¡Feliz cumpleaños!

 久しぶりに気持ち良く目が覚めた。最近は数十年ぶりの寒波とやらで、この街でも珍しく雪が降るほど寒い日が続いて毎朝辛かったのだけれど、カーテン越しにやわらかな陽射しが差し込んで床に暖かそうな陽だまりを作っている。
 今日は金曜日、もしかして仕事終わりに同僚を誘ってホームパーティーするのに打って付けの日になるんじゃない?! そうとなったら寝過ごすなんてもったいなくて急いで起き上がって窓を開ける。空を見上げれば春を夢見る太陽の輪郭がぼやけていて、まどろむような朝陽をこの国中に降り注いでいた。
「んー……!」
 深呼吸。爽やかな空気。心なしか街全体が喜びに満ちあふれている気さえする。こんな気分はいつぶりだろう。クリスマス以来かもしれない。何だか浮かれた気分で朝の家事に取りかかる。最近アジアから来た女の子たちはアイドルみたいに細くていつもネイルもメイクも完璧だから、彼女たちを呼んでも恥ずかしくないような部屋にしなくっちゃ。いつもより気合いを入れて掃除をする。キッチンのシンクも洗面所もトイレもピカピカに磨き上げて、窓辺の鉢植えに水をやっていると隣の家の扉がバタン! と物々しい音を立てた。首を伸ばして道路のほうを見やる。
「ロマーノー! おはよー!」
 いつになく慌ただしい様子の隣人に声をかければ、ロマーノがその場で足踏みしながら振り向いた。
「おっ、はよ! 今朝は早いな!」
「天気が良いからね! ロマーノはこんな朝からどこ行くの?」
「市場!」
 なんで? と思ってすぐに思い至る。ああ、今日は十二日か。
「スペインさん来れるってー?」
 確かこの寒波で忙しくて遊ぶ暇もないと言ってたっけ。なぜかロマーノだけは暇そうにしてて近所の雪かきに駆り出されてたけど。
「……何でアイツってわかんだよ、ちくしょ」
「だってロマーノのお客さんってスペインさんぐらいじゃない?」
「…………日本も来たことあるぞ」
「へぇ日本! あ、今日わたし日本の子を誘ってパーティーしようと思ってるのよね。何かおすすめある?」
「はあ? 日本? あいつは美味いもんなら何でも好きだぞ」
「……あんまり参考にならないな」
 そもそもロマーノの言うことだし、アテになるか怪しい。一緒に暮らす弟のイタリアには、もっとしっかりしろってお兄さんぶっているけれど、傍から見ている限りロマーノのほうがぼやっとしていることが多くて実はイタリアが引っ張っていってる兄弟だ。
「あ、スペインさんはいつ来るって?」
「そんなの聞いてどうすんだよ」
「わたしも挨拶しようかなーと」
「そんなのいらねぇよ! つーか何かとスペインに絡んでるよな」
「まあね。わたしたちのロマーノがお世話になってる人だし、積もる話があるの」
「何の話だよ……よ、余計なこと言ってんじゃねぇよな?」
 ロマーノには変な癖があって弱気な時は少し俯いて上目遣いで見上げてくる。しかも赤面症なのか、すぐ顔を赤くするからあざといったらないんだけど、この街……いや、この国……ううん、この世界中どこにも変な期待をするひとはいない。
 なぜなら彼はスペインさんのことが大好きなので。
 だからわたしたちは孫でも見るような生ぬるい気持ちで、目を細めながら頑張れよって思っている。
「余計なことって何のこと?」
「い、いや! 何もねぇなら良いんだけどよ」
 素知らぬ顔で首を傾げればロマーノがワタワタと手を横に振って「あ、スペインは夜に来るって言ってたぞ」と付け足した。
「うーん、パーティー中かあ」
 ロマーノが言う「夜」って遅い時間よね……。たぶん盛り上がっててすっかりスペインさんのこと忘れてそうな気もする。どうしようか悩んでいたらロマーノが眉を下げてくしゃくしゃっと笑った。斜に構えた笑い方をすることが多い彼にしては珍しい笑い方だ。
「どうせ忘れてんだろ。良いから自分のことに専念してろ」
「あいあい」
 ロマーノが腕時計を見て、予定より遅い時間だったんだろう、びゅっと飛び上がった。「じゃ、じゃあ俺急ぐから!」と今度こそ走り去ってしまった。ちょっと悪いことしたかも。いつになく必死な後ろ姿を見送って、わたしも自分の支度を始める。と言ってもまだ八時前だ。のんびり朝ご飯を食べてから家を出れば良いかと考えながら洗濯機のスイッチを入れた。

 /

「あ」
「あ、えぇと……確かロマーノのお隣さんの」
「アリーアよ、スペインさん。お久しぶり」
「久しぶりやなあ、アリーア!」
 アジア人ってよくわかんないところがあって、ホームパーティーに誘ったら一度家に帰って用意してくるって言い出した。一体何の用意をするのかしら……仕方ないからひとりで帰ってきたんだけれど、途中でスペインさんとバッタリ会ったってわけ。ロマーノは夜になるって言っていたけど、まだ日も沈みきらない夕方だ。ずいぶん早いのね、と思っていたら「実は予定より早く着いてもうて。ロマーノ、家におらんかってん」とスペインさんのほうから事情を説明してくれた。
「今朝もバタバタしてたみたいだから、今日は忙しいかも」
「何もせんでええって言うたんやけどなあ」
 口調は呆れているみたいだったけど、顔つきはとても優しくて、本当はロマーノが二月十二日という一日に張り切って全力なのが嬉しいんだろうなってわかった。
 スペインさんとロマーノの関係は複雑だ。そもそも彼らは人間ではなく国だと言うから、ちょっと常識から外れている。
 引っ越してきたばかりの頃、近所の人たちから聞いた時は全然信じていなかった。弟のイタリアなんてストレートに国名で呼ばれているけど、ロマーノは一応ヴェネチアーノって呼んでいるし、何かの暗示かわたしが知らないエピソードでもあるのかなって思ってた。
 それが最近じゃそうなんだろうなって受け入れている。そう思うまでに特別なきっかけがあったわけじゃなくて、下ろしたてだったコートがゆっくりと馴染んでいくように、自然とそういう風に思うようになっていった。
 その自然と馴染んでいったことのひとつがスペインさんの存在だ。子どものロマーノの面倒を見ていたって言うスペイン人の若い男。
「あのね、スペインさん。これはアドバイスよ。たまにはこき使ったほうが良いわ。最近も寒波でイタリアが泊まり込んでる間、ロマーノはずっと家でゴロゴロしてて見かねた近所のおじさんたちが雪かきに引っ張り出すまで働かなかったんだから」
「ははは、ロマーノらしいなあ」
「噂じゃクリスマス休暇からこっち仕事してないって」
「あいつならありえるわ……」
 がっくりと肩を落としたスペインさんには「ロマーノ働かない史」の記憶があるんだろう。今度機会があればゆっくり聞いてみたいけれど、今日はせっかくのめでたい日だからこれ以上つっつくのはやめておく。
「でもそれもこれも今日に向けての充電だったら納得かな」
「そんなええもんかなあ」
 首を傾げているスペインさんはロマーノいわく「鈍感」らしい。まあ確かに、ちょっと気が利かないところがあって、彼よりも付き合いの短いわたしですらわかっていることに未だ気づいていない。
「そうよそうよ、もしかしたら今年こそ……あるかもよ〜!」
「……え、なに? 何なん、そのニヤニヤ顔!」
「何ってスペインさんがロマーノからもらいたいもの」
「は、え?! や、ちゃうで! 俺とロマはほんま、そんなんちゃうからな!」
 見よ、これが顔を合わせる度にスペインさん本当はロマーノのこと好きなんじゃないの〜? 恋人なんじゃないのぉ? とからかってきた成果だ! 顔を真っ赤にさせてあわあわ否定している姿は、うん、まんざらでもなさそう。その調子で今年こそちょっとは進展くれよな!
「もーほんますーぐそういうこと言うんやから……」
 あんまりからかいすぎて変にぎくしゃくするのも良くないから今日はこのへんにしてやるか。後はロマーノ、頑張るんだぞ。
「スペインさん、お誕生日おめでとう。これからもわたしたちのロマーノをよろしくね」
「ありがとう。うん、ずっと大事にするよ」
 スペインさんが眉を下げて笑う。その顔が今朝ロマーノが見せた笑顔と同じだったから、わたしは思わず吹き出してしまった。

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