アイスクリーム

 夜中に会いたくなって電話をした。
「あ、ロマ? 今何しとったー? うん、うん……ふはっ、そうなんやあ。それはイタちゃんも災難やったなあ……ん? ロマも心配しとったんやろ? ……はは、まあそういうことにしといたろか。でもそんなトラブルがあったからこんな時間まで起きとったんやね……トラブルちゃうの? もーまたそんな言い方して。ふふ、ロマーノらしいなあ」
 ロマーノは想像していたよりもはっきりした声で、今日一日不幸が続いたイタちゃんの愚痴に付き合っていたのだと言った。彼は決して面倒見が良いわけではないのだが、そうやって頼られることに悪い気がしないのだろう、少しばかり得意げな語り口だった。
 ―――フン! こんな時間まで付き合わせやがって! でもまあ馬鹿弟には俺がいてやらねーとな、普段はないがしろにするくせにこういう時ばっかり兄ちゃん兄ちゃんってうるせぇし!
 いつもの悪態の裏に見え隠れする、ロマーノらしい素直さの片鱗。胸が、ぎゅう、と締め付けられる。
 ああ、会いたいなあ……。
 本人は隠しているつもりで全然隠せていない。まるで小さな子どもがかくれんぼで頭からシーツを被り足が外に出ていることに気づいていないような、そういう類の見え透いた愛しさを感じる。
「うん、でも元気そうで良かったわ。明日も早いんやろ? あんま夜更かししたらあかんで」
『言われなくてももう寝るよ。……つーか、スペイン。何かあった?』
 思わず息を呑む。
「んー? 何で?」
『質問に質問で返すなよ。いや、何となくだけど……』
「えーそうなん? や、全然大丈夫やで」
 ロマーノは、ふうん、と訝しげに頷いたが俺が何も言わないと察して『まあ良いけどよ』と無理矢理に納得してくれた。「うん、気にしてくれてありがとうなあ」ごまかすみたいに笑って寝る前の挨拶をするといつも通り返してくれる。
「ほな、おやすみー」
 いつもは自分からなんて通話を終わらせることなんてしないのに、これ以上話をするとボロが出そうな気がして慌てて電話を切る。
 ツー、ツー、ツー
 しん、とした自室の静けさにらしくもない憂鬱を感じそうになって首を横に振る。今それを考えてはいけない。絶対戻ってこれなくなる。
 時計を見れば日付が変わっていた。今日は一日、嫌なことばかり続いたから疲れているはずだ。こんな時に考え事をしたってロクなことにならない。スペイン人は無意味な感傷には浸らへんのや。さっさと切り替えてシャワーを浴びてしまおう。
 それにしても今日の俺はやっぱりらしくない。昔ならこんな時、ロマーノに心配かけるようなことはしなかったはずだ。俺は親分やから、と強がりを張れば本当に踏ん張れた。もしくは電話をする暇があったら飛行機のチケット片手にイタリアに飛んでいた。今はそのどちらもできそうにない。会いたいだけで会える関係だったら良かったのに。また変なことを考えそうになって頭を振る。懲りないネガティブ思考め。

 /

「…い、おい……ン、おい、スペイン! 起きろ、このやろー!」
「うわーナポリタントルネードはやめてぇ!!」
 考えるよりも先に体が動く。がばりと起き上がるとロマーノが寝室に置いている椅子に座って「よぉ」と声をかけてきた。
「……あれ? ロマーノ?」
 昨夜寝る前に思い浮かべた通りのロマーノが何食わぬ顔で目の前にいる。これは夢の続きかと首を傾げていると「さっさと用意しろよ。俺はアイス食いたいんだよ、ちくしょー」と腕を組んでふんぞり返った。
「アイス?」
「これ」
 携帯電話を鼻先に突きつけてくる。まだ寝起きでぼんやりしている頭を働かせて画面に表示されている画像を見た。
 ―――限定! 12段重ねアイスが特別価格で登場!
 デカデカと書かれた文字の横には画像加工したやろってぐらい不自然に重なったアイス、アイス、アイス。恐る恐る指を伸ばしてスクロールすると一番下に、絶対バランス取れへんやん、みたいなサイズ感の合ってないワッフルコーンがくっついている。
「これ落ちそうちゃう?」
「それが良いんだろ。おら、行くぞ」
「へ?」
「早く支度して来いよ。リビングで待ってるから」
 携帯電話を仕舞って手をひらひらひらめかせながらロマーノが寝室を出て行く。置き去りにされた俺はぽかんと口を開いてぼんやり宙を眺めるばかりだ。
 一体何が起きているんや?
 話の流れ的に一緒にアイスを食いに行こうってことなんだろう。けれど、ロマーノが見せてくれたページはイタリアにも店舗展開しているチェーン店だった。わざわざ朝イチでスペインまで来る必要はないはずで。
「おい! スペイン早くしろよ!!」
「今行く!!」
 しかし彼の意図を考え込んでいる場合ではない。リビングから声を張り上げてくるロマーノに急かされて急いで出かける準備をしなければならない。
 大慌てで洗面所に駆け込んで顔を洗って歯磨きをする。ヒゲは……まあ昨日剃ったし、今日も、ギリいけるやろ。うん。濡れた手で髪を撫で付けて寝癖を整えクローゼットへ。今日は熱くなりそうだからTシャツにジーンズでええか。靴だけ革靴に見える風のスリッポンにしたらロマーノも怒らへんやろ。財布と携帯を持ってリビングに顔を出すと、ロマーノがグラスを差し出してきた。
「思ったより早かったな」
「わっ、コーヒー淹れてくれたん?!」
「お前んちのインスタントだけどな」
 ロマはどういうわけか俺が使ってるインスタントをあまり認めてくれへん。ロマやってインスタント使ってるのにそれを指摘すると「一緒にすんな」と呆れられる。そりゃあ俺のはペットボトルに入ってるやつやし、ロマはお湯を注ぐやつやけどさあ。でもあの三角のやつ捨てるの面倒やん。高いし。
「これも美味いやろ?」
「……どこのメーカーかわからない特売にしては、まあ、そうだな」
「……?」
 ロマーノが遠い目をして頷いた。
「えっもしかしてロマ、ついにこの味を認めてくれるん?!」
「認めてねーよ。良いから早く飲め。12段アイスは限定なんだから間に合わなくなるだろ」
 慌ててグラスの中身を飲みほす。ゴロゴロと氷が入っているおかげで一気に飲むと頭がキーンとした。眉間にシワを寄せて痛みをやり過ごしているとロマーノが堪えきれなかったかのように吹き出した。

 /

 結論を述べよう。12段重ねアイス特別価格キャンペーンは終了していた。それも一昨日のうちに。
「ちくしょー! 一昨日って何でだよ!」
「一瞬で売り切れたみたいやなあ」
「チラシには今日からって書いてたぞ!!」
 店員いわく。
 事前にチラシを撒いたらお客さんが殺到したから、早めにキャンペーン始めてん。ホームページ? そう言えば画像載せとったかもなあ。ごめんな!
「いい加減かよ、このやろー!!」
 いやはや、俺がやったこととはちゃうけども、とっても耳が痛いんやで。なぜなら、気持ちがわかりすぎるので。
「ほらほら、ロマーノあんまり落ち込まんとって! 代わりにジェラート買ったるやん」
「2段重ねだけどな」
「好きなの選んでええでー」
 ロマーノがブツブツ文句を言いながら店のショーケースを覗き込んでいる。そうやって不満を言っていたって彼はやっぱりわかりやすい子なので、フレイバーを選んでいるうちに気が逸れるのだ。
「王道のバニラは外せねーけどもう1つが悩むよなあ。限定トマト味も気になるし、今日は暑ぃからレモンも捨てがたいし、オリーブバジルも気になる……」
「限定フレイバーやったらポップロックチョコ味もおすすめやでー」
「あー! それさっきから気になってんだよ! 余計悩むだろ!!」
「いっぱい悩んでなあ!」
 言ってみればたかがアイスの味で一生懸命悩んでいる。ああでもないこうでもないとウンウン唸りながら迷う姿を微笑ましく眺めていると、昨夜のささくれた気持ちはすっかり溶けて穏やかな気分になるのだった。
 やっぱロマーノはえらいなあ。
 彼の百面相は幸せな気持ちになれる。店員も他に客がいなくて暇なのもあってかニコニコと、ロマーノをさらに悩ませるような選択肢を増やし笑っている。俺だけじゃないんや。この反応を見ていたらみんな幸せなんやなあ。
 それがとても誇らしくて、世界中に自慢して回りたくなった。俺の子分がこんなにも平和や!
「よし、決めた! バニラとソーダキャンディにするぞ!」
 パッと顔を輝かせて振り向いたロマーノが、いつもの虚勢も忘れて俺にショーケースを見せてくる。肩越しに覗き込んで「うんうん、ええんちゃう? 美味そうやなあ」と相づちを打つと「そうだろ!」と歯を見せて笑った。
「ほなそれと、俺はポップロックとトマトで」
「おおきに!」
 会計をして、ワッフルコーンにバランス良く載せられた2段重ねのアイスを受け取った。そのまま店の外に出ると、午前中とは言え容赦なく照りつけてくる太陽のおかげで外はすっかり暑くなっていた。乾季とは言え先月は1日しか雨が降らなかったので、日に日に気温が上がり続けている。今年の夏も厳しいものになりそうだ。
「やべ! 溶けそう」
「あっちゅう間やなあ。あのベンチ空いてるわ」
 顔を上げたロマーノがアイスを落とさないように慎重に、しかしそそくさとベンチに近づいて腰掛ける。いつの間にこういう器用さを身に着けたんやろか……。俺もそのとなりに座って急いでジェラートの攻略に取り掛かった。
「はい、ロマ。これ気になってたやろ?」
「……良いのか?」ワッフルコーンを差し出すと一瞬キョトンとしたロマーノが珍しく遠慮したようなことを言ってくるのでおかしくなる。普段なら俺が勧める前に問答無用で齧りついてくるくせに。彼なりに気を遣っているんだろうなと思うと自分が情けなくて嫌になりそうだったので、わざと軽い口調で言い返した。「一口だけやでー」
「ん……あ、これ美味い」
 ロマーノはポップロックチョコ味とトマト味のジェラートを一舐めずつして小さな声で呟いた。その表情が悪いものではなかったから本気でそう思っているのだろう。まあ彼はお世辞や社交辞令を言うようなタイプではないので、気に入らない時は無言で締めくくるのだが。
「あー! てか、そうだ。写真撮るの忘れてた」
「写真? 何やあフランスみたいなこと言って」
 あいつも出かけ先やら飯食ってる時にやたらと写真を撮りたがる。何かええ感じに見えるアプリで撮ってSNSに上げるのがバエで良い感じらしいで。
「馬鹿弟に送るんだよ。スペインちで12段アイス食ってくるって言って出てきたから証拠写真だ」
「あー12段じゃなくなった証拠写真か」
「るっせ。良いから撮るぞ。ちゃんとした顔しろよ」
 そう言ってロマーノが俺とジェラートにカメラを向けてくる。
 ……こういう時って普通、自撮りするんちゃうの? いや、俺もバエはまだ食ったことないからよう知らんけど……。少なくともフランスは自分の写真ばっかや。何なら俺やプロイセンに撮らせることもある。
「ロマの写真じゃなくてええの?」
「俺の写真じゃスペインに来たってわからねーだろ!」
 えぇ……そういうもんなん?
 ほらほらと急かされてとりあえずワッフルコーンを顔のそばに掲げた。「いくぞー、ウーノ・ドゥーエ・トレ」
 カシャ、とシャッターを切った音がしてロマーノが画面を見る。すぐに抗議の声が上がった。
「ちゃんとした顔しろっつってんだろ!!」
「えーそんなん言われてもどんな顔したらええかわからへんわあ」
「いつも通りの顔だろ!」
 変顔を決めたらめっちゃ怒られた。けどなあ、観光地でもないとこでジェラート掲げて真面目に写真撮られるなんて無理やわ。ぐずぐず言っている間にもロマーノがカメラを向けてくるから、また変顔をしてしまう。それを何枚かやっているうちにジェラートが垂れてきた。
「あかん! このままじゃ溶けてまう!」
「だー! スペインが変な顔するせいだぞ、ちくしょう!」
 ふたり揃って慌ててジェラートに齧りつく。ほとんど溶けているとは言え氷菓だ。一気に食べれば今朝飲んだアイスコーヒーと同じく頭がキーンとしてしまう。
「ヴォアアア」
「あー、いたた、あかん頭キンキンするわあ」
「スペインこのやろうのせいだからな!」
 わあわあ騒いでどうにかこうにかアイスを食べきる。ふにゃふにゃに柔らかくなったワッフルコーンもその勢いで完食した。最後のほうは暑さとの戦いでほとんど味わえていなかったんじゃないだろうか。何なく不完全燃焼やなあ。コーンをくるんでいた包装紙で指先を拭きゴミを丸めると、ロマーノが携帯を操作していたので画面を覗き込む。さっき撮った写真を見返しているようだ。
「あーもう、これも、これも……これなんか急に動くからブレてるじゃねぇか!」
「高速移動する俺や」
「ドヤ顔してんじゃねぇよ!」
 けれど連続で見ていると、なかなか面白い。ロマーノのほうも最後のほうは躍起になっていたのか連射していたようでコマ送りで俺が変な顔を作る様子が収められている。
 これはこれで良い写真やと思うけどなあ……。
 ロマーノは構図がとびきり上手いとかハッとするようなシーンを収めるとか、そういうセンスがあるわけじゃないけどなかなか味のある写真を撮ると思う。時々、気まぐれに写メを送ってくる時も、妙に得意げな顔をした生意気な猫やドイツの訓練をやり過ごすためにキリっとしているイタちゃんの後ろ姿、焦げる寸前で救出されたグラタンといった面白いものばかりだ。
 こういうのがバエなんちゃうか?
 と思ったりするのだが、被写体が俺やしロマのお眼鏡にはかなわんのかなあ。ちょっとしょんぼりしていたら眉間にシワを寄せて唇をひん曲げていたロマーノがぷくうっと頬を膨らませた。おや? 首を傾げて観察を続けると肩がぷるぷると震えだす。
 もしかして、爆発寸前?
「ぷはっ、あーダメだ、あはは! 何だこの顔、スペイン! ふは、はははっ」
 堪えきれなくなったロマーノが吹き出した。ケラケラと声を上げて「見ろよ、この写真! お前すげー顔してる!」と画像を見せてくる。俺を馬鹿にしている時のロマーノは特に輝いていると思う。
「えーそんなやばいん? 結構ええ感じやなーって思っててんけど」
「何言ってんだ! こんな写真見せたら笑い者だぜ!」
 言いながらも改めて写真を見て笑い続けているので、俺はしてやったり、妙な達成感を感じたりする。ロマーノのどんな反応も幸せな気持ちになるけど、やっぱ笑顔は特別やなあ。俺はそう思っているから、たぶんまたこの子にカメラを向けられたら同じような変顔を決めてしまうんやろう。
 ひとしきり笑ったロマーノが「はー腹痛い……笑いすぎた」と唸りながら俺を見上げる。目をパチパチと瞬かせて今度はやわらかく微笑んだ。
「何かしんねぇけど元気になったみたいだな」
 指摘されてふと我に返る。そう言えば、もうすっかり昨夜の感傷やロマーノに気遣われている負い目は消えてなくなっていた。何をするにも全力でくるくると表情を変える彼と一緒にいるだけで、そういう憂鬱は忘れてしまうのだ。
「あー……俺そんなわかりやすかった?」
「お前ほどわかりやすい奴もいねぇよ!」
 ロマーノに言われるのは心外や。
「まあでも元気になったんなら良いや。せっかくスペインん家来たんだし2、3日泊まって行くから俺のこともてなせよ」
 ふん、と鼻を鳴らしてふんぞり返るロマーノがやっぱり微笑ましくて愛しい。
「もちろんや!」俺は頷いて勢い良くベンチから立ち上がった。
「明日も2段重ねアイス奢ったるな!」
「おう! 今度はトマト味にするぞ、ちくしょー」
 やっぱりな、そう返すと彼は少しばかり照れくさそうにして俺の隣を歩いてくれる。

PAGE TOP

close