐらいの若い男だったのだが、自分の手ではどうすることもできない理不尽さを嫌という程知っている、そんな表情をするのだ。彼がそれまで繰り出していた軽口が、まるで世界と上手くやっていくために、わざとそう振舞っているのかもしれないと、彼女は続けた。
アメリカがよく知るあの男もそうだった。人の一生をかけても癒しきれない傷を、隠すでもなく晒すでもない。どんなに許せなくても後悔しても、まだ人間を愛していて、軽薄を装ってまだ世界を信じる理由を探している。フランスとは、そういう男だ。
最後に残された意味深げな言葉は、ちょっと考えたところで内容は理解できなかった。それを追求することもできないまま、何時の間にかいなくなっていて、不思議なできごとだったと少女は締めた。

「日本はここで俺から聞いてるだけだから何ともないかもしれないけど、俺は一人でいたし、誰ともあの居たたまれない感じをわかり合えなかったんだ! すごく恥ずかしかったんだぞ! ……俺には全然、関係ないのに……」

そう、アメリカには全く関係のないことだった。その場に居合わせたわけでもなければ、店内にいた誰もフランスとアメリカが知人であることを知らないのだ。それなのに、どうしようもない居た堪れなさを味わわされたせいで、午後からの予定は気がそぞろでそれどころじゃなかった。楽しみにしていた映画もボールパークでの試合観戦もほとんど記憶に残っていない。

「身内の方の意外な一面って、なぜかこそばゆい気持ちになりますよね。私も中国さんがそんなことを言ってたら笑ってしまうでしょう」

くすくすと日本が笑って菓子の袋を出してくれる。アメリカが大好きな、おにぎりを模したセンベイのスナック菓子だ。

「……全く、彼は映画のヒーローか何かなのかい」
「ふふ、かっこいい方です。銀幕スターでも不思議ではありませんね」
「日本はどうかしてるよ! 君は少し恋に盲目すぎる」
「そうですか?」

愚痴りに来て惚気られては堪らないと、スナック菓子の袋を力づくで開けた。抗議の意を込めて、わざと大きな音を立てセンベイを噛み締める。ばりばりと躍起になってセンベイを攻略するアメリカに、日本が目を細めて笑った。
幼少の頃にどちらかを選べと迫られイギリスを選んだと言うのに、何かと世話を焼きに来ていたフランスは、保護者とまではいかずとも近所に住んでる親戚の兄のような存在だった。いつでも舞台役者のような大げさな立ち居振る舞いと台詞回しのような物言いで、アメリカに言わせればとにかく気障だったが、わざとシリアスになりすぎることを嫌うところもあった。日本から見れば、それらの言動はすべて「ユーモアがあって気の利く素敵なお方」らしい。
彼の納得のいかないところは、アメリカが最高にかっこいいと思っている映画やコミックに出てくる主人公たちには顔を真っ赤にして「こんな言い方、恥ずかしいです……」と、まるでやってはならないマナー破りのならず者のように言うくせに、それを遥かに上回る気障なフランスは「かっこいい」になるところである。以前にカナダが言っていた「まさに、Love ruled the worldだね」がぴったりすぎる盲目さだ。
普段はアメリカのことを嗜める立場にある年長者二人の老大国が、お互い以外に見えていない恋愛をしているというのも奇妙なものだ。二人ともたいがいの恋愛はしていて、いまさら初恋でもあるまいと呆れると「だからじゃないですか」と返される。全く以ってアメリカには理解できない。

「……でも不思議なことが一つあるんだ」

デリで話を聞いた時は、お門違いな羞恥心と照れで気付かなかったが、後になって思い返すと気になることがあった。又聞きで直接耳にしたわけではないが、その少女がその部分を間違えるとも思えない。

「何ですか?」
「フランスが次の人生で、って言っただろ?」
「その少女の話ではそうですね」

ずっと引っかかっていた言葉だった。

「そんなこと言うかなって思ってさ」
「え……」
「俺たちの神様は転生を教えてないからね。特にフランスはカトリックだし、昔なら絶対にそんなこと言わなかったと思うんだ」
「……そうですか?」
「もし、死後のことを思うなら……。天国で幸せになってほしいと祈るはずなんだ。何度もこの世界に生かされるっていうのは、俺は初めて聞いた時、なんて残酷な運命だと思った」
「……」

ジャンヌ・ダルクが生きた時代をアメリカは知らない。そのセンセーショナルなテーマは物語として何度も映画になっているし、その中ではよく知っているが、実際その時にフランスがどんなふうに過ごしていたかなんてわからない。
他の者から聞いた端々から、ぼんやりと想像できるフランスは死ぬ程後悔している。その少女を失ったことを、そもそも少女を先頭に立たせてしまったこと自体を。後悔して、糸の切れた人形みたいに、あるいは何もかもを諦めて怠惰に落ちぶれるみたいに日々を費やしていた。突然、明るく過ごしたかと思えば、数ヶ月見かけないなんてこともあったと言う。そうやって、建設的ではない落ち込み方をするのは、合理主義者のフランスには珍しいことだった。
フランスは、イギリスに言わるところの「キザ野郎」ではあれど、どこまでも優しい男だ。過酷な運命を背負った自分の国民たちには、末永く安寧を願っているような、そんな愛を「博愛」と読んで自らに掲げているのだ。

「最近は君や中国や……、君の友達の影響で昔ほどは抵抗はないけど」
「そう、そうだったんですね」

アメリカの言葉を聞いて、ぱちぱちと瞬きを繰り返した日本が視線を伏せた。
正直なところ、アメリカには次の人生では幸せにというのは、もう全くもって理解できない。今じゃなければ意味がないだろうし、不遇な誰かへのやりきれない思いをてい良くごまかされているのではないかと思う。
けれど、それを救いとするのなら、きっとその考えに救われたんだろう。「俺たちには、ああいう価値観が必要なんだ」としつこいぐらいに言っていたジャポニズムは遠いが、今もずっとフランスに根付いて、彼の柔らかいところに寄り添っている。

「だからね、フランスも変わったなあって思ったのさ」

センベイを噛み砕いて飲み込む。きょとんとした顔で小首を傾げる日本の、小さな鼻を摘まんで笑ってやった。これぐらい、普段の惚気られ当てられ、恥ずかしげもなくいかに相手を尊敬しているかを聞かされて、居た堪れなさに赤面させられてばかりの意趣返しにもならないだろう。にやっと笑って席を立つ。

「君が変えたんだろ!」

見下ろした日本は目を丸くしていたが、少し間を置いて沸騰したように顔を赤くする。え、とか、あ、とか言葉にならないようすで動揺する日本を置いて玄関へと走って行った。

「うわっ! アメリカ来ていたのか」

扉を引いて開ければ目の前には真っ赤なバラを一輪もったフランスが。日本の顔より大きな花束だって何度もプレゼントしているのに、いまさら一輪だけ(これをお兄さんと思って、とか言うのだろうか)。

「俺はもう帰るよ! 今日はフランスが来るって聞いてたからその前に話したいことがあったのさ」
「えっ、な、なんだよそれ!」
「日本ならイマで沸騰しているんだぞ! あれはちょっとやそっとじゃ冷めないだろうなあ……。せいぜい今夜は気を付けることだね」

急に焦り出したフランスが、お前何を言ったんだとかなんとか叫ぶのを背に、家を飛び出して走って行く。日本が沸騰しているなんて、フランスと恋に落ちて以来ずっとずっとそうだろうに。走っている内におかしくなって、大声で笑ながら転がるように大通りに出た。タクシーを拾って、今日は繁華街に出て夜遊びをしようか、このまま飛行機を乗り継いでアメリカに帰ろうかと悩んで、そう言えばホテルに貴重品を置いてきたのだったと思い出す。いったんそちらへ向かうように指示をして、座席に深く座り込んだ。

(今頃、どうなっているか)

そこから先の恋は、アメリカには関係のないことだ。いたずらっ子の笑顔で携帯電話を取り出した。いつも子ども扱いばかりする大人二人を盛大にからかうことに成功したと、カナダに報告するために。

PAGE TOP

close