君はここだけのシンデレラだった

「何、ぶすっとしているのさ」
一通りの注文を終えてメニューを畳んだフランシスが、ちらりと視線を寄越して呆れた顔をする。
彼がオススメだと言って連れて来たのは、意外にもこじんまりとした居酒屋で、店内はごちゃごちゃとしている。一体、この南青山の街のどこに隠れていたのか、下町にいるみたいな早口でサバサバしたおじさん連中が丸いテーブルを囲んで、わいわいと他愛のない話しで盛り上がっている。
「べつに」
目の前のキクちゃんとギルベルトの話し声が大きくなった。「そうなんです! ここのコーヒーの味がどうしても出せなくて、何の豆を使ってるのか不思議だったんですよ」「あれは日本じゃ珍しいよな」なんて、ようわからんけど、コーヒートークに共感しまくっているようだ。
「別にって顔じゃないけどねぇ」
にやにやと、面白くて仕方がないと言わんばかりの声。否定は喉の奥でくぐもって唸り声になり、ずるずると滑り落ちてテーブルへと突っ伏した。程良く冷たい木の感触が頬に伝わり、火照った肌の熱を下げてくれる。
なんやねん、この感じ。
頬を膨らませて不貞腐れてみたって誰もこちらなど気にしていない。目の前のキクちゃんとギルベルトはさっきから何考えている俺の知らない話しで盛り上がってるし、フランシスは携帯電話でカチカチ、たぶんメールを打ってる。今日この店に入ってから、みんな全然まともに俺と話ししてくれてないんじゃないのか。最近は外回りばかりで、せっかく久しぶりにゆっくりできるのに。疎外感とはまた違う。とにかく何だか面白くない。
「……なんでもあらへんもん」
「まあ良いけど、せっかくの祝いの席なんだから台無しにしないでよ」
興味もなさそうに投げやりに言った。視線を上げると、テーブルの端に対してコースターが真っ直ぐになるように位置を合わせている。
「せぇへんよ」
俺は社長なんだから、そんなこと。
今日は一度だめになりかけた、とある結婚相談所のデザイン案件を納品できた打ち上げであり、システム案件契約成立おめでとう飲み会だ。先方のトラブルに巻き込まれて散々な目に遇ったのだけど、それをフランシスのデザインとキクちゃんの力で乗り切れた。ほんまに感謝しているし、お礼は言いたい。でもだって、これはあんまりじゃないだろうか。
「なんでギルベルトとキクちゃんが仲良うなっとるん?」
「何か気が合うみたいだね。二人とも朝が早いから話する機会があるんじゃない?」
トーニョと違って。
「……やって外回り多いんやもん!」
「遅刻してくるからでしょ」
そもそもキクちゃんが遠い。丸いテーブルなのに俺から一番離れたところにいて、フランシスとギルベルトがちゃっかり隣に座っている。
初めは興味なさそうにしてたのになあ。
そうぼやいたって仕方がないけど、最初に見つけたのは自分なのにっていう気持ちは捨てられない。フランシスに至ってはキクちゃんを入社させること自体に反対していたのに、気が付いたら上から下まで服を買ってあげたらしい。そういうことなん? 格好が気に入らないから自分好みにコーディネートするってことなん?
「いつの間にフランシスはキクちゃんと急接近してんねんな」
「……ヒミツ」
「お前らのこと信用できへんわあ」
「そう? 俺は期待してるんだけど」
「仕事ではやろ」
肩を竦めてアメリカ映画に出てくる気障な役者みたいに首を振る。仕事でなら、俺だって信頼してるよ。そもそも、彼らを誘ったのは他でもない俺なんだから。

フランシスは、俺が独立する前に働いてた会社のお得意さんだ。有名なデザインオフィスだと先輩に聞いた。フランシス自身が手がけたデザインは、広告なんて意識していなかった俺でも何度も目にしていて、知っているものばかりだ。特に、とある服屋の宣伝で、駅の広告と店内の映像が連動して客の動きに合わせてウェブサイトに反映されるという大掛かりな仕掛けをしたものが話題になったことがあって、遂には有名な広告賞を受賞したんだけど、それがフランシスが手がけたものの中で一番世間で有名なものらしい。まあ、それは起業した後に知ったんだけど。
ギルベルトは、やっぱり俺が前に働いてた会社で依頼していた、社内システムの構築をする外資系のシステム開発会社の技術者だ。別のところに頼んだ時は話がややこしくなって収集つかなくなって、アメリカ系の大手に頼んだら、やって来たのが頭に鳥を乗せたドイツ人だった。初めはふざけてるのかって思ったけど、いざ話を始めたら的確に今のままじゃシステム化ができないから、どこをどうしなきゃいけないのかを指摘してきて、最終的には業務内容を大幅に改善していった。冷たい奴かと思ったけど、ちゃんと使う人のことを考えて設計をしているのが印象に残って、この二人と独立して会社やったら面白いんじゃないかって思った。
そんな二人と立ち上げた会社だから、仕事は最初から順調だった。俺も営業は得意だから仕事はどんどん舞い込んでくるし、フランシスもギルベルトも順調に回している。けっこう、三人しかいない会社にしては大手の企業からも声をかけられて、このままいったらめっちゃお金持ちになれんなーなんて軽口を叩いていたぐらい。しかし、現実は甘くない。なぜか仕事をするほどに会社の経営状態は悪くなっていって、正直けっこうギリギリまで追い詰められていた。
それを助けてくれたのがキクちゃんだ。しっちゃかめっちゃかになっていた会社の経理を整理して、今もややこしいことになっているのに管理してくれている。相談しに行った時に黒字倒産なんて言葉もあると聞かされて俺はびっくりしたけれど、今はあの時思い切って良かった。せっかく、この会社で頑張るの面白いのに、だめになったらつまらない。
けれど、最初はキクちゃんを会社に入れることに、二人とも反対していた。俺がそれを強引に進めたようなものなんだけど……、それが何の因果か、今ではすっかあり仲良しになってしまったらしく。この状況だ。

「……はーあ、お前らにキクちゃんの良さは知って欲しいけど、好きにはなって欲しなかったかも」
ぼそりと呟いた言葉が思ったより響いたらしい。ギルベルトのキクちゃんが振り向いて、え、って言葉を詰まらせた。
「そ、そんなに嫌われてたんですか……?」
「いや、ちゃうよ! 俺めっちゃ好きやでー」
「そうそう、ただの子どもみたいなヤキモチだもんねぇ」
によっと笑うのを睨み上げる。
「急に絡んでくんなよ」
げんなりしたみたいなギルベルト。
「やって、久しぶりに会社でゆっくりできんのに、二人とも俺の知らん話ばっかしてるし、フランシスは冷たいし、寂しいもん!」
俺を放っておくのが悪い。そうだ、今日はお祝いだったんじゃないのか。頬を膨らませてぶすっとした表情を作れば、「拗ねるなよ」と肩を突つかれる。
「構ってあげないとワガママ言い出す社長ってどうなの?」
「うっさい!」
「アントーニョさん……」
「面倒くせーやつ」
ため息をついて、「もう良いから始めようぜー」と言われた。腕を組んで顔を伏せ、いやいやと首を横に振って駄々を捏ねる。
わかっている。こんなの子どもじみたワガママなんだ。俺だけのもんって思ってたら、みんなその良さに気付いて、自分だけのものじゃなくなるのが寂しい。キクちゃんの一見するとわかりにくい、キラキラとした一生懸命さとか、真面目さとか、そういうの全部、きっと一緒に働いていたらすぐにわかってしまうから、それを知って欲しいけど俺だけのものにしておきたい。矛盾した気持ちがぐるぐるまわって、じゃあどうしたいんだって俺自身も思う。
「せーの」
三人が同時に声をかけると店内が突然、真っ暗になった。
「へっ、なになに?」
すると、店の奥から火のついたろうそくが一本だけ刺さったケーキを持った店主が出てきた。
「俺たちおめでとー、そしてハッピーバースデー」
「会社の一周年おめでとうございます」
「あっという間だったなー」
ケーキのプレートには「会社設立一周年」と、渋い文字。店内にいる他の客たちも拍手をして、口々に祝いの言葉をかけられる。「おめでとう」「これからが大事だ」。目を白黒させて混乱しきりの中で必死に今日の日付を思い出し、漸く、ああそうかって思い至った。
「……なんなん!?」
「やっぱり忘れてたな」
そう思ってサプライズにしたんだとフランシスが言った。
ちょうど一年前の今日に会社を起業したんだった。
「はー……びっくりした!」
「それは良かった」
「はい、ろうそくの火を消してください」
ホールケーキがテーブルに乗せられて、蝋が溶けてケーキにつく前にと急かされる。
「誰が消したらええの?」
「アントーニョじゃない?」
「俺だけ? おかしない?」
他の二人が嫌がったから社長についているけれど、会社は三人で始めたものだ。俺だけが主役みたいに火を吹き消すのはおかしい。
「じゃあ、三人で消されてはいかがですか?」
柔らかい笑顔でキクちゃんが言った。それが良いと言わんばかりに弾んだ声だ。
「……」
しかし、三人ともここでは考えが一致したらしい。ぴたっと動きを止めて沈黙を返した。
三人で消すって。
「嫌やわー」
「何が悲しくてこのむさい男と仲良くふーってしなきゃいけないの」
「ねぇな……」
それに対してキクちゃんが目を丸くして驚愕の声を上げる。そうこうしている間に店内にいる客は、早く消せと手拍子をして囃し立て始めた。
「わかった! ここはキクちゃんに消してもらおう」
「それがいいかもね」
「おー重要な仕事だぜ、きっちりやれよ」
え、え、って何度も驚いているキクちゃんに「はよせな俺のイチゴちゃんに蝋がついてまう……!」と大げさに急かした。周りの手拍子も早まっていって、店主はケーキの皿をテーブルの真ん中からキクちゃんの前へと移動させる。
「……え、と」
「ほら、逃げられへんで」
声のトーンを落として囁いたら観念したのか、キクちゃんが「……っ、わ、わかりました!」と宣言した。
「では、私が消しますね。後で文句を言っても知りませんよ」
「ええでー」
「キクのやることに文句なんて言うわけないじゃん」
ちょっと待って、いつからキクって呼ぶようになったんや。
「良いからさっさと消しやがれ、携帯の電池がなくなる」
ギルベルトが、ばっちり写メを撮ろうと構えている。あれは、後でブログにでもアップする気だろうか。
「まあまあ、文句はまた今度」
むっと唇を尖らせていたら宥められた。後で覚えておけよって二人を睨んでいると、キクちゃんがふっとろうそくの火を消した。
「これからもよろしくお願いします」
まあ、今はとりあえずお祝いを始めようか。

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